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二章
初子果
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それぞれがお茶を飲み終わった頃合いで、もう一度ヤルルアがアヤラセに尋ねた。
「わかったのはそれだけか?黒幕は誰かはわかってるのかい?」
アヤラセは眉間に皺を寄せ厳しい顔をして言った。
「ジョーイが、捕まえたやつの腕に刺青を見つけてて。それが聖タイカの対外機関の印じゃねえかって言ってたんだ」
「つまり、国ぐるみだってことかな。今聖タイカがこの国と関係をまずくする手を打つとは思えなかったんだが‥」
そう言って考え込むヤルルアに続き、ナガエも思案顔をして言う。
「‥なぜ、聖タイカ合国はカベワタリが欲しいのでしょう。かの国には大子果樹があります。ムリキシャであるリキ様を狙う理由があまりわかりませんね‥」
大子果樹とは、この世界の中で聖タイカ合国にしかない子果樹だ。その名の通りとても大きく、大子果樹一本のための子果清殿がある。
この大子果樹は、ムリキシャがいなくとも子果を実らせることができる。伴侶が全員で願えば、高い確率で子果が実る。
このところ各国でムリキシャが減少しつつあるが、聖タイカだけはこの大子果樹があるので余裕があるはずだ。
なのに、カベワタリを国家ぐるみで狙ってくる理由がここにいる面々にはよくわからなかった。
ヤルルアはアカーテにお茶のおかわりを頼んでから言った。
「国家と言っても、どこの国だって一枚岩じゃない。国家の中枢にいる誰かの思惑で動いてるんだろう。狙いを知るのも大事だが、今はとにかくリキの身を護る方に専念した方がいい。リキも自分の身はそこそこ守れると思うが、コウリキシャに来られると危ない。特にリキはリキシャの力に慣れてないだろうからね。」
アヤラセは頷いた。悪意を持って向けられるリキシャの力を、リキは体験したことがない。そもそも違う世界から来ているのなら、リキシャの力についても知識が曖昧な部分もあるだろう。
「しばらくは俺もここに留まろうと思う。今のところ異生物の発生は落ち着いてきてるらしいしな。他の依頼の件はまあぼちぼち対応するつもりだ」
「それがいいだろうね。私は明日にはアキツマに戻らなきゃならない。帰る前にギュレムと少し相談しておくよ。ああ、そういえばナガエ様、二か月くらい前に侵入してきた不審者というのはどういう類のものだったんですか?」
ヤルルアはここに案内されたときに子果清官から聞いた情報の詳細を聞きたがった。ナガエはすぐに答えた。
「ここに勤める子果清官に好意を寄せて、どうしても会いたいということで侵入してきたようです。まだ若者でしたので、身元をよく調べてからツトマ警護隊に引き渡しましたよ」
「‥怪しいところは無かった、と?」
ヤルルアの鋭い視線を受けて、ナガエは微笑んだ。
「うちの警備の者やツトマ警護隊の人々もよく調べてくれたようですから、そうだと思っています」
ヤルルアはライセンのようなやり口に少し嫌悪を覚えたが、ナガエの笑顔を見ているとこれ以上の反論はできないと考えた。
ライセンは今のところ、アキツマで大人しく仕事をしているようだ。あの事件の後、元居た解析師会は辞めさせられ、今はランムイが紹介した解析師会で働いている。働きぶりはまじめで、特に問題も起こしていない。ヤルルアとは顔を合わせないが、ランムイとはちょくちょく会っているようでアヤラセに会いたいとは言っているらしい。ランムイにはアヤラセに関することは固く口止めしてあるが、ランムイの考えていることはヤルルアにも読めない。約束は守っているよ、というランムイの言葉を信じるしかなかった。
念のため、知り合いの情報屋に時々ライセンの様子を探ってもらっているが、特に怪しい動きは見られないという報告ばかりだった。
ヤルルアは立ち上がった。
「では失礼する。ギュレムはいつもの部屋かな?彼に会ってから退異会館に行くよ」
「ご案内いたしますわ、ヤルルア様」
にこりと微笑みながら先導しようとするアカーテを見て、ちょっと顔を引きつらせながらヤルルアは後についていった。
