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極上の担々つけ麺

023:勝利の美酒に酔いしれる、自称最強の龍人

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 魔王マカロンと勇者ユークリフォンスが営んでいる料理屋――担々麺専門店『魔勇家まゆうや』の営業が開始してから三ヶ月ほどが経ったころのこと。
 このお店にまた新たな客がやってくる。

「はぁはぁ……こ、ここで、食事を……戦いに勝利したうたげを……勝利の美酒びしゅに酔いしれようではないか」

 魔勇家まゆうやの正面にまでやってきたその男は、額から流血していた。
 それだけではなく体の至るところに怪我をしている。
 右肩を押さえ、左足を庇うようにしながらゆっくりと魔勇家の入り口を目指す。
 満身創痍まんしんそういの体から想像するに、激しい戦いの後なのがわかる。

「はぁはぁ……盛大に食事を楽しむのも悪くないな……なんせ俺はこの世界で最強とうたわれた獣人が一人――虎人こじんの男ガオレとの一騎討ちに勝利したばかりだからな。そう、俺は世界最強になった男なのだ! 世界最強の龍人族りゅうじんぞくこそ、この俺だ!」

 世界最強を自称するこの男の名はリューギ。龍人族という稀少きしょう種族の一人。
 人間族と見た目はさほど変わらない。
 見た目の違いがあるとすれば、全身に彫られた龍の紋様くらいだろう。その紋様も今は血だらけの体でよく見えていない。

「くははははっ、うっ、傷が開く……と、とりあえず、食事を……栄養を取らねば……血を流しすぎた」

 その足取りはふらつき遅いものの、着実に魔勇家の入り口へと近付いている。
 そして近付いたからこそ気付く事があった。

「タンタンメン? 専門店? タンタンメンとは何だ? ここは料理屋で合っているよな? いや、この食力をそそる香りは料理屋で間違い無いだろう」

 龍人族は他の種族と比べて五感が非常に優れている。
 だから遠くの場所でも濃厚でこってりなスープの香りを嗅ぎつけることができて、ここまでやってきたのだ。
 看板の文字に気が付かなかったのは、足を庇いながら歩いていたせいだろう。
 視覚から得られる情報に頼らず、ここまでやってきた証拠だ。

「タンタンメンという料理は一体どんな料理なのだろうか…………な、何を怯んでいるんだ俺は! 世界最強であるこの俺が知らない料理に気後れするなどあり得ない。どんな料理だろうと完食してやろう! くははははっ、うぐっ、またしても傷が……」

 ゆっくり歩いているうちに気持ちが整ったのだろう。
 迷う事なく魔勇家の入り口に手をかけて、そのまま扉を開いた。


 ――チャリンチャリンチャリンッ!!


 扉を開くと心を癒すかの如く、銀鈴の音色がお出迎えする。
 そして外からでは感じる事ができなかったより深みのある濃厚で芳醇なスープの香りがリューギの鼻腔を刺激。
 さらには扉を開けたことによって広がる店内の一面に衝撃を受けることになる。
 先ほどまでとは別の空間、言うならば異世界へと繋がる扉を開いたのではないかと錯覚するほどの風変わり。
 そう錯覚してしまった要因は何も内装だけではなかった。むしろ勝利の美酒に酔いしれようとしているリューギによってはの方が強かった。

(な、何だここは――!?)

 リューギの瞳には、、名の知れたたちの姿が映っている。

 店内一番奥の席には店潰しの美食家という異名を持つエルフ――エルバームが、艶かしくも汗を流しながら真っ赤なスープを飲んでいる。

 その隣の席では元勇者パーティーの二人がいる――勇者の右腕である女剣士のリュビ・ローゼ、勇者パーティーで欠かせない重要なサポート役である女魔術師のエメロード・リリシアだ。
 彼女らはエルバームとは違った真っ黒なスープを飲んでいる。

 そしてその隣の席には、元魔王軍の大幹部である鬼人族の大男――オーグルの姿もある。
 彼もエルバーム同様に真っ赤なスープを飲んでいるが、エルバームとはまた違った赤いスープだ。

