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しおりを挟む「えと、まだ恋人が何かもよくわかってないのに、結婚と言われましても余計にわからないです‥」
もうわからない、と多分頭の中でさじを投げてしまったのだろう伽羅のそんな物言いを聞いて、また清永は笑った。伽羅といると笑ってばかりだ。
「じゃあ、恋人らしくなるためにデートすることが必要だな。伽羅、明日の金曜は午後の講義はないだろう?一緒に出かけよう」
「え、あ、‥はい」
一瞬バイトのことを考えたのだろう、返事に迷いがあったがそれには気づかないふりをした。
「また講義が終わるころに迎えに行くから教室で待っててくれ」
と約束をして、午後の講義の教室まで送った。そこでもじろじろと二人を見つめる視線を感じたが、その中に例のふたりはいなかった。そのことと教室の隅に左柄の姿があることを確認してから、外へ出る。
清永自身は、アメリカのボストン大学を二年で卒業している。その部分も考慮されて、大学に決められた必修単位数は数えるほどしかない。さらにはいくつか論文を出せばいい、という単位もあるので、比較的時間にゆとりがあるのだ。
伽羅の弟の檀からの連絡を待つべく、檀の高校の近くにあるカフェへ車で移動する。そのカフェで、左柄が送ってきたファイルを確認した。
伽羅を傷つけたと思しき二人の女子学生の名前、所属、取っている授業などのデータが細かく送られてきている。相変わらず仕事の早い男だ、と思った。
左柄愛善は、大洲家が勘澤藩藩主だったころの城代家老の血筋である。代々、大洲家の後継者に左柄家のものが仕えるようになっていて、一つ年上の愛善に清永が出会ったのは五歳の頃だった。
そこから開邦学園の幼稚園から中学まで共に過ごし、高校からアメリカに留学するときにも左柄は帯同してきた。左柄自身の一番の役割は、清永の護衛だ。清永自身も身を守れるほどの護身術は修めてはいるが、左柄はディグ格闘術師範免状を持っており、近接戦ではめっぽう強い。アメリカ留学に帯同した時には、週二回のペースで射撃場にも通い詰め、射撃の腕も上げてきている(無論日本国内では銃は所持できないが)。
現在も一応清永と同じ経済学部に籍は置いているが、学業よりも優先される業務が多々あるので単位取得にはあまり積極的ではない。
その左柄が調べた女子学生のデータは、名前もわからなかった割にはかなり早く上がってきていた。清永自身は意識したことはなかったが、去年からずっと清永の周りをうろうろしていた学生らしい。入学後すぐから、断っても断ってもしつこく話しかけてくる女子学生のグループがあり、鬱陶しいな、と思っていたのだがその内のふたりだったようだ。
「目撃情報では‥緑原、という女の方が伽羅に手を出した、と」
ふん、とデータを見ながらじわりと込み上げる怒りを抑える。あれだけ牽制しておけば、まさかにこれ以上伽羅に手を出すとも思えないが、時折人間というのはとんでもなく愚かな振る舞いをするものだ。
用心するに越したことはない。しばらくは左柄を伽羅につけておくつもりだった。
カプチーノを飲み干したころに、檀からの着信があった。
「えーと大洲さん?学校終わりました。もう校門のところまで来てますけど、どこに行けばいいですか?」
「そのまま待っていろ。車を回す。体調に変わりはないか」
電話の向こうで檀が笑っているのがわかった。
「ご心配ありがとうございます、最近は発作も起きてないんで、大丈夫です、じゃあ待ってますね」
電話を切るとすぐに車を呼んで高校の前に向かった。高校生がたくさん行きかっている中で、檀の華奢な身体は遠目にもすぐわかる。
「檀、待たせたな。乗れ」
「うっわ~‥俺センチュリーって初めて見た‥すいません、お邪魔します」
何かつぶやきながら檀が乗ってきた。しかも8ナンバーじゃん、と呟いている檀を運転手が優しい目で見つめている。
そのまま携帯電話のショップへ行き、檀の携帯電話を出させ伽羅に送ったものと同じ機種に変更するよう指示をする。まさかの伽羅と同じ機種に檀の顔が青くなった。しかも機種変更に伴って料金体系も変わると聞いてますます青ざめる檀に、面倒になってきた清永は「いいから子どもは黙ってろ」という乱暴なねじ伏せ方をした。
