贖イノ旅路

茶呉耶

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暗黙の空

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 夜の狭い宿舎の狭い部屋の中には二人の人間と思しき者たちが居た。二人は双方に疑心暗鬼の状態となっていた。一人は多くの殺人鬼をあやめてきた恐ろしき賞金獲り、もう一方は多くの人々を残忍な方法で殺してきた非常な殺人鬼の少年。この二人が一室で一同に会すれば己の生死をかけた闘争、すなわち殺し合いが始まるのは必至の事であった。二人はしばらくの間静止した状態から微動だにすることは無かった。

 殺人鬼は少年へと回帰した。少年の顔は酷く強張っていた。この賞金獲りの真意が何処にあるのか理解できていなかった。この後何が起こりえるのか予測することなど不能だった。二人の沈黙は一時間を過ぎ、部屋は凍結の限りを尽くしていた。

 そんな中賞金獲りはこう口を開けた。

「焼き殺し? そんなことをこのいたいけな少年にするはずが無いだろう。私はただ単純に君の身柄をここに預けようとしたに過ぎない。ただ保護しようとしているだけだ。」

 それは先の少年の緊迫的状況下から生まれた質問への応答だった。少年にとって見ればひとまずここで死への危険性は回避された。但しその言葉に今後の命への保障の言葉は無い。少年は旅人の言葉をそう解釈した。

 暫くの安全と共に残ったのは幾つかの謎であった。気付けばあの夢を見る前の記憶を一片も覚えてない。

 そのことが少年の恐怖心を一層に増幅させた。思わず少年は賞金獲りに対してこう口にした。

「おまえは......一体誰だ?」

「おや、記憶が無いのか。ついさっきまであの酒場で死闘を繰り広げていたはずなのだが」

 そういうと賞金獲りの顔は何かを確信したかのような目つきとなり、部屋を出ようとした。

 少年は頭が真っ白になっていた。特異な状況下、歪な賞金獲りの行動。少年から五感で感じ取れる全ての情報が異常事態を示していた。めぐるめく流れていく大量の記憶が一気に放出され、少年はその情報量に圧倒されて気絶寸前にまで至っていた。

「おい、一体どういうことなんだ!? 保護だの決闘だの酒場だのお前が何を言ってるのか解らねえよ!何故俺はこんな事態になっているんだ!?一体何がなんだか・・・」

 少年は自然と早口でそう喋り大きく咳をした。の口から言葉の次に出てきたものは血であった。

「何故だ・・・何故血が・・・」

 少年はそうして酷く驚愕していた。それを賞金獲りは傍目に見るようにしてこう言った。

「その血が今のお前の状況を端的に表した物だ。今はお前の身柄の問題もある。下手に動かない方がいい。少しは安静にしていろ。」

「おい! あんた何処に行くんだ!」

「何処って、単に私は酒場に用があってそこに行くだけだ。」

「酒場!? そうだ俺もそこに用があるんだ! 俺もついて行く!」

 そう少年が言うと賞金獲りは少しだけ考えてこう返答した。

「・・・・・・それはお前が言っているのか?」

「それはどういうことだ!?」

「まだ意味がわからなければそれでいい。時が過ぎればいずれ解る」

 賞金獲りはその言葉を最後にして部屋から出て行った。部屋にはベットの上で起き上がったばかりの少年がぽつんとそこに存在しているだけだった。

「何が何なんだ・・・・」

 そう言った少年に出来ることはそのことに深いため息を吐くのみであった。


 旅人にとってしてみれば少年は謎の多き人物であった。

『奴』は少年であった。それだけは旅人が直に目撃した確かな情報であった。しかしそれが逆でも成立するという風に旅人が考えることは出来なかった。旅人の選択肢において、「彼を殺す」という選択は徐々に薄まりつつあって、最早無いに等しくなっていた。旅人は『奴』と一戦を交わした時を思い出した。

 その時に旅人は『奴』の目を見たとき、これからやろうとしている行動におぞましい感情を抱いてしまっていた。そのおぞましい感情が何だったのか、旅人は少年の目が覚めるまでその意味を探っていたが答えは見つかる気配すら見せなかった。旅人にはそれが妙に恐ろしく感じさせられていた。

 旅人はひとまず外へと出たが、特にこれといって行き先は無かった。この時既に旅人の目的は一変していた。旅人はこの行動が一体誰のためにあるのか全くとして理解していなかった。一体何のために保護したのか、一体誰がそれを求めているのか。旅人はそんな事について思考に思考を重ね続け、自問自答をしていた。

 旅人もまた、混乱の身であったのだ。しかしその混乱はいつものそれとは少しだけ性質が異なっていた。旅人には目の前に見える景色から暗い色彩が無くなるような感覚を得ていた。外一帯には強い太陽の光が射し込んで、それは旅人の顔を照らすように明るかった。旅人は何故か、そのことに対して凄まじく気分が高揚しているようであった。しかしそれが何に起因しているかについては解ることができなかった。

 ただ一つだけ旅人が確信していたことは、これからの使命は少年を何としてでも死守することであった。

 旅人はそんな中で突如としてひどい頭痛に苛まれた。体の突然の非常事態に旅人は身構えることなど当然出来ず、なすすべも無く倒れてしまった。さっきまで強い光が差していた旅人の視界は段々と暗黙を帯びてきて狭くなっていった。微かに見える部分には黒い服を着た背の高い男性らしき人が去っていくのが見えた。見るからにそれは怪しい人物であったが、立ち上げることの出来ない旅人にはもう考える余裕すらも無くなっていった。意識は朦朧として体から遠のいていき、ついにその瞳を閉じてしまった。

 空は曇り空で、雨が少しずつ降り始めていた頃であった。
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