 最後に一番近くの席には今世間で話題沸騰中の盗賊団――正義の盗賊団の盗賊かしらであるロド・ブリガンと下っ端盗賊のウボ・バンディーがいる。
 二人は他の客たちとは違った形状の料理を食べていた。

 そんな有名人たちが一堂に集結しているのだ。
 自分の目を疑うか、頭を疑うか、もしくはその両方を疑うか。それぐらいの衝撃が目の前に広がっているのだ。
 そして己自身がこの世界で最強だと思い込んでいた龍人にまだまだ上が――強者がいるのだと、この一瞬で思い知らせるには十分すぎる光景だった。

(くっ、と、とにかく、ひるんでいることを悟らせてはいけない。満身創痍ではあるが、ここは堂々と席へ着くとしよう。大丈夫だ。俺は世界最強の龍人族。こんなところで怯むような男ではない。くははははっ。うん。心の中で笑えば傷も開かないな。ではもう一度、くははははっ――!!!)

 リューギは心の中で高笑いしながら開いている席へと向かおうとした。
 その時だった――

「いらっしゃいませなのじゃ!」

 リューギの鼓膜を可愛らしい小動物のような声が振動させた。
 声の主を反射的に見てしまった龍人は今日一番の衝撃を受けることとなる。

(なっ、何だと! こ、この小娘、何という凄まじいオーラを放っているんだ。それに何だこの魔力量は! 猛獣か魔獣か? いや、そんなものと比べるのにはおこがましい。比べるとしたらあそこに座っている元魔王軍の大幹部と同じかそれ以上……言うならば魔王級だ。こんな可愛らしい看板娘のような小娘から、こんな凄まじいオーラ、凄まじい魔力の流れが……くはははっ! どうやら早く栄養を取らねばならないほど俺は弱ってしまっているようだな。血を流しすぎたと言うことだ。こんな小娘が魔王級なわけがない)

 リューギは世界最強の獣人ガオレとの死闘を終えたばかり。
 だからこそ研ぎ澄まされた神経から、変装魔法で正体を隠している魔王マカロンの力量をほぼ正確に近いほどに判断する事ができたのである。
 ただその見た目には不相応なオーラや魔力量から、己の勘違いだと無理やり結論づけていた。
 もしも看板娘のような可愛らしい娘を強者だと認めてしまえば、自分の頭がおかしくなったことも同時に認めてしまうことになるからだ。

「開いてる席へどうぞなのじゃ! 怪我をしておるから出入り口から一番近い席をおすすめするぞ。ここなのじゃ」

 魔王マカロンは怪我をしているリューギのために椅子を引いて座るように誘導した。

「あ、ありがとう……」

 感謝を告げながらリューギは腰を下ろした。
 その瞬間、全身に痛みが走る。怪我や疲労を我慢していた反動だ。

「注文が決まったら妾を呼んでくれなのじゃ! わからない事があっても遠慮せずに妾を呼んでほしいのじゃ! それでは……」

 看板娘のような華奢な少女――魔王マカロンは花よりも美しい笑顔を振りまいてから、厨房へと向かい姿を消した。
 彼女の後ろ姿を目で追っていたリューギは、彼女の姿が見えなくなった瞬間、自然とその視線はメニュー表へと向けられた。

(なるほど、タンタンメン専門店というだけあってたくさんの種類のタンタンメンがあるな。説明もしっかりと書いてあってわかりやすい。わかりやすいのだが、説明を読んだだけではどれが美味しいのかがわからん。きっと商品になるくらいだ、全部美味しいんだろうな。全部美味しいとなると選ぶのが余計に大変だ。ここは無難にこの〝究極の担々麺〟とやらを……いや、待て! 俺は世界最強の男になったばかり! 無難なものを選んでどうする。ここはもっと派手なものを! 世界最強の男に相応しいタンタンメン選ばなければ! と言ってもどれが世界最強の俺に相応しいかがわからないな。そうだ、ここは他の客が何を食べているのかを観察しよう。そうすればヒントのようなものを得られるかもしれない!)

