日本での常識しか知らない俺には、異世界の普通がわからない

天知 カナイ

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三章

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「うふふふ、来ちゃった♡」
「‥えっ?」

昼餉を済ませて何となくのんびりした空気が漂っていたケイレンの屋敷の玄関ホールで、大きめの鞄を下げたスルジャがニコニコ笑っている。扉を開けたケイレンも、その後ろから見ていたジュセルも驚いてその姿をじっと見た。
スルジャは大きな鞄をケイレンの胸辺りにぐいと押しつけ、ホールの階段横で見ていたジュセルの元に駆け寄ってきた。よく見ればケイレンに押しつけた鞄だけでなく、背中にも何やら大きな荷物を背負っているようだった。
「ジュセル~!来たよ!」

「あ、スルジャさん?来る前に‥」
連絡するとか言ってなかったか?とジュセルが思った瞬間にギュッと抱きつかれた。スルジャの豊かな胸がジュセルの身体にもぎゅっと押しつけられる。なんかこのところ胸を押しつけられることが多いな‥と思わず空を仰ぎつつ、ジュセルはできるだけ柔らかにスルジャの身体を押しのけた。
「いやもう面倒くさくなって直接来ちゃった♡色々道具も揃えたしヤーレにも了解取ったし、しばらくここでお世話になるね!」
「はあ?!俺は聞いてないぞ!」

押しつけられた鞄を抱えたまま、ケイレンは憤慨した。ジュセルがスルジャの身体を押しのけていなければ、今にも飛びかかってきそうな形相をしていた。スルジャはそんなケイレンをちらりと見てにんまりと笑った。
「やだなあ~そんな怖い顔して。ジュセルのためでもあるんだからつべこべ言わない!客室がまだ余ってるって聞いてるよん♡ジュセル、案内してくれる?」
そう言ってスルジャはジュセルの手を握る。それを見たケイレンがスルジャの鞄を放り投げてすっとんできた。
「何ジュセルにべたべたしてんだよっ!」

そう言ってスルジャの手を乱暴に取ってジュセルからもぎ離し払い落とす。ぐっと掴まれたのが痛かったのか、スルジャは顔を顰めて声を上げた。
「うわ、痛ったあ~~!ひどっ!わざわざ来てあげたのに!」
「えっ、大丈夫?」
大仰に手を振って痛がる様子を見せたスルジャを、ジュセルは心配してその手を取ろうとした。すると横からケイレンがそのジュセルの手を握ってそれを阻止してくる。
「大丈夫に決まってる!こいつは解析師やる前は野獣退治やってたやつなんだぞ!」
「えっ」 

スルジャは手のひらを片頬に当てて小首をかしげてみせた。
「やだなあ、そんな昔の話‥もうあたし戦えないよぉ~最近武器なんて持ってないし♡」
「うるせえ!とにかくジュセルにつきまとうんじゃねえ!」
ケイレンの怒鳴り声などものともせず、スルジャはまたついとジュセルの手を取って微笑んだ。
「ね、客室空いてるって聞いてるんだけど案内して?」
「あ、ん、えっと」
ジュセルは困惑した顔のままケイレンを振り返った。ケイレンはすぐさまジュセルの手を取り返し腕の中に抱き込んだ。

「そこの階段上がってけ!廊下の右側、奥から二部屋は空いてる。手前はアニスが使ってる』
そう言ってジュセルを抱きしめたままその頭に鼻先をうずめている。ジュセルは案内したほうがいいのか、しかしここは一応ケイレンの家だからケイレンがこう言っているのならしない方がいいのか?と腕の中で考えていた。スルジャはくすくすと笑いながら放り投げられていた鞄を拾い上げ、足取り軽く二階へと上がる階段の前まで移動してこっちを見ている。

それを確認して、ようやくケイレンはジュセルを抱きしめていた腕を緩めた。
「‥何でウチに来るやつはどいつもこいつもジュセルにちょっかい出したがるんだ‥」
そうぶつぶつ言っているケイレンに、ジュセルは呆れた様子で声をかけた。
「いや、ケイレンがそうやって過剰反応するから面白がってるだけだと思うぞ」

そう言って自分をまだ腕の中に閉じ込めているケイレンの顔を下から見上げてみると、不満そうな表情を浮かべた美しい顔が見えた。ふっといたずら心が湧いたジュセルは、その顔に手を伸ばしてぐいと引き寄せ、ちゅっと軽く口づけた。
「!?」
人前でジュセルがこのように自分から口づけてきたのが初めてだったので、ケイレンは驚きのあまり動きを止めた。そんなケイレンの様子を見て、ジュセルは恥ずかしそうに笑ってみせた。

