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一章
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しおりを挟むそのせいで周りと衝突してしまうことも多々あった。そういったいざこざは、自分の実力でねじ伏せながらこれまで生きてきたのだ。
だが、初めてジュセルを見たとき、胸の内をがしりと掴まれて揺すぶられるような衝撃を感じた。ああ、このヒトを逃がしてはならない、自分の今後の人生にこのヒトが絶対に必要なのだ、と感じた。
このヒトなくしては自分の幸せはないのだ、と。
そう思えばするすると言葉が出てきたし、行動ができた。自分でも不思議ではあったし驚くようなことをしている自覚はあった。
しかしそれを気にしていられないほどに、必死だった。
だが、それほどまでにほしいジュセルを、自分が危険にさらしている。
そのせいで、ようやく口にできている自分の気持ちを、表に出さないでくれと言われている。
ケイレンの胸の内は、悲しみと後悔と困惑が入り混じって荒れていた。
ジュセルはケイレンに手をくるまれたままにさせて、少し下を向き黙っている。その表情は、戸惑っているようにも何かを我慢しているようにも、助けを求めているようにも見えた。
ジュセルの手を掴んでいた手でぐっと自分の方に引き寄せて抱きしめる。びくり、とジュセルの身体が一瞬硬直したのがわかったが、すぐに力を抜いてくれたので、ケイレンは内心ほっとした。
ケイレンは、ジュセルに言われたことを心の中で噛みしめつつ、言葉を絞り出した。
「‥‥ジュセルの、気持ちはわかった。できるだけ‥努力はする。ジュセルは、信じられないかもしれないけど‥俺が自分の気持ちをこんな風に言えるのはジュセルに対してだけなんだ。心の裡を他人に訴えることでこんなにも満たされることがあるなんて、俺はこれまで知らなかった。そういうことの幸せを、ジュセルが俺にくれたんだと思ってる」
ケイレンはそう言うと腕の中のジュセルの頭に唇を寄せ、その頭にそっと口づけた。鼻の中をジュセルの甘い香りが抜けていく。大きな手でジュセルの蒼い髪を梳きながら、言葉を継いだ。
「だから‥我慢、するつもりではいるけど、‥思わず出ちまうことはあると思う、ごめん」
「‥わかった、ありがと‥」
ジュセルは細い声でそう言うと、おずおずと自分の頭をケイレンに擦り付けた。その動作がまた愛しくて、ケイレンは抱きしめている腕にぐっと力を込めた。
ジュセルの心の裡にも感情の風が吹き荒れていた。
やはり、ケイレンは恋愛感情として自分のことを好きでいてくれるのだろうか?だとしたら、まだ出会って間もない自分の事を、どうしてこんなに想ってくれるのだろう。その理由がわかれば、こんなに不安にならずに済むのかもしれないのに、とジュセルは思った。
このたくましい身体を抱きしめ返したい。だが、ケイレンの気持ちの方向がわからないまま勘違いしたくない。
そこまで考えて、ジュセルは(‥俺は、自分が傷つきたくないだけなんだな)と思い至った。同時にそんな勝手な自分が恥ずかしく、いたたまれない気持ちになる。そんな感情が湧いてきたジュセルは、そっと身をよじってケイレンの腕の中から逃れた。
ジュセルに逃げられたケイレンは思わずもう一度腕を伸ばそうとしてやめ、その腕を引いた。二人、言葉もなく厨房で向かい合い、沈黙のまま立ち尽くしているとアニスの声が聞こえてきた。
「黒剣~!ヤーレから手紙来たぞ~!」
その言葉を聞いてようやくケイレンはぎくしゃくと身体を動かし、厨房を出て行った。その後ろ姿を見て、ジュセルはほっとし、そしてほっとした自分自身に嫌悪感を抱いた。
(‥‥俺って、こんなに自分勝手なやつだったんだ‥)
身体にはまだケイレンの腕の感覚が、髪にはケイレンの指の感覚が残っている。
ジュセルはきゅっと唇を噛んだ。
居間の長椅子にだらりと腰かけたアニスが、ひらひらとヤーレからの手紙を振っている。アニスの傍まで行って手紙をひったくり、向かい側の長椅子に腰かけて手紙を開いた。
内容は、ジュセルが今受けている依頼をどうするつもりか、ということと、万能薬の入手可能時期についてのこと、そして裏請負会の動向についてのものだった。
