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四章
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しおりを挟む一瞬、足元の地面が無くなってぐわんと身体が揺れた気がした。次の瞬間、屋敷ではない別の場所の地面に立っているのがわかった。
しかし、身体も頭もまだぐるぐる回っているような気がして、がくりと膝から力が抜ける。そんなジュセルの腕を、予測したかのようにティルガががしりと掴んでくれていた。
「転移した、大丈夫か?」
全然大丈夫ではなかった。
うまく返事もできないくらい、身体がガクガク震えている。先ほどまでの不安から来る震えとはまた別ものだ。加えて誰かに締めつけられているかのように頭がずきずきと痛む。胸から何かがせり上がってくるような吐き気と気持ち悪さもあり、ジュセルの状態は最悪だった。
ティルガに腕を掴んでもらっているのに、その腕にすがることさえできない。ジュセルはそのまま膝をついてしまった。
ティルガはそんなジュセルの様子を見て、気の毒そうな顔をして鼻先を掻いた。
「あ~‥結構ひどく出ちまう質だったらしいな‥どうする?この辺で休んどくか?」
「‥い、く」
何か苦いものが込み上がってきそうなのを必死にのみ下して、何とかそれだけ答えると、ジュセルは地面に手をつき震える膝に喝を入れた。
早く、早く行かなきゃ。
俺の手でケイレンを助けるんだ。
ぶるぶる震えながら何とか立ち上がったジュセルを見て、ティルガは眉を下げて苦笑した。そして、ジュセルの腰の下の方に腕を入れると子どもを抱くようにして縦に抱き上げた。
「運んでやるよ。お前の根性に免じてな。気分が悪いならしばらく目を瞑っとけ」
ジュセルは子どものような抱き上げられ方をしたことに反論する気力もなく、言われるがまま目を瞑った。目を瞑っていると、頭が回るのが少しマシになるような気がした。
ティルガは軽々とジュセルを抱えたまま、ずんずんと進んでいった。
大きな天幕の中に入れられて下ろされる。マリキシャが三人ほど、一つの寝台の周りに立って囲んでいるのが見えた。そのうち一人はやや中腰になっている。
下ろされたジュセルは、また足下がぐらんと揺れるのを感じたが奥歯を噛みしめて踏ん張った。ティルガに背中を支えられながら寝台の方に近づいていく。ジュセルたちに気づいた一人のマリキシャが、少しずれて場所を開けてくれた。
「ケ、イレン‥?」
寝台には、死人のような真っ白な顔色でケイレンが横たわっていた。中腰のマリキシャがケイレンの口の中に指を入れ、そこからマリキを流しているようだ。力素は粘膜を通した方が入りやすいからだろう。
別人のようなケイレンの姿に、驚きと不安のあまり腰が抜けそうになる。だがその前に、勝手に足が動いた。よろよろと寝台に縋りつくと、そこに掛け布の外に出されているケイレンの手があった。
視界の廻るような不快感に見舞われながらも、何とか身体を動かしその手に自分の手を重ねた。
いつも熱くて頼りがいのあった武骨な手は、血が通っていないかのように冷たい。
「生き、てる‥?」
「生かしてる、って感じ、だ、‥ずっと、こうやって力素を流して、いないと‥息が絶える、だろう」
ケイレンの口の中に指を突っ込んでいるマリキシャが苦しそうにそう言った。その横にいた別のマリキシャが補足してくれる。
「元々の重症を治すためにも力素が必要なのに、まだ異生物の瘴気が浄化しきれていないせいで余計に力素が食われてる。‥いつまで持つか、ってところだ」
そう言われて、ジュセルは落とさぬよう懸命に握っている力素回復薬を取り出した。
「力素回復薬、です、これをのめば、何とかなり、ますよね?」
苦しさの中から切れ切れにそう訴えれば、マリキシャたちは眉を顰めた。
「‥‥だが‥もう、本人に、それを嚥下するほどのちからが残っていない、かも‥」
そう言われてジュセルは一瞬、目の前が真っ暗になった。
‥どういうこと?もうだめってこと?
俺は、間に合わなかった?役に立たなかった?
力素回復薬の瓶を手にしながら震えているジュセルに、ティルガがゆっくりと近づいてその肩に手を置いた。
「‥お前さんが、口移しに飲ませてみたらどうだ‥?恋人なんだろ?」
ティルガの言葉に、カチカチと音をたてながら瓶の蓋を開け、くっと全てを呷り口の中に溜めた。
何とか身体を引き上げて、ケイレンの身体に覆いかぶさるようにする。冷たい頬に両手を当てたとき、マリキシャが力素を流していた指を引き抜いた。
「今だ」
ジュセルは、ケイレンの頬の中にある歯列を探ってぐっと力を込め口を開けさせると、唇をつけてケイレンの口の中に回復薬を流し込んだ。
舌先を伝わらせて、少しずつ少しずつ慎重に流し込んでいく。横にいたマリキシャが、ケイレンが嚥下しやすくなるように頸の下に手を差し込んで少し傾けてやった。
全てを流し込んだ後も、ジュセルは離れなかった。ケイレンの冷たい舌先に自分の熱い舌先で絡めてその唾液を啜った。
甘い。意識もないのに、ケイレンの唾液は甘露のように甘かった。
グラグラ回る頭、そして寒気が治まらないのに、ケイレンの唇から離れたくない。一向に震えの止まらない腕で必死にケイレンの身体にしがみつく。
なんでこんなにごつい身体なんだよ、しがみつくのにも力がいるじゃねえかよ。
なあ、なんでまだこんなに身体が冷たいんだ?舌先も冷たいなんておかしいだろ?俺が、必死に作ってたこの薬、ケイレンには意味がなかったってのか?