 リューギはメニュー表を見ているふうを装いながら、他の客が何を食べているのかの観察を始めた。

(先ほども気になっていたが、何なんだ? あの黒いスープは……)

 まず最初に見たのはローゼとリリシアが食べている〝漆黒のイカスミ担々麺〟だった。
 その黒さと美味しく食べている姿に驚きを隠せずにいた。

(おそらくここに書いてある〝漆黒のイカスミ担々麺〟ってやつだな。ふんっ。世界最強の男である俺なら見ただけでわかるぞ! では、こっちは――エルフは……な、なんだ!? 痛そうに、いや、辛そうに、いや、気持ちよさそうに食べているぞ! え、エロい……)

 次に見たのはエルバームが食べている〝地獄の激辛担々麺〟だ。
 辛そうにしながらも箸が止まらないエルバームの姿に圧巻しかけていたのだが、あまりにも妖艶で艶かしいため、全ての感情がエロに上書きされた。
 リューギも男だ。仕方がない。

(くっ、いかん。エルフに見惚れてしまった。次だ次! 元魔王軍大幹部の鬼人の大男は何を食べているんだ? エルフとは違った赤さのタンタンメンだな。トマトが入っているから鬼人が食べているのは〝真紅のトマト担々麺〟ってやつか? 十中八九そうだろうな。いや、間違いなくそうだ。世界最強の男である俺の観察眼は正しい! だとしたらエルフが食べているのは〝地獄の激辛担々麺〟ってやつだろうな。くははははっ、なんとなくだが、わかってきたぞ! タンタンメン――!!!)

 オーグルが食べている真紅のトマト担々麺〟とエルバームが食べている〝地獄の激辛担々麺〟を見比べるリューギ。
 真っ赤なスープという点では同じだが、食べている人の表情や状態、具材の違いから、全くの別物の担々麺だと悟る。

(だが、こっちのタンタンメンについてはよくわからないな。スープがほとんどないタンタンメン……他の客とは違った形状……それに冷たいのか? 氷が入ってやがる。どう言う事だ? あれもタンタンメンだと言うのか? だとしたらタンタンメンとはなんなんだ?)

 最後にリューギが見たのは、正義の盗賊団の二人が食べている〝冷涼の冷やし担々麺〟だ。
 これだけは他の担々麺とは形状が全く違うため、担々麺を知らないリューギによっては混乱を招くだけの情報となってしまう。

(くっ……どうしたら、どうしたらいいんだ。余計にわからなくなってしまったぞ。こうなってしまったら仕方がない。このメニュー表から直感で選ぶしかない。大丈夫だ。俺は世界最強の男――世界最強の龍人族だ! 己の直感を信じるぞ――!!!)

 直感で選ぶことに決めたリューギは「注文を頼む!」と叫んで店員である魔王マカロンを呼んだ。

「どれにするのじゃ?」
「俺は…………これだ――!!!」

 リューギは指差しで注文品を伝えた。
 指を差す瞬間まで何も考えずに直感のみで選んだ担々麺だ。
 己の直感に後悔するのも褒めるのも自分次第。

「かしこまりましたなのじゃ!」

 そう言って魔王マカロンは厨房へと戻っていった。
 その間もリューギはメニュー表に指を差したまま。
 その指先に書かれている商品名を心の声だけで読んだ。

(〝極上の担々つけ麺〟……タンタンメンとは違うのか? つけ麺? つけ? つけとはなんのことだ? なぜタンタンとメンの間につけがあるのだ? つけにはどんな意味が? そして極上という文字も気になる。わからないことだらけなのに、さらにわからなくなるようなタンタンメンを注文してしまったぞ……)

 新たな疑問が浮かび困惑の色を隠せずにいるリューギ。
 この後、更なる困惑がリューギを襲うことを、この時のリューギは知る由もなかった。
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