【完結済】尽くされ下手の君に

天知 カナイ

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前菜、スープ、メイン料理とどんどん運ばれてきて、最後にドルチェが運ばれてきたとき、ようやく清永せいえいは話し出した。
「つきあってくれ、というのは、別にここにつきあってほしかったわけじゃない」
大きく口を開けてティラミスをまさに口の中に放り込もうとしていた伽羅きゃらは、間抜けな顔で止まってしまった。
「あ?」
口を開けたままなので発音が「あ」になってしまう。ぷっと吹き出しながら清永は言葉を続けた。

「俺の恋人になってほしくて。そのお願いだった」
「恋人、ですか‥?」
ティラミスをすくったスプーンをそのまま皿に置いて、伽羅は首を傾げた。
生まれてこの方、伽羅の人生に「恋愛」の文字が登場してきたことがなかった。いつも自分のやりたいことがたくさんあって時間が足りなかったし、高校二年の時に両親が事故で死んでからはより一層時間がなくなって、そういうことを考える余裕はなかった。

‥‥いや、伽羅のことだから時間の余裕があっても恋愛からは遠かったかもしれない。高校時代唯一の友人だった夏井陸なついりくからは、
「伽羅は、人の好意に無頓着すぎる!」
と言われていた。陸曰く、高校時代に伽羅を好きだという男子も何人かいて伽羅にアプローチをしていたらしいのだ。しかし伽羅自身が全くそれに気づかず、全員撃沈してたんだよ、と恨めしそうに言われたことがある。
ちなみに陸自身はゲイで現在社会人の恋人がいるので、伽羅とは純然たる友人関係である。陸とも同じ大学ではあるが学部が違うので、顔を合わせる機会は少なくなっていた。

というわけで、伽羅は首を傾げるしかない。
「ええと‥私は恋愛をしたことがないのでちょっとそのご要望にはお答えしかねるんですが‥あなたは私のことを恋愛的な意味で好きなんですか?」

まっすぐに目を見て尋ねてくる伽羅に、清永はまたふっと微笑んだ。
「う~んどうかな。まだ、恋愛、と言えるまでではないかもな」
その返答を聞いて、また伽羅は首を傾げた。どういうこと?
「あの~、すみません、私にもわかるように色々説明してもらってもいいですか?」
「そうだな、確かに」

清永は目の前にあったエスプレッソを飲み干してからまた話し始めた。
「俺のことを君は知らないようだから、簡単にもう少し自己紹介しておく。大洲清永、二十歳、経営学部二年。実家が大きなグループ企業を持ってるせいで結構人が寄ってきてしまうんだ。けど、これが俺には耐えられなくて」
「どうしてですか?」
清永が話している間ここぞとばかりにティラミスを口にしていた伽羅が、スプーンを口から出して訊いた。
「‥俺は、ちょっと鼻が敏感なのか、『人の匂い』に敏感なのか‥とにかく、やたらによってくる『人の匂い』が苦手なんだ。だから人が集まるところとかあんまり好きじゃないし、知らない人にそばに寄ってほしくない」
「‥すみません私昨日お風呂には入ってますけどシャワーで済ませちゃったんで‥臭いですか?」

スプーンを持ったまま椅子を引こうとした伽羅を、清永はまた笑いながら止めた。
「いや大丈夫、むしろ伽羅は大丈夫」
「私は大丈夫?」
「ああ。俺が生まれて初めて『いい匂い』だって思ったのが、伽羅だったんだ」
「はぁ~‥」

伽羅は一生懸命考えた。しかし自分が使っているのはドラッグストアで一番安い固形石鹸だ。シャンプーやコンディショナーもその時一番安く売ってるものを使っている、無論、香水の類など身に着けたことはない。
食べるものだってたいていメニューは決まっていた。最低限の緑黄色野菜は摂らないとと思ってはいるが、どうしてももやしと豆腐の出番は多くなる。

「もやしと豆腐いっぱい食べてるから‥?」
と呟いた伽羅の言葉を聞いて、思わず清永が吹き出した。清永もティラミスを食べようとしていたところだったので危うく喉に詰めるところだった。くっくっと喉奥で笑いながら、清永は伽羅の誤解を解こうと説明を続けた。