「‥俺は、間違いなく‥ケイレンが好きなんだから、そんなに心配すんなよ』
そう言い置いてジュセルはにやにやしてみていたスルジャを二階に案内すべく、そこから立ち去った。
残されたケイレンは顔を真っ赤に染めて、自分の唇を撫でた。
「‥‥ジュセルが。ジュセルが俺を惑わそうとしている‥!」
心は通じ合ったものの、まだ肌を合わせるには至っていない。この世界トワでは、気持ちを確かめるためにも性交をすることが当たり前であるので、内心ケイレンはうずうずしている。
だが、ジュセルがもう少し時を置きたいと言ったから仕方なく我慢しているのだ。
それなのにジュセルは、我慢している俺の心を試すようなことをしてくる‥!
ケイレンは滾る下半身を必死に抑えた。


「掃除だけはしてあるけど‥寝台がないんだ。今日買いに行って間に合うかな‥あ、でもここはケイレンの家だから、ケイレンに聞かなきゃなんだけど」
そう言いながらアニスが寝泊まりしている部屋の隣にスルジャを案内する。この屋敷ではどの客室にも簡単な湯浴み室(=シャワーのみ)が取り付けられている。しかしそこに温用石があったかな、とジュセルは確認をした。
「いい部屋じゃん!広いし、窓も明るいし。黒剣っていいとこ住んでんだなあ」
そう言いながら、スルジャは鞄を下ろした。どさり、という重い音がする。部屋に置いてある家具は、少し背の高い姿見に、簡素な机と椅子が二脚、それに大きめの箪笥と衣服をかけてしまっておく収納棚、飾り机だけだ。引きこもっている間に掃除も済ませてあるし壊れたところはアニスの手を借りて修理もしている。

「大体問題なく使えると思うけど‥」
そう言いながら窓を開けようとしたジュセルを、スルジャが鋭い声で制止した。
「開けないで!外から狙われる!」
その声を聞いてジュセルはハッと手を止める。少し前にも弓矢で狙われていたばかりなのに、なんと警戒心が足りないんだ、とジュセルは落ち込んだ。
「‥そう、だよな、ごめん。‥俺がいないときに開けてみて」
少ししょんぼりしながらそう言ったジュセルの肩を、スルジャは優しく撫でた。
「ごめんごめん、ちょっと言い方きつかったよね?ジュセルが悪いわけじゃないから」

しかし、七日ほど前にも庭で塀際に寄ったジュセルが狙われて攻撃されたばかりだ。狙われているのは自分なのに、こんなに警戒心が薄くては守ってくれているヒトに負担がかかってしまう、とジュセルは考えて気を引き締めた。
「うん、ありがとう、やっぱり俺がしっかり気をつけないとだよな、ねらわれてるのは俺なんだからさ」
スルジャは背に負った荷物の紐を緩めて床に下ろしながら微笑んだ。
「ジュセルのこの状況はジュセルの責任で生まれたものじゃないんだし、あんまり思いつめない方がいいよ。面倒なことは黒剣や護衛のヒト達に任せておけばいいんだし、こうやって気づけばあたしも注意するしさ。それより」

家具の置かれていない広いところで、スルジャは背に負っていた荷物を広げはじめた。小型の鍋や小皿、秤にすりこぎ、種々様々な匙やいくつもの薬草が詰められた小瓶などが所狭しと並べられる。
一通り並べ終わったところで、スルジャはジュセルの方を向いてまたにこっと笑った。
「早速お茶を調合してみようよ!」


スルジャが住み込むことにしたのは腰を据えてしっかりとジュセルのお茶の効能を解明したいから、ということに加えて、高能力者コウリキシャであるケイレンとアニスがいれば被検体にも事欠かないだろう、と踏んだからだ、と朗らかに説明してくれた。
「あたしはさ、これは万能薬に比肩するような発見じゃないかって思ってるんだよね」
薬草の瓶を種類ごとに並べ替えながらスルジャは言った。それを聞いたジュセルは「そんな大げさな」と言って笑ったが、スルジャの表情はあくまで真剣だった。ジュセルはその表情にのまれて笑い声が尻すぼみになる。
「ジュセルは、この辺に生えてるような薬草や香草しか使ってないでしょ?でも、凄い効能が出た。今は高能力者コウリキシャにしか飲ませてないけど、本当はリキシャじゃないヒトにも効果があるんじゃないかって思ってる。その情報を正確に取るためにもいっぱい実験を繰り返さなきゃいけないんだけど。それから薬効の高い薬草とかも使って作ってもらいたいんだよね。どういう効能のものができるか、試したい」


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