ヤルルアを見送って何となく体から力の抜けたアヤラセははあ、と息を吐いた。それを見やりながらナガエはふっと小さく笑った。
「ヤルルア様は相変わらず、色々なところに容赦がないですね。アヤラセ様はよく頑張っていらっしゃいますよ」
「‥ありがとうございます。結局ヤルルアには一生敵いそうにないです‥」
「私は、アカーテに敵わないですね」
思わずアヤラセは深くうんうんと頷いて、ナガエの笑いを誘った。
リキはぼんやりと目を開けた。アヤラセがいない。ヤルルアに話があると言っていたから、そこに行ったのだろう。
緊急の話だと言っていたのに、甘えて先に抱いてくれるようねだってしまった。あんなに乱れてしまった自分に呆れてはいないだろうか。先ほどまでの自分の痴態やあらぬ喘ぎを思い出して、思わずリキは顔が熱くなるのを感じた。
羞恥でいたたまれなくなる上に久しぶりの交わりで身体が重い。だが、まだほんのり残る気怠い快楽の名残りに、リキは幸せの方を多く感じていた。アヤラセを身体全部で感じることが、リキにとっては何よりも幸せなのだということをこの一年で身に染みて理解している。
重い身体を引き起こして、もう一度湯あみをする。一生懸命掻き出しても、こぷこぷといくらでも零れ落ちる残滓にまた恥ずかしくなった。
(あんなに、欲しがってしまった)
そう考えて、また下半身の奥が疼く。もう一度鍛錬でもするか。ヤルルアにもらった棍棒でも振ってみようと思いついて、身体を拭いた。
その時、どくんと胸が鳴った。どく、どく、と大きく鳴っている。この拍動は子果樹がリキを呼んでいる時だ。そういえばアヤラセと、記憶が確かならば三度も精を交わした。
急いでさっと着替えて如雨露を持ち、子果樹のもとへ走る。如雨露もリキのために誂えた特別製だ。リキの子果樹はかなり手がかかり、夜中に水を要求したり、日に何度も植え替えを要求したりする。
だがこの拍動はいつもと違う感じがする。
今自分の子果樹が植わっている庭園へ駈け込んでそれを目にしたとき、もう一人清官がいて、腰を抜かしていた。
リキの子果樹は部屋いっぱいに光を放って輝いていた。輝きが強すぎて子果樹の姿が見えない。今この庭園に植わっているのは、小さな苗木とリキの子果樹二本だけだから、まず間違いなくこの光の出どころはリキの子果樹だろう。
光の奥でしゃりしゃりという静かだが美しい音がしている。腰を抜かして倒れている清官に手を貸して引き起こせばそれはポロシルだった。いつも冷静なポロシルの姿とも思えない、慌てふためいた様子だ。
リキは自分の子果樹があるだろう場所に向かって歩いた。光は一向に収まらず、しゃりしゃりという音もやまない。眩しすぎるのでゆっくりと近づく。手を伸ばしてそっと子果樹に触れると、ようやく光は収まった。
子果樹は、リキの背丈よりもわずかに大きいほどまで梢を伸ばし、枝先も増やしていた。そして、リキが触れた枝の先には金と銀の入り混じった色の梅ほどの実が生っていた。
ポロシルが、
「しょ、初子果だ‥」
と呟くのが聞こえた。リキはナガエの初子果を見ていたので、やはり自分の初子果は金色が混じるのだなと思ってそっとその実をなでた。なでると実はさらさらという美しい音を立てた。その様子を見ていたポロシルはごくりと息を呑んで言葉を継いだ。
「もう、成熟している⁉︎」
「ポロシル、これはもう成熟しているのか?」
ポロシルはようやく立ち上がって言った。
「普通、初子果が枝についた時は豆粒くらいの大きさなのだ。そこから少しずつ成長してウムの実ほどにまで大きくなる。‥だがリキ様のそれはもう、大きめのウムの実ほどあるな」
「ではもいでみ、よう‥」
そう言いかけてリキは初子果に手を伸ばそうとしたが、これは成熟していないからもぐことはできない、と急に理解した。
「‥ポロシル、この実はまだ成熟していない」
「‥わかるのか?」
「うん、もげない、ということがわかる」
リキはそっとまた初子果をなでた。さらさらさら、と初子果から音がする。いつまでも聞いていたいような、そんな音だった。
