【完結済】尽くされ下手の君に

天知 カナイ

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「こんなところでしょうか」
そう言って安西は伽羅きゃらからケープを取り払い、残っていた髪の毛を払った。
長く重たかった伽羅の髪は、肩口から少し過ぎたところまでの短さに切られ、少し梳きばさみも使って軽く仕上げられていた。ドライヤーのかけ方やブローの仕方なども、安西が丁寧に教えてくれた。「どうしても面倒な時は結んでしまっていいですよ」と言ってもらったので、多少伽羅は気が楽になった。
重たかった前髪も軽く整えられ、少し額が見えるようになっているので野暮ったい眼鏡が余計に目立っていた。

「眼鏡をはずしてくれるか」
という清永せいえいの言葉に従い、眼鏡をはずすと清永がぱっと口を押さえた。
「?」
伽羅は首をかしげたが、清永はしばらく黙ったままだった
今までほぼすっぴんでメイクをしていなかった伽羅の顔に、薄いナチュラルメイクが施され伽羅の顔立ちを引き立てていた。目の周りが少しくっきりとして、唇がうるうると潤いを持って艶めいている。全体に肌のトーンも上がっているようだ。
眼鏡をはずしてたっぷり一分は過ぎたかという頃、「‥もう、いい、眼鏡をかけてくれ‥」と清永がまた声をかけてくれた。何が起きたのかよくわかっていない伽羅は、再び安西から髪の手入れ方法やメイクのポイントなどをレクチャーされている。

髪をすっきり整え