上 下
3 / 76
第1章

3 金縛りにかかるためには、何をしたらいいのだろうか

しおりを挟む
 そうだ。金縛りにかかればいいんだ。

 目蓋のカーテンを閉じた暗闇の中、ふと閃く。
『金縛りちゃん』に会いたいのなら『金縛り』にかかればいいのだと。

 その瞬間、目蓋のカーテンを一気に開ける。
 そしてすぐにスマホで検索画面を開く。
 画面の眩い光や睡眠時間など気にすることなく、画面をスクロールする指は動く。検索する指が動く。瞳は文字を写真を追いかける。興奮しているのか息は荒くなる。
 心拍数も上昇していく。鼓動がうるさい。けれどもうすぐ『金縛りちゃん』に会えるかもしれないと考えたら、鼓動のうるささも心地よく感じる。

 『金縛り』
 『金縛りとは』
 『金縛り 理由』
 『金縛り 原因』
 『金縛り 方法』
 『金縛り 意味』 
 『金縛り かかり方』
 『金縛り なり方』
 『金縛り いつ』
 『金縛り どうして』
 『金縛り 幽霊』
 『金縛り 女の幽霊』
 『金縛り 女のお化け』

 思い付いたことをとりあえず検索した。
 スマホの眩い光を顔いっぱいに浴びながら『金縛り』について入念に調べた。
 金縛りに悩んでいる人の検索履歴みたいになってしまったが、全ては『金縛りちゃん』に会うための知識集めだ。

 そこで判明したことがいくつかあった。
 不規則な生活、精神的なストレス、心身の疲労、これによって金縛りは引き起こされるということだ。
 科学的根拠はない。けれど多くの金縛り経験者は語っているのだ。ネットに書き込んでいるのだ。

 そういえば、あの日――金縛りちゃんと始めて会った日は、かなり疲労してたな。
 団体客が多かったせいか、いつも以上にボロボロだったと思う。心も体も。
 だから金縛りにかかったんだ。金縛り経験者たちと全く同じだ。

 正直なところ今日も同じくらい疲労が溜まっている。
 この疲労の溜まり具合ならいける。もしかしたら金縛りにかかるかもしれない。
 そしたらまた『金縛りちゃん』に会えるかもしれない。


 根拠のない期待が胸を高鳴らせる。


 しかしこれでネットサーフィンは終了ではない。すぐさま動画サイトを開く。
 動画サイトでは『金縛りにかかる方法』『金縛りにかかってみた』など検証系の動画がたくさんある。
 どれも胡散臭い。それにこういう類の動画は視聴回数を稼ぐためのものがほとんどだ。一概には信じられない。
 けれど今の僕にとっては最高の情報源。金縛りちゃんに会うためのお助け動画だ。

 僕の指は躊躇うことなく動画の再生ボタンを押していた。

 動画サイトの検証動画では本当に金縛りにかかっているものもあった。けれど参考にできるものは少ない。
 参考になった内容は『不規則な生活を送る』『不摂生な食事を取る』という部分だけだ。
 栄養バランスを考えずに好きなものを好きなだけ食べる。さらに、思う存分だらだらと生活をする。
 先ほど参考になった内容と言ったが現状僕も好きな時に好きなものを食べて、好きな時に寝ている。
 知らないうちに不規則な生活を送り金縛りにかかりやすい体を手に入れていたのだ。

 参考にならなかった内容は、僕にはできない事だった。だから参考にはならない。参考にはできない。
 その参考にはできないことは『彼女との生活』そこでことだった。
 『彼女』という存在が隣にいるのなら、最高の人生だろうと思っていた。しかし現実は違う。色々と大変らしい。

 金縛りにかかるためだけに今まで溜め込んでいた不満をぶつけてる彼氏。そのまま彼女と本気の喧嘩が勃発。
 精神的ストレス、心へのダメージは凄まじいものだと思った。動画投稿者の彼氏も、動画のために利用されている彼女も。
 金縛りにかかるための検証とはいえ、ここまでやるのは流石に引いてしまった。見てて胸糞も悪い。けれど『金縛りちゃん』のためだと思うと最後まで視聴することができた。
 もちろん低評価は躊躇いなく押した。リア充爆発しろ。

 動画投稿者は彼女を使って精神的ストレスを溜めていた。けれど彼女がいない僕でも精神的ストレスを溜めることは可能だ。
 僕にはすでに精神的ストレスが溜まりに溜まっているではないか。その原因は何かなんて野暮なことを聞くな。思い出すと心が痛む。いや、思い出した方が金縛りにかかりやすくなるのでは?
 それなら大歓迎だ。
 そう。僕のこの精神的ストレスは全て居酒屋のバイトが原因。もっと言えば迷惑な酔っ払いが原因、否、元凶だ!