伽羅と同じような慌て方をしている檀に既視感を覚えつつも、強引に契約を済ませる。ピカピカの最新機種を手渡された檀は、茫然として清永を見ていた。
昨日、姉から聞いただけの情報では、なぜ清永がここまで姉に執着するのかよくわかっていなかった。『いい匂い』の話も聞いたが、どうも信憑性に欠ける。弟からいうのも何だが、姉は特別目立つ美人というわけではない。頭脳だけはかなり明晰であると思うが、その分性格が独特だ。これまで姉から色恋の話を聞いたこともなかったので、檀はいまだに一連の清永の態度に納得できていなかった。
すべての手続きが終わり、「行くぞ」と言われて清永の後についていく。再び黒塗りの大型車に「乗れ」と言われて、檀はどうにか疑問の言葉をひねり出した。
「あの!」
「‥なんだ」
清永は用事が済めばできるだけ早く伽羅のもとに行きたいと思っていた。だからやや苛々した様子で檀を見つめた。
鋭い清永の視線に怯えつつも、檀はふん、と勇気を出す。
「どうして、姉や俺にここまでしてくれるんですか?姉の、何が目的なんですか?」
拳を握り締め、緊張した面持ちでそう言いながら清永を見つめている。清永は、その顔を見て車に乗り込もうとした足を止めた。
「檀は、俺のことが信用できない感じか」
「いや。‥信用できない、というより、理解できない、というか‥わからないんです、俺達みたいな人間にここまでしてくれる、大洲さんの気持ち、が」
固い表情のまま言葉を重ねる檀の背中を、清永はとんと押した。
「説明するからとにかく乗れ、時間が惜しい」
促されるまま車に乗り込んだ檀は、唇を固く引き結んだままだ。隣に座った清永は、キャビネットから水を出して檀に渡した。
「少し飲め」
「‥ありがとうございます‥」
キャップを開けて飲んだのを確認してから、清永は話し始めた。
「俺が『人の匂い』に敏感なことは聞いたな?‥まあ、気にならないやつにはわからないかもしれないが、俺にとってこれはなかなか大きい問題なんだ。ここまでの『いい匂い』に当たったのは伽羅が初めてでな。探すのに少し時間がかかったが‥昨日会ってともに時間を過ごして‥一晩考えてみてわかった」
「‥‥何がですか」
清永は、美しい顔でにやりと笑う。
「伽羅は、俺の運命の女だってことがだ」
「‥‥え?」
はっきりと不審な顔をして訊き返してきた檀に、清永は口角を上げたまま答えた。
「お前が不快な『匂い』でないことも俺の確信を裏付けたな。短い時間しか過ごしていないが、俺は伽羅が大事で大切だと思う。昨夜、俺はお前に、すぐに伽羅を愛するようになるだろうと言ったな?‥‥今は愛していると思う。伽羅と人生を共に歩みたいし、伽羅としかもう歩みたいと思わないんだ」
全く腑に落ちていない様子の檀を見て、清永は声を出さずに喉で笑った。その顔は凄艶とも言えるほどに美しく、檀は妙な気分になりそうなのを必死で抑えた。顔がいいというのは、凄いことなんだな‥と見当違いのことを思いながらも、檀は姉のために確認した。
「‥気の迷い、とか、姉のような人間がちょっと珍しかっただけ、とかそんなことはないと言えますか」
「言える」
すぐさま清永はそう言い切った。その目はまっすぐで真剣だった。清永はさらに言葉を重ねた。
「檀の病気のことも考えている。今バスキベール病の新薬の治験がアメリカで進んでいる。もう少ししたら日本でも治験が始まるだろう。アジア人の治験は日本が最初になるからな。それに入れるよう、手を回す用意がある。時期が来たら受けてみる意思はあるか?」
思わぬ申し出に檀は驚いた。姉だけのことではなく、弟である自分のこともここまで考えてくれているとは。
「‥誰かを犠牲にして割り込む、ということでなければ‥お願い、したいです」
「呼吸困難になったのは、ご両親が亡くなってすぐの時だけか?一番最近の発作は?」
檀はすぐに答えた。
「一番最近は、春休みに足が動かなくなって転んだ時です。でも、その時はあまり大きな怪我にならなかったんで‥」
「運がよかったな」
「‥はい」
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