「何を食べてても使っててもあんまり関係ない。その人自身が持つ匂いってことだ。‥伽羅の匂いに気づいたのはもう少し前だったんだが、なかなか誰かが判明しなくて。昨日ようやく伽羅だってわかったから、食堂で待ってた。伽羅、水曜は必ず食堂で食べるよな」
確かに、水曜名物390円ランチを目当てに伽羅は食堂に来ている。たった390円でボリューム満点の水曜ランチは、外食をしない伽羅の唯一の楽しみなのだ。ちなみに他の曜日には580円なので食べたことはない。

よく知ってるな‥と思いながら伽羅は無意識にもう一回ティラミスをすくってぱくりと食べた。美味しそうに目を細める伽羅の顔を眺めながら清永は続ける。
「だから、‥俺もまだ君のことを恋愛感情で好きなのかはわからない。けど‥多分、好きになる。この短い時間でも、君といるのは楽しい、伽羅」
「‥はあ‥ありがとう、ございます‥?」
礼を言うべき場面なのかよくわからなかったが、流れ上言った方がいいのか?と思いながら伽羅は返した。清永はふっと笑って髪をかきあげた。
「恋人に、なってくれるか?」
もう一度そう問われて、さすがに伽羅はスプーンを置いた。そして部屋にある飾り時計に目を凝らした。このティラミスはとても美味しい。できれば全部食べたい。そのためには早くこの話を終わらせなくてはならない。午後の講義開始まで、あと四十分しかないのだ。

「すみませんが、私は大学の講義がない時にはアルバイトや家族の世話で忙しく、あなたにお付き合いをしている時間はないんです』
「うん、その辺の事情も知ってる。高校一年の弟さん、バスキベール病だよな?」
この時、初めて伽羅は警戒心を宿した目で清永を見た。国内でも千人はいないという病に罹っている弟のことを、なぜ知っているのか。
訝しげな視線を隠しもしない伽羅の顔を、清永は正面から受け止める。
「‥君が恋人を引き受けてくれるなら、俺といる時間には時給を発生させるし、弟さんの病気に詳しい専門家も紹介する。アメリカで今治験中の薬も、日本に入ってきたら優先的に治験に参加できるよう、手を回すことも可能だ」

伽羅は、目の前の端正な男の顔をじっと見つめた。
バスキベール病は、この五十年ほどで知られるようになった病気である。急に手足がしびれて動かなくなったり、呼吸困難に陥ったりするが、その原因はいまだ明らかになっていない。筋肉組織の問題だという説と、神経伝達の異常だという説があり、医学界でも論争が続いている。そういう病なので、基本的に治療法はまだない。対処療法として呼吸を助けたり痺れを取る薬を飲んだりするしかない。いつ、身体が動かなくなるかわからないので、人がいないところに長くいるのは危険だ。
実際、呼吸困難に陥ったが誰にも発見してもらえず命を落とした例もいくつか報告されている。

伽羅の弟は駒江檀こまえだん、高校一年生だ。一人になる時間をできるだけ減らすべく、高校ではeスポーツ部に入って活動をし、それでも伽羅の帰りに間に合わない時は図書館に行ったりカフェに行ったりして時間を過ごすようにしていた。

その弟の事情までも知っているとは。この人は徹底的に自分のことを調べつくしたのだろう、と伽羅は思った。何やら金持ちそうなことも言っていたし、自分のことくらい調べるのはそんなに難しいことではあるまい。

「時給、って、私と過ごす時間をお金で買うってこと‥_それって」
首を傾げたまま考えていた伽羅が、一度言葉を切った。
「‥パパ活‥?」
「違う」
苦々しい顔で清永は否定した。なぜ、そんな発想になるのだ。というより、自分と時間を過ごせるというのにこんなにぐずぐず言ってくる人間など今までどこにもいなかった。
だが、本来こういうことがあるのが「普通の付き合い」なのかもしれない、と清永は考えた。とにかく今は何としてでも伽羅を説得し、自分と過ごす時間を捻出してもらわなければならない。

「伽羅が忙しいのは承知しているから、俺と過ごす時間を買おう、と言ってるんだ。じゃないと伽羅は俺に会う時間がないだろ?」
「はぁ、まぁ、そうですね‥」
言われたことをぼんやりの頭の中で反芻しながら、また伽羅は無意識にティラミスをすくって口に運んでいた。


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