「リキ様、私はナガエ様に報告してくる。アカーテも呼んでくるから、出来ればこのままここにいてくれ」
「わかった」
リキはそう返事して、初子果をなで続けた。初子果はなでられるたびにさらさらと鳴っていた。
ナガエから話を聞いた時には、初子果がどれほどムリキシャにとって大切なものなのかということが、ぴんと来ていなかった。だがこうやって実った初子果を見ていると、あのナガエの優しい顔が理解できる。この実を自分の傍から離したくない。ずっとずっと見ていたい。どうしてもげないのだろう。もぐことができたら大事にしまって肌身離さず一緒にいられるのに。
しばらくそうして初子果をなでていると、ぱたぱたと数人の足音がして庭園にヒトが入ってきた。ナガエにアカーテ、アヤラセまでいる。アヤラセは久しぶりに見る子果樹だろうが、ナガエとアカーテは毎日見ているものだ。あからさまに変化している様子や、実っている初子果に目を留め、驚いているのがわかった。
「ナガエ殿、初子果が実りました」
ナガエは、扉の前で立ち尽くしていたがリキに声をかけられ、ゆっくりと子果樹に近づいた。
「‥大きさとしては、成熟したのでしょうね‥初子果も成熟した状態で生ったのですね。やはり色は金が混じっているのか‥」
「ナガエ殿、これは成熟していません。まだもげないのです」
リキの言葉にナガエはじっと初子果を見つめた。
「‥ああ、わかるのですね。では、成熟するまで待ちましょう。どのくらい大きくなるのか、ちょっと見当が尽きませんが‥」
アカーテはリキの身体を気遣った。
「子果樹が成熟すると時折、体調を崩すムリキシャもいるのです。リキ様、名残惜しいとは思いますが、一度お部屋に戻って休まれた方がいいと思います。」
気遣ってくれるアカーテの言葉は嬉しいが、今もし自分の体調がおかしいとすれば、おそらく先ほどのアヤラセとの交わりのせいだ。だがそうも言い出せず、顔を赤くしながら「わかった」と小さく返事をするしかなかった。
綺麗だな、とのんきなこと言っていたアヤラセも、アカーテに
「アヤラセ様、しばらくこちらに滞在されるのですよね?リキ様についていてあげてください」
と笑いかけられ、大人しく部屋までついていった。
三人が扉の向こうへ消えてから、ナガエは改めてリキの子果樹を見た。もともと子果樹はどれも銀色で、普通の植物とは違うと誰にでもわかる程の神秘性を持った樹だ。
だが、リキの子果樹はそういう普通の子果樹とは一線を画しているのがはっきりわかる程「特別」だった。枝ぶりの美しさに加え銀地の上に金粉がまぶされたような美しい色合い。しかもそれは一定ではなく、いつもゆらゆらと揺らめきながら輝いている。
この子果樹は、普通の子果樹と役割は同じなのだろうか。だとすればこの子果樹から子果を授けてほしいと言い出すものがどんどん増えるだろう。
それは、もめ事を引き起こすような気がしてならない。考えれば考えるほど、やはりリキは子果樹とともにアキツマへ向かった方がいいのだろう。アキツマの子果清殿はこことは比べ物にならないほど大きいので、リキと子果樹をしっかり守ってくれるに違いない。
ただ心配なのは、あまりに政治の中枢に近く、何かに利用されるのではないかということだった。ランムイが引き受けてくれる限り大丈夫だとは思うが、あのヒトも何を考えているのかヤルルア様が、私でもつかめないところがある、とおっしゃっていた。
無条件に安心はできない。
とにかく、初子果の成熟を待ってアキツマに移れるよう手続きをしておかねば。アキツマの大清殿にいるムリキシャの顔をあれこれ並べながら、誰に頼むのが一番よいか思案を始めた。
アヤラセは本当に出かけなくなり、毎日をリキと過ごした。リキは嬉しかった。そしてこんなにも自分はアヤラセを求めていたのだと改めて思った。
毎日のように睦み合い、快楽に溺れた。アヤラセは淫らなリキも好きだと言って口づけをした。恥ずかしさはあったが、それよりも嬉しさの方が勝って思わずアヤラセを強く抱きしめた。
