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三章
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しおりを挟むスルジャがもう少し書類などまとめてからヤーレに連絡するというので、ジュセルは厨房に降りてきた。調理作業台にはまだどデカい斧がぶっ刺さったままだ。
ジュセルはカッソの木片をもう一度工夫しながら薄く削いでいった。最初は燻製チップくらいの厚みにしか削れなかったものが、少しずつ薄く削れるようになっていく。
最初に火を点けておいた大鍋を覗けばぐらぐらと湯が沸いていた。火を消して大きめのボウルいっぱいくらいに削れたそれを入れる。大鍋の中にふわり、と鰹節に似た香りが厨房に立ち込める。
ゆっくりと鍋に沈んでいく薄いカッソの木片を眺める。ゆらゆらと揺れながら少しずつ湯を吸って沈んでいく。‥これは期待できるかもしれない。
別の大鍋を用意し、笊を上に置いて目の粗い布を敷いた。大体のカッソが鍋底に沈んだのを見計らって、カッソが沈んだ出汁をゆっくりと濾していく。全ての湯を移し替えたら笊を引き上げ、あまり絞らないようにしながら布を少しひねって湯を切った。
見た目は薄い黄金色に輝く綺麗な出汁に見えるし、匂いも出汁そのものだ。ごくり、と喉を鳴らして、ジュセルは大きめの木の匙で少し掬って飲んでみた。
「うっっっまあ~~~~!」
カッソの出汁は、上品な一番出汁くらい美味かった。
ジュセルは思わずもう一度匙で掬って飲んだ。美味い。そして懐かしい。ジュセルは自分が少し涙ぐんでいることに気づき、慌てて目尻をぐいと擦った。
‥‥俺って、やっぱり根っこは日本人なんだな‥出汁飲んだくらいで涙出るって、どんだけだよ。
この世界に生きてもう十六年が経っているし、自分もこの世界に馴染んできたつもりだったのだが、やはり魂に刻まれた記憶というのはそうやすやすと消えてはくれないらしい。
ふっとそんなことを考えてぼんやりしていたら、バタバタという足音と共に厨房にスルジャが現れた。
「何今の!?なんか美味しいものできたの?!」
「‥よく聞こえたな、スルジャ‥」
あまりの地獄耳に多少呆れた気持ちにはなったが、カッソのことを教えてくれたのもスルジャだ。苦笑しながらジュセルはスルジャを手招きして鍋の近くに呼び寄せた。そして匙にたっぷり出汁をすくって差し出した。
「飲んでみて」
スルジャは素直に匙を受け取りごくりと飲んだ。瞬間、スルジャの顔にぱああっと笑みが広がった。
「え、うま!味はしっかりあるのに、なんかあんまり強くなくて‥美味い!なんで?カッソってこんな美味いの?」
「もともとカッソはどんなふうに使われるものなんだ?」
スルジャは素早く二杯目を鍋からすくってごくりと飲み干してから答えた。
「カッソの木自体は、少しやせた土地の雑木林に生えるみたい。だから、スープに肉や魚を入れられない時に、小さな木片にして一緒に煮込んでる、って聞いたかな。でも加工が大変だからあんまり作っているヒトがいないんだよね‥‥ようやく最近、カッソの木で燻製を作る職人とかも出てきて、イェライシェンにも少し出回るようになったんだ」
ジュセルは腕組みをして顎に手を当てた。
「‥こうやって削って使うことはないのか‥多分、削って出汁を引いた方が美味いと思うんだよな‥」
「だしをひく?」
聞き慣れない言葉に、スルジャはおうむ返しをした。また、日本での言い回しを使ってしまったことに気づいて、ジュセルは慌てて言い直した。
「あ~、えっとスープの味の素にできると思って!‥薄く削れる道具を作って、カッソのスープのとり方を広めればさ‥」
と言いかけたジュセルの口を、スルジャが匙を持っていない方の手でばっと押さえた。急に口を覆われたジュセルは目を白黒させた。
「んが?!」
「‥ジュセル‥ちょっとこれ以上色々問題を発生させたらダメだよ‥ヤーレが死んじゃうから、カッソの話は暗殺の件がひと段落してからにしよう?」
「‥‥むが」
ジュセルは口を塞がれたまま承諾の返事をして、こっくりと頷いた。