 もっと働こう。もっと気合を入れよう。もっと迷惑な酔っ払いに絡まれよう。
 そうすれば金縛りにかかる確率がぐーんと上がるに違いない。金縛りちゃんに会える可能性が高まるに違いない。

 毎日のように辞めたいと思っていた居酒屋のバイトなのに……が楽しみになってきた。
 こんな感情は初めてだ。

 そもそも居酒屋のバイトで心身ともに疲労困憊だったから金縛りにかかったのではないか?
 迷惑な酔っ払いがいたからこそ『金縛りちゃん』に会うことができたのではないか?

 ありがとう居酒屋のバイト。ありがとう迷惑な酔っ払い。

 迷惑な酔っ払いに感謝する日が来るなんて、夢にも思わなかったよ。


 金縛りについての調べ物もひと段落ついた。
 達成感を感じた瞬間、睡魔が襲ってきた。


 やばい。眠い。猛烈に、強烈に眠い。
 今なら秒で眠れる自信がある。

 スマホのを閉じて目蓋のカーテンをゆっくり閉める。視界は暗闇に覆われた。


 金縛りにかかりたい。金縛りちゃんに会いたい。

 金縛りちゃん。金縛りちゃん。金縛りちゃん。金縛りちゃん。金縛りちゃん。金縛りちゃん。金縛りちゃん。金縛りちゃん。金縛りちゃん。金縛りちゃん。金縛りちゃん。金縛りちゃん。金縛りちゃん。金縛りちゃん。金縛りちゃん。金縛りちゃん。

 羊の数を数えるかのように金縛りちゃんのことを思い浮かべる。
 睡魔に襲われている頭では、今の自分が異常だということには一切気づかないだろう。


 かな、しばりちゃ……ん……




 ◆◇◆◇◆◇◆◇




 ピピピピッピピピピッ

 目覚まし時計の鳴る音だ。
 鳴り続ける目覚まし時計の音が鼓膜に届き意識が覚醒する。

 この音で起きたってことは……金縛りにかからなかったってことだよな……。 

 覚醒したばかりの頭で状況を判断。
 そして手を頭の上に伸ばした。凝った体を伸ばすためではない。鳴り続ける目覚まし時計を止めるためだ。

 口元にはヨダレが垂れそうになっていた。枕にはヨダレの跡が残っている。
 ヨダレが垂れるほどの熟睡をかましてしまったのだ。

「はぁ……」

 朝からため息。否、今は昼だ。昼からため息を吐いた。

「金縛りちゃん……」

 恋い焦がれている幽霊の名前もため息とともに溢れた。

 いつもの僕だったらこのまま暗い気持ちで一日が終わってしまう。
 しかし、今日の僕はいつもの僕ではない。
 辞めようと考えていた居酒屋のバイトが楽しみで仕方がない。大っ嫌いな迷惑な酔っ払いに絡まれたくて仕方がないのだ。

 居酒屋のバイト時間は十七時から二十三時までの計六時間。
 僕が起きる時間は決まって十二時。この時間に目覚ましをかけてる習慣がいつの間にかついていた。
 目覚ましをかけないと永遠と眠り続けてしまう自信があるのも事実だ。

 バイトが始まるまで五時間の猶予がある。
 金縛りにかかるために何かできるはず。バイト以外にも精神的ストレスを溜めることができるはずだ。

 今日の僕は冴えている。すぐに閃いてしまった。

に行ってみよう……」

 ウサギの後ろ姿のようなもこもこの髪を乱暴に整え、普段行かない場所へと向かった。
 そこは都内でも有名なポップコーン屋だ。

 さすがは超有名店だ。長蛇の列ができている。
 この列に長時間並べばどれだけの疲労を溜めることができるのだろうか。想像するだけでワクワクする。
 そんなことを考えながら有名ポップコーン屋の長蛇の列へと並ぶ。
 疲労を溜めることが目的で並んだのは、多分僕が初めてだろうな。


 一時間並んでポップコーンを買うことに成功した。
 ポップコーンなんて塩味しか食べたことがない人生だったが、ここで初めてカレー味とイチゴ味の二つのポップコーンを購入した。
 カレー味は無難だろう。絶対に美味しいはずだ。
 イチゴ味は変化球だが普通に興味があった。塩味しか食べたことがない僕からしたら消える魔球かもしれない。