アヤラセが留まるようになって十日ほど経った。初子果はきらきらと輝きながら少しずつ大きくなっていった。世話をしながら、リキは毎夜のように睦み合っているのだから成長が早いのだなと理解した。ひょっとして成長を早めるためにアヤラセが自分を抱いているのではないか、と疑ったが、例えそうであっても構わないとリキは思えた。寝台の上で自分を抱くアヤラセからは確かに愛を感じたからだ。
一年余りに及ぶこの国での暮らしは、リキを少しずつ、だが確実に変えていった。言葉遣いは意識して変えているが、知識や常識も身につけ些少の事では驚かなくなったと思う。
初子果が実れば、アキツマへ移動すると聞いた。アキツマはこの国の中心で、ツトマさえ比べ物にならぬほどの大都市だという。
そこでまた、慣れていかねばならない。正直気は重かったが、アヤラセと自分の子果樹とが傍にいる、と思えば不安を押し込められる。
リキは毎日ヤルルアの棍棒を振り、今では百回までは振れるようになっていた。鍛錬をしている時は何も考えずに済んで心が澄み渡る。やはりおのれは武辺の者なのだとリキは思った。名を捨てて随分になるが、本能寺襲撃のその後がどうなっているのかはずっと気になっていた。おのれがここに来たからには、兄や主もひょっとしたら来ている可能性もある。誰にも言わなかったが、リキはその心を捨てきれていなかった。
リキの初子果は水を好んだ。一日に少なくとも五度は水をかけるように要求してくる。しかもすべて違う井戸からの水を要求するのだ。子果樹のためにだいたい子果清殿にはいくつもの井戸が掘ってあるが、数があってよかったとリキは水をくみ上げながら思った。
今や初子果は大人の頭くらいの大きさにまで成長していた。こんなに大きな初子果は見たことがない、とナガエもアカーテも口をそろえた。子果樹の苗木の持ち主である幼いクラン以外には初子果の事は伏せられた。ポロシルはもちろん口外しなかった。
くみ上げた水を、リキはそっと初子果にかけた。初子果はさらさらとまた美しい音を立て嬉しそうにしている。
水をかけ終わった時、しゃりりりりとこれまでと違う音を立て始めた。枝の先で重そうに垂れ下がっている初子果は、その身を震わせ音を立てている。
熟したのだ。もいでくれと言っているのだ。
リキはそっと初子果を抱えてもぎとった。しゃりん、と軽い音を立てて初子果はリキの腕の中に転げ落ちた。
いとしい。かわいい。たいせつだ。
リキは座り込んで抱え込んだ初子果に頬ずりをした。腕の中のそれは温かく、リキの心に安らぎを与えた。
リキは初子果を抱え込んだままその場に横たわり、すうっと眠りに引き込まれていった。
「わかったのはそれだけか?黒幕は誰かはわかってるのかい?」
アヤラセは眉間に皺を寄せ厳しい顔をして言った。
「ジョーイが、捕まえたやつの腕に刺青を見つけてて。それが聖タイカの対外機関の印じゃねえかって言ってたんだ」
「つまり、国ぐるみだってことかな。今聖タイカがこの国と関係をまずくする手を打つとは思えなかったんだが‥」
そう言って考え込むヤルルアに続き、ナガエも思案顔をして言う。
「‥なぜ、聖タイカ合国はカベワタリが欲しいのでしょう。かの国には大子果樹があります。ムリキシャであるリキ様を狙う理由があまりわかりませんね‥」
大子果樹とは、この世界の中で聖タイカ合国にしかない子果樹だ。その名の通りとても大きく、大子果樹一本のための子果清殿がある。
この大子果樹は、ムリキシャがいなくとも子果を実らせることができる。伴侶が全員で願えば、高い確率で子果が実る。
このところ各国でムリキシャが減少しつつあるが、聖タイカだけはこの大子果樹があるので余裕があるはずだ。
なのに、カベワタリを国家ぐるみで狙ってくる理由がここにいる面々にはよくわからなかった。
ヤルルアはアカーテにお茶のおかわりを頼んでから言った。
「国家と言っても、どこの国だって一枚岩じゃない。国家の中枢にいる誰かの思惑で動いてるんだろう。狙いを知るのも大事だが、今はとにかくリキの身を護る方に専念した方がいい。リキも自分の身はそこそこ守れると思うが、コウリキシャに来られると危ない。特にリキはリキシャの力に慣れてないだろうからね。」
アヤラセは頷いた。悪意を持って向けられるリキシャの力を、リキは体験したことがない。そもそも違う世界から来ているのなら、リキシャの力についても知識が曖昧な部分もあるだろう。