‥‥そんなの、あんまりだよ。
ケイレンにしがみつき、口づけ続けながらジュセルの目からはぼろぼろと涙が零れ落ちた。
息が苦しくなって、ようやくジュセルは唇を離しケイレンの顔を見た。
すると、真っ白な顔色にほんの少しの赤みが差し始めた。はっとしてジュセルは片手でケイレンの手を握りしめ、もう片方の手でその頬を叩いた。
「ケイレンっ、ケイレン!起きろよ、俺だよジュセルだよ!起きろって!」
ぱちぱちとジュセルが頬を叩くのを、周りにいたマリキシャが止めようと身を乗り出したが、それをティルガが腕を伸ばして制した。
「ケイレン‥!」
「ジュ、‥‥セ‥?」
そこにいた全員が、驚いてケイレンの顔を見た。ケイレンは、うっすらと目を開けている。
ジュセルはぐわっと涙がこみあげてきて声が出なくなった。その代わりとばかりにケイレンの身体に飛びついて抱きしめた。
「な‥んで‥?ジュ‥」
かすれてひび割れたような声でケイレンがそう尋ねるのに、ジュセルは次々にこみ上げてくる涙のせいでうまく話せない。ひっくひっくとしゃくりあげるしかできないジュセルに代わってティルガが応えた。
「結構お前がやばそうだったから、俺がこの子を転移で連れてきたんだ。この子がキリキシャでよかったな。俺はキリキシャしか一緒に転移できないから」
「‥そ、か‥」
ケイレンは手をあげて自分にしがみついて泣きじゃくっているジュセルの頭を撫でてやろうとしたが、まだ全身にうまく力が入らない。横にいたマリキシャの一人が、ケイレンの手首を取って力素の流れを診た。
「‥‥ほぼ正常に戻ってる。‥‥瘴気も、消えてる‥‥どういうことだ‥?」
他の二人のマリキシャがその言葉を聞いてぎょっとした顔をした。そして三人で不審げに顔を見合わせている。それに気づいたティルガが、大袈裟なほどに呵々大笑した。
「あっはっはっは、すげえなあ、愛のちからだな!回復薬もすげえんだろうが恋人がいたってことがデカかったんじゃないか?力素の相性もよかったんだろうしな!」
半ば強引なティルガのまとめ方にマリキシャたちは無論首を傾げたが、ティルガは大きく両腕を広げて三人のマリキシャを囲むようにした。
「さあさあ、恋人たちを邪魔するのは野暮ってもんだ、二人だけにしてやろうぜ!なあ?ほらほら」
ティルガはそう言いながら三人のマリキシャたちをぐいぐいと囲んで押し出すと、天幕の外まで連れて行ってしまった。
自分たち以外の人々が全て天幕からいなくなったことを、気配で感じたジュセルがずずっと洟をすすり上げて大きく息を吸い込み、そして吐いた。なんとか喋れそうになったのを確認して、ケイレンの顔を見る。
ケイレンはまだ普段のような顔色までには戻っていなかったが、真っ白だった頬にはほんのりと赤みが差し、「生きている」と感じることができるようにはなっていた。
その顔を見ているとまた涙が零れてくる。
まだ疲労と力素不足のせいで、瞼をしっかりと開けていられないケイレンだったが、ジュセルの顔を少しでも見たい一心で一生懸命薄く目を開けている。
ようやく声が出せるようになったジュセルが、それでもしゃくりあげながら言った。
「さ、最短で、とう、討伐して、帰って、来るって」
「‥ん」
ひっくひっくと自分のしゃくりあげる声がうるさい、とジュセルは思った。こんな、子どものように、まだ重症のケイレンの前で泣いてるなんて、情けないにもほどがある。
でも、止まらない。
言葉も、涙も。
「帰って、来るって、言ったくせにぃ、何、やってん、だよぉぉ!」
「‥ご、めん、な‥」
また泣き出してしまったジュセルの頭に、ケイレンは精いっぱい頭を動かして摺り寄せるようにした。それに気づいたジュセルが顔をあげてケイレンを見つめる。
ひっく、としゃくりあげると、ケイレンの頬をまた両手で挟み込んで口づけた。
今度は、ケイレンの舌先からほんの少しの熱を感じ取れた。そしてジュセルの舌先に縋ってくるような動きも。
無論、交わされる唾液は何よりも甘かった。
誰もいない、広い天幕の中で、二人は言葉もなく、何度も何度も口づけを交わし続けた。
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