 長蛇の列に並んでいて一番辛かった事は一時間並んだことではない。
 他の客からの視線だ。

 前に並んでいるカップルは、終始イチャイチャしていた。人目を気にせずに堂々とイチャイチャしていた。
 さすが都内だ。羞恥心を忘れたサルが多い。
 しかもオスザルは僕にイチャイチャを見せつけているようにも思えた。否、絶対にそうだ。
 これはストレスポイントが高い。

 後ろに並んでいる女子高校生四人組もストレスポイントは高かった。
 一人で並ぶ僕を話題の種にしていた。

「うわっ、ポップコーン屋に一人で並んでるよ~」

「キモッ」

「彼女いないんじゃね」

「ウケる」

「童貞かよ~」

「逆ナンしてみようぜ~」

「キモいキモいキモいキモいキモい無理無理無理無理」


 聞こえる声で言っているのだから確信犯だ。
 昨日までの僕だったら耐えられずに死んでいたに違いない。
 でも金縛りちゃんのためだと自分に言い聞かせてなんとか耐えられたんだ。
 あと、童貞は余計なお世話だから。人を見た目で判断するな。当たってるけど。


 結果、精神的ストレスと疲労を溜めることができた。計画通りだ。


「疲れた……」

 誰にも聞こえない声で一言溢したのと同時に腹が鳴る。

 何も食べずに一時間も並んだのだ。腹が減るのも当然。
 バイトまでまだ時間はある。
 ラーメンでも食べに行こう。

 向かった先は家系ラーメン店。
 券売機で家系ラーメンを選択。
 食券を店員に渡した後、カウンター席へと案内される。
 五分ほど待つと席にラーメンが運ばれてくる。
 ほうれん草とウズラの卵、タマネギ、チャーシューがのった黄金色に輝く濃厚な家系ラーメンだ。

 暴飲暴食とまではいかないものの、何も気にせず本能のままに食した。スープも飲み干してやった。

 腹が満たされると動きたくなくなる。
 居酒屋のバイトが始まるまで何もすることなく時間が経つのを待った。
 この何もしない時間も意外とストレスを感じる。

 バイトが始まると僕はいつも以上に体を動かした。自然と声も大きくなる。
 したくもない笑顔を、無理やり作った笑顔を何回もやった。
 改めて思う。接客業は本当に大変だ……。
 いつも以上に体を動かして一生懸命働いたおかげか、時間が経つのがあっという間だった。
 いつもの五倍は早く終わった気がする。

 肝心の迷惑な酔っ払いはというと、なことに来店しなかった。
 本当に残念だ。一番のストレスポイントだったのに。

 帰宅すると真っ先に台所に向かう。
 棚を開けて大きめの食器、否、鍋を取り出す。
 珍しく調理をするためではない。一時間も並んで購入したポップコーンを入れるためだ。
 カレー味のポップコーンとイチゴ味のポップコーンを乱暴に入れる。
 雑でいい。味が混ざるなんて関係ない。

 ポップコーンが入った鍋を持ちながら部屋へと向かう。
 そして昨夜、布団の中で『金縛り』について調べに調べまくったスマホを開く。
 また『金縛り』について調べるためではない。
 ウサギのキャラクターが登場するアニメを視聴するためだ。
 このアニメの視聴が僕の一番の楽しみと言っても過言ではない。

 否、違和感がある。
 一番の楽しみ?
 違う。
 僕の一番の楽しみはアニメの視聴なんかじゃない。


 『金縛り』にかかって『金縛りちゃん』に会うことだ。


 だからと言ってアニメの視聴を辞めるわけではない。
 アニメの視聴が二番目の楽しみに下がっただけのこと。

 口の中が寂しくならないようにカレー味とイチゴ味のポップコーンを放り込む。
 カレー味のポップコーンが先に無くなったのは、それだけカレー味のポップコーンが美味しかったということだろう。
 むしろ塩味よりも美味しいかもしれない。
 イチゴ味は微妙でした。


 アニメを視聴してポップコーンを食べる。ただそれだけ。
 ただそれだけのだらだらとした時間が過ぎていく。

 これも計画通りだ。

 心身共に疲労が蓄積しているのがハッキリとわかる。
 これなら『金縛り』にかかるかもしれない。そして念願の『金縛りちゃん』に会えるかもしれない。

 食べ残したイチゴ味のポップコーンを片付けることなく、風呂場へと向かう。

 風呂から上がりすぐに寝支度を整える。

 ベットにダイブ。布団の中へと潜る。

 疲労のせいか、いつもよりも早く睡魔が襲ってきた。

「お願いします。金縛りちゃん」

 声に出して強く願った。
 強く願うのと同時に目蓋のカーテンを閉めた。
 直後、暗い暗い深い深い闇の中へと意識が消えていった。
しおりを挟む

処理中です...