「しばらくは俺もここに留まろうと思う。今のところ異生物の発生は落ち着いてきてるらしいしな。他の依頼の件はまあぼちぼち対応するつもりだ」
「それがいいだろうね。私は明日にはアキツマに戻らなきゃならない。帰る前にギュレムと少し相談しておくよ。ああ、そういえばナガエ様、二か月くらい前に侵入してきた不審者というのはどういう類のものだったんですか?」
ヤルルアはここに案内されたときに子果清官から聞いた情報の詳細を聞きたがった。ナガエはすぐに答えた。
「ここに勤める子果清官に好意を寄せて、どうしても会いたいということで侵入してきたようです。まだ若者でしたので、身元をよく調べてからツトマ警護隊に引き渡しましたよ」
「‥怪しいところは無かった、と?」
ヤルルアの鋭い視線を受けて、ナガエは微笑んだ。
「うちの警備の者やツトマ警護隊の人々もよく調べてくれたようですから、そうだと思っています」
ヤルルアはライセンのようなやり口に少し嫌悪を覚えたが、ナガエの笑顔を見ているとこれ以上の反論はできないと考えた。
ライセンは今のところ、アキツマで大人しく仕事をしているようだ。あの事件の後、元居た解析師会は辞めさせられ、今はランムイが紹介した解析師会で働いている。働きぶりはまじめで、特に問題も起こしていない。ヤルルアとは顔を合わせないが、ランムイとはちょくちょく会っているようでアヤラセに会いたいとは言っているらしい。ランムイにはアヤラセに関することは固く口止めしてあるが、ランムイの考えていることはヤルルアにも読めない。約束は守っているよ、というランムイの言葉を信じるしかなかった。
念のため、知り合いの情報屋に時々ライセンの様子を探ってもらっているが、特に怪しい動きは見られないという報告ばかりだった。
ヤルルアは立ち上がった。
「では失礼する。ギュレムはいつもの部屋かな?彼に会ってから退異会館に行くよ」
「ご案内いたしますわ、ヤルルア様」
にこりと微笑みながら先導しようとするアカーテを見て、ちょっと顔を引きつらせながらヤルルアは後についていった。
ヤルルアを見送って何となく体から力の抜けたアヤラセははあ、と息を吐いた。それを見やりながらナガエはふっと小さく笑った。
「ヤルルア様は相変わらず、色々なところに容赦がないですね。アヤラセ様はよく頑張っていらっしゃいますよ」
「‥ありがとうございます。結局ヤルルアには一生敵いそうにないです‥」
「私は、アカーテに敵わないですね」
思わずアヤラセは深くうんうんと頷いて、ナガエの笑いを誘った。
リキはぼんやりと目を開けた。アヤラセがいない。ヤルルアに話があると言っていたから、そこに行ったのだろう。
緊急の話だと言っていたのに、甘えて先に抱いてくれるようねだってしまった。あんなに乱れてしまった自分に呆れてはいないだろうか。先ほどまでの自分の痴態やあらぬ喘ぎを思い出して、思わずリキは顔が熱くなるのを感じた。
羞恥でいたたまれなくなる上に久しぶりの交わりで身体が重い。だが、まだほんのり残る気怠い快楽の名残りに、リキは幸せの方を多く感じていた。アヤラセを身体全部で感じることが、リキにとっては何よりも幸せなのだということをこの一年で身に染みて理解している。
重い身体を引き起こして、もう一度湯あみをする。一生懸命掻き出しても、こぷこぷといくらでも零れ落ちる残滓にまた恥ずかしくなった。
(あんなに、欲しがってしまった)
そう考えて、また下半身の奥が疼く。もう一度鍛錬でもするか。ヤルルアにもらった棍棒でも振ってみようと思いついて、身体を拭いた。
その時、どくんと胸が鳴った。どく、どく、と大きく鳴っている。この拍動は子果樹がリキを呼んでいる時だ。そういえばアヤラセと、記憶が確かならば三度も精を交わした。
急いでさっと着替えて如雨露を持ち、子果樹のもとへ走る。如雨露もリキのために誂えた特別製だ。リキの子果樹はかなり手がかかり、夜中に水を要求したり、日に何度も植え替えを要求したりする。
だがこの拍動はいつもと違う感じがする。
今自分の子果樹が植わっている庭園へ駈け込んでそれを目にしたとき、もう一人清官がいて、腰を抜かしていた。