グーラはほとほと困り果てていた。ライジは勝手に橙色の奴隷の首輪を装着してその鍵とシンリキ誓書を押しつけてきたが、まだグーラはそれに署名をしていないので首輪の効力は発動してはいない。だから首輪を外そうと思えば簡単に外れるのだが、ライジは一度装着したそれを決して外そうとはしなかった。
グーラは、仕事のたびに住まいを変える。宿屋に滞在するときもあれば短期で部屋や家を借りることもある。このところ、イェライシェンでの仕事が続いたので、中心から少し離れたところにある家を借りて住んでいた。ライジはグーラの後を辛抱強くついて回り、グーラの世話をし始めた。
もともとライジがベラと住んでいた部屋はもう解約し、家財道具もあらかた処分してしまったらしい。働いていた工房にも退職届を出したと言っており、これまで生活していた場所との縁を、ライジが自ら全て切ってしまっているような様子だった。
グーラはこれまで、他人と共に生活をしたことなどない。幼い頃に自分の傍にいた大人が、本当の親なのか、いまでもわからない。物心ついた時から裏社会に身を置いて、いいように使われてきた。そこで生き抜くために死に物狂いの努力をして、今のグーラがある。
普通の家に生まれていれば、また違う人生もあったのかもしれない、と子どもの頃はぼんやり思ったこともあったが、それも昔のことだ。
ひょんなことから拾う形になってしまったライジの存在は、グーラにとって面倒この上ないものだった。ヨキナの暗殺を頼まれたとはいえ、もらった金はわずかなものでとてもではないが普段のグーラの報酬には及ばなかった。足りない分を自分を奴隷として得た金で補ってくれ、ととんでもないことをいってのけたこの堅気のレイリキシャをどう扱えばいいのかわからない。
そもそも、グーラが堅気のヒトと触れ合うことはほとんどなかった。家や宿を借りるときにも少ない言葉を交わすのみだし、食事は裏請負会に関わりのあるところでとることが多かった。武器や暗器、毒の類は一括して任せている職人がいるからそこで済ませている。それ以外の堅気のヒトと言葉を交わすことも関わり合いになることもなかったのだった。
ヨキナにラスの死体を押しつけ、依頼不受理の届を一方的にしてからのグーラはすることもなく、家でだらだらしていることが多かった。時折、飼っている情報屋と会うために出かけるくらいしかすることはない。その間、ライジはグーラが借りている家を掃除して片づけ、日々の食事を作り、そのための買い物に行き、汚れ物を洗って干している。傷んだり破れたりした衣服や靴、小物なども器用に道具を使って修理していた。もとは裁縫師だったというから、そういった作業はお手の物なのだろう。
今も、台所で何やらしているライジを眺め、グーラはまた深いため息をついた。‥‥この家は何度か借りたことがあるが、湯を沸かす以外で台所を使ったことはなかった。この家の中に温かい料理の匂いがしているのは、なんとなく腰が据わらない感じがする。
自分の借りた家なのに。
そう思うと、何とも言えない心地がしてグーラの眉はぎゅっと寄せられてしまう。
ヨキナは自分が狙われることなど考えもしないようで自分のための警護など雇ってもおらず、正直殺そうと思えばいつでも殺せる状態だった。しかし、殺してしまえばそれはグーラの仕事になってしまい、料金が発生する。グーラとて熟練の暗殺者である。その報酬を勝手都合で安くすることなどはできない。裏請負会を通さない裏仕事は、裏請負会を通したものよりも割高にするのが裏社会のならわしである。
そうすると、やはりあの奴隷の首輪を発動させなければ、勘定が合わなくなる。
しかしそうなれば、グーラの元でライジを奴隷として使うか、他人に譲るかしなくてはならなくなる。堅気の裁縫師として暮らしてきたライジが、一般的な奴隷としての生活に耐えられるかは甚だ疑問だ。
かといって、手元に留めておくとするならば、このライジとの生活が続くことになる。‥‥それは御免蒙りたい。
今も何やら鍋で煮ながら味を見ているライジの後ろ姿を見て、グーラは何回目とも知れないため息をまた吐いた。
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