手紙に目を走らせているケイレンを見つめながらアニスが訊いてくる。
「ヤーレ、なんだって?」
「‥万能薬は、十日後くらいには手に入りそうらしい。結構吹っかけられてるが‥まあ払えない額じゃない」
ピューイ、とアニスが口笛を吹いた。
「さすが黒剣、稼ぎがいいねえ」
茶化すようなアニスの口調に構わず、ケイレンは話を続けた。
「後はジュセルが受けている依頼を引き下げるかどうかってことと、裏請負会の動向だ。‥‥確定ではないが、やっぱり依頼人はハリスの線が濃い、と言ってる。読み通りグーラを倒しても次がやってくることには間違いがないな」
ケイレンは早口にそう言うと、ヤーレに向けて返事を書くため自室に向かおうとしてふと足を止めた。
「‥ジュセルの依頼をどうするか、は‥やっぱりジュセルに訊いた方がいいだろうな‥」
「そうだろうね。ジュセルはなかなかしっかりしてそうだし、責任感もありそうだ」
アニスは自分の髪を弄びながら答えた。ケイレンは眉を寄せた。
「‥手紙を持ってきたやつは、まだ待たせてんだよな?」
「ああ、返事を待ってる。玄関で待たせてるけど?」
ケイレンは少しの間考えていたが、意を決したようにアニスに向かって言った。
「‥アニス、悪いけど‥依頼をどうしたいか、アニスがジュセルに訊いてきてくれないか?まだ厨房にいると思う」
アニスは少し目を見開いてケイレンを見た。ケイレンはテーブルの上に置かれたヤーレの手紙に目を落としたままだ。ふむ、と頷いてアニスは立ち上がった。
「ま、いいけどね」
ジュセルは何をする気も起きずに、厨房にある椅子に腰かけたままぼーっとしていた。自分がこれからどうすべきかよくわからない。命を狙われていることに終わりが見えないこともある上、ケイレンへの気持ち、とケイレン自身の気持ちがよくわからないこともジュセルの胸の内を曇らせていた。
そこへひょいとアニスが顔を出した。
「ジュセル、今いいかい?」
「あ、うん、何もしてないし。そこにかけて」
作業台の傍にある簡素な椅子を指さすとアニスはすとんとそこに座った。そしてすぐに話を切り出した。
「今ヤーレからの手紙が来たんだけど、ジュセルの依頼をどうするかって。ちょっとこの状態じゃあ達成は難しそうだろ?」
「あ、うん、そうだな‥」
先日採取したサラグアは、一応きれいに束にして出荷できる状態にはしているが、残りの依頼品を採取できる見込みは当分ない。
ジュセルは力なくうなだれながら答えた。
「‥引き下げるよ。期日までの採取は無理そうだし‥でも、せっかくだからサラグアだけでも納品したい。料金は要らないからヤーレさんに言づけてもいいかな。‥あと、違約金払わないとだよな」
立ち上がろうとするジュセルを、アニスが手で制した。
「うん、違約金は確かに発生するけど、その支払いはまだ後でいいと思うよ。サラグア、タダであげちゃっていいのかい?」
「うん、俺のせいで依頼が遅れちゃうだろうし‥それだけでも相手方に納品してもらえたらなって」
アニスはにこりと微笑んだ。
「そりゃあ依頼主も喜ぶよ。サラグアはすぐ渡せる状態なのかい?」
「うん。持ってくる?」
「ああ、頼む。玄関に請負人が待ってるから‥あ、でもまだケイレンがヤーレに返事書いてるから、私に渡してくれるかい?ケイレンの返事が書き終わったら渡すよ」
「わかった」
すぐさま部屋に戻り、サラグアを持ってきてアニスに渡す。アニスはそれを受け取るとケイレンの部屋の方へ向かっていった。
(‥ケイレン、俺と話したくないからアニスに言づけたのかな‥)
そう考えると気分が落ち込んでくるのがわかった。暗い考えを振り払うように頭をぶんぶんと勢いよく振って、また厨房に向かう。やることもないので夕飯の仕込みをしておこうかと思ったのだ。時間はあるから煮込み料理にでもしよう。それに残っているコモを挽いて粉にもしておきたい。今夜の分は薄く延ばしてすいとんのようにしてもいいかもしれない。
(変なことは考えずに、自分ができることをやろう)
そう思い定めてコモの袋を取り出し、挽き臼を取り出した。
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