リキの子果樹は部屋いっぱいに光を放って輝いていた。輝きが強すぎて子果樹の姿が見えない。今この庭園に植わっているのは、小さな苗木とリキの子果樹二本だけだから、まず間違いなくこの光の出どころはリキの子果樹だろう。
光の奥でしゃりしゃりという静かだが美しい音がしている。腰を抜かして倒れている清官に手を貸して引き起こせばそれはポロシルだった。いつも冷静なポロシルの姿とも思えない、慌てふためいた様子だ。
リキは自分の子果樹があるだろう場所に向かって歩いた。光は一向に収まらず、しゃりしゃりという音もやまない。眩しすぎるのでゆっくりと近づく。手を伸ばしてそっと子果樹に触れると、ようやく光は収まった。
子果樹は、リキの背丈よりもわずかに大きいほどまで梢を伸ばし、枝先も増やしていた。そして、リキが触れた枝の先には金と銀の入り混じった色の梅ほどの実が生っていた。
ポロシルが、
「しょ、初子果だ‥」
と呟くのが聞こえた。リキはナガエの初子果を見ていたので、やはり自分の初子果は金色が混じるのだなと思ってそっとその実をなでた。なでると実はさらさらという美しい音を立てた。その様子を見ていたポロシルはごくりと息を呑んで言葉を継いだ。
「もう、成熟している⁉︎」
「ポロシル、これはもう成熟しているのか?」
ポロシルはようやく立ち上がって言った。
「普通、初子果が枝についた時は豆粒くらいの大きさなのだ。そこから少しずつ成長してウムの実ほどにまで大きくなる。‥だがリキ様のそれはもう、大きめのウムの実ほどあるな」
「ではもいでみ、よう‥」
そう言いかけてリキは初子果に手を伸ばそうとしたが、これは成熟していないからもぐことはできない、と急に理解した。
「‥ポロシル、この実はまだ成熟していない」
「‥わかるのか?」
「うん、もげない、ということがわかる」
リキはそっとまた初子果をなでた。さらさらさら、と初子果から音がする。いつまでも聞いていたいような、そんな音だった。
「リキ様、私はナガエ様に報告してくる。アカーテも呼んでくるから、出来ればこのままここにいてくれ」
「わかった」
リキはそう返事して、初子果をなで続けた。初子果はなでられるたびにさらさらと鳴っていた。
ナガエから話を聞いた時には、初子果がどれほどムリキシャにとって大切なものなのかということが、ぴんと来ていなかった。だがこうやって実った初子果を見ていると、あのナガエの優しい顔が理解できる。この実を自分の傍から離したくない。ずっとずっと見ていたい。どうしてもげないのだろう。もぐことができたら大事にしまって肌身離さず一緒にいられるのに。
しばらくそうして初子果をなでていると、ぱたぱたと数人の足音がして庭園にヒトが入ってきた。ナガエにアカーテ、アヤラセまでいる。アヤラセは久しぶりに見る子果樹だろうが、ナガエとアカーテは毎日見ているものだ。あからさまに変化している様子や、実っている初子果に目を留め、驚いているのがわかった。
「ナガエ殿、初子果が実りました」
ナガエは、扉の前で立ち尽くしていたがリキに声をかけられ、ゆっくりと子果樹に近づいた。
「‥大きさとしては、成熟したのでしょうね‥初子果も成熟した状態で生ったのですね。やはり色は金が混じっているのか‥」
「ナガエ殿、これは成熟していません。まだもげないのです」
リキの言葉にナガエはじっと初子果を見つめた。
「‥ああ、わかるのですね。では、成熟するまで待ちましょう。どのくらい大きくなるのか、ちょっと見当が尽きませんが‥」
アカーテはリキの身体を気遣った。
「子果樹が成熟すると時折、体調を崩すムリキシャもいるのです。リキ様、名残惜しいとは思いますが、一度お部屋に戻って休まれた方がいいと思います。」
気遣ってくれるアカーテの言葉は嬉しいが、今もし自分の体調がおかしいとすれば、おそらく先ほどのアヤラセとの交わりのせいだ。だがそうも言い出せず、顔を赤くしながら「わかった」と小さく返事をするしかなかった。
綺麗だな、とのんきなこと言っていたアヤラセも、アカーテに
「アヤラセ様、しばらくこちらに滞在されるのですよね?リキ様についていてあげてください」
と笑いかけられ、大人しく部屋までついていった。
三人が扉の向こうへ消えてから、ナガエは改めてリキの子果樹を見た。もともと子果樹はどれも銀色で、普通の植物とは違うと誰にでもわかる程の神秘性を持った樹だ。
だが、リキの子果樹はそういう普通の子果樹とは一線を画しているのがはっきりわかる程「特別」だった。枝ぶりの美しさに加え銀地の上に金粉がまぶされたような美しい色合い。しかもそれは一定ではなく、いつもゆらゆらと揺らめきながら輝いている。
この子果樹は、普通の子果樹と役割は同じなのだろうか。だとすればこの子果樹から子果を授けてほしいと言い出すものがどんどん増えるだろう。
それは、もめ事を引き起こすような気がしてならない。考えれば考えるほど、やはりリキは子果樹とともにアキツマへ向かった方がいいのだろう。アキツマの子果清殿はこことは比べ物にならないほど大きいので、リキと子果樹をしっかり守ってくれるに違いない。
ただ心配なのは、あまりに政治の中枢に近く、何かに利用されるのではないかということだった。ランムイが引き受けてくれる限り大丈夫だとは思うが、あのヒトも何を考えているのかヤルルア様が、私でもつかめないところがある、とおっしゃっていた。
無条件に安心はできない。
とにかく、初子果の成熟を待ってアキツマに移れるよう手続きをしておかねば。アキツマの大清殿にいるムリキシャの顔をあれこれ並べながら、誰に頼むのが一番よいか思案を始めた。
アヤラセは本当に出かけなくなり、毎日をリキと過ごした。リキは嬉しかった。そしてこんなにも自分はアヤラセを求めていたのだと改めて思った。
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アヤラセが留まるようになって十日ほど経った。初子果はきらきらと輝きながら少しずつ大きくなっていった。世話をしながら、リキは毎夜のように睦み合っているのだから成長が早いのだなと理解した。ひょっとして成長を早めるためにアヤラセが自分を抱いているのではないか、と疑ったが、例えそうであっても構わないとリキは思えた。寝台の上で自分を抱くアヤラセからは確かに愛を感じたからだ。
一年余りに及ぶこの国での暮らしは、リキを少しずつ、だが確実に変えていった。言葉遣いは意識して変えているが、知識や常識も身につけ些少の事では驚かなくなったと思う。
初子果が実れば、アキツマへ移動すると聞いた。アキツマはこの国の中心で、ツトマさえ比べ物にならぬほどの大都市だという。
そこでまた、慣れていかねばならない。正直気は重かったが、アヤラセと自分の子果樹とが傍にいる、と思えば不安を押し込められる。
リキは毎日ヤルルアの棍棒を振り、今では百回までは振れるようになっていた。鍛錬をしている時は何も考えずに済んで心が澄み渡る。やはりおのれは武辺の者なのだとリキは思った。名を捨てて随分になるが、本能寺襲撃のその後がどうなっているのかはずっと気になっていた。おのれがここに来たからには、兄や主もひょっとしたら来ている可能性もある。誰にも言わなかったが、リキはその心を捨てきれていなかった。
リキの初子果は水を好んだ。一日に少なくとも五度は水をかけるように要求してくる。しかもすべて違う井戸からの水を要求するのだ。子果樹のためにだいたい子果清殿にはいくつもの井戸が掘ってあるが、数があってよかったとリキは水をくみ上げながら思った。
今や初子果は大人の頭くらいの大きさにまで成長していた。こんなに大きな初子果は見たことがない、とナガエもアカーテも口をそろえた。子果樹の苗木の持ち主である幼いクラン以外には初子果の事は伏せられた。ポロシルはもちろん口外しなかった。
くみ上げた水を、リキはそっと初子果にかけた。初子果はさらさらとまた美しい音を立て嬉しそうにしている。
水をかけ終わった時、しゃりりりりとこれまでと違う音を立て始めた。枝の先で重そうに垂れ下がっている初子果は、その身を震わせ音を立てている。
熟したのだ。もいでくれと言っているのだ。
リキはそっと初子果を抱えてもぎとった。しゃりん、と軽い音を立てて初子果はリキの腕の中に転げ落ちた。
いとしい。かわいい。たいせつだ。
リキは座り込んで抱え込んだ初子果に頬ずりをした。腕の中のそれは温かく、リキの心に安らぎを与えた。
リキは初子果を抱え込んだままその場に横たわり、すうっと眠りに引き込まれていった。
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どうせ余命幾ばくもない出来損ないなら仕方ない、お荷物の僕はさっさと今世からも退場しよう……と思ってたのに?
偶然騎士たちを神聖魔法で救って、何故か天使と呼ばれて崇められたり。終いには帝国最強の狂血皇子に溺愛されて囲われちゃったり……いやいやちょっと待て。魔王様、主神様、まさかアンタらも?
……ってあれ、なんかめちゃくちゃ囲われてない??
―――
病弱ならどうせすぐ死ぬかー。ならちょっとばかし遊んでもいいよね?と自由にやってたら無駄に最強な奴らに溺愛されちゃってた受けの話。
※別名義で連載していた作品になります。
(名義を統合しこちらに移動することになりました)
2度目の異世界移転。あの時の少年がいい歳になっていて殺気立って睨んでくるんだけど。
ありま氷炎
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高校一年の時、道路陥没の事故に巻き込まれ、三日間記憶がない。
異世界転移した記憶はあるんだけど、夢だと思っていた。
二年後、どうやら異世界転移してしまったらしい。
しかもこれは二度目で、あれは夢ではなかったようだった。
再会した少年はすっかりいい歳になっていて、殺気立って睨んでくるんだけど。
何故よりにもよって恋愛ゲームの親友ルートに突入するのか
風
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平凡な学生だったはずの俺が転生したのは、恋愛ゲーム世界の“王子”という役割。
……けれど、攻略対象の女の子たちは次々に幸せを見つけて旅立ち、
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「僕は、あなたを守ると決めたのです」
いつも優しく、忠実で、完璧すぎるその親友。
けれど次第に、その視線が“友人”のそれではないことに気づき始め――?
身分差? 常識? そんなものは、もうどうでもいい。
“王子”である俺は、彼に恋をした。
だからこそ、全部受け止める。たとえ、世界がどう言おうとも。
これは転生者としての使命を終え、“ただの一人の少年”として生きると決めた王子と、
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世界でいちばん優しくて、少しだけ不器用な、じれじれ純愛ファンタジー。
「キヅイセ。」 ~気づいたら異世界にいた。おまけに目の前にはATMがあった。異世界転移、通算一万人目の冒険者~
あめの みかな
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彼は気づいたら異世界にいた。
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科学ではなく魔法が発達した、もうひとつの地球を舞台に、秋月レンジとふたりの巫女ステラ・リヴァイアサンとピノア・カーバンクルの冒険が今始まる。
異世界のオークションで落札された俺は男娼となる
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親の借金により俺は、ヤクザから異世界へ売られた。異世界ブルーム王国のオークションにかけられ、男娼婦館の獣人クレイに買われた。
異世界ブルーム王国では、人間は、人気で貴重らしい。そして、特に日本人は人気があり、俺は、日本円にして500億で買われたみたいだった。
俺の異世界での男娼としてのお話。
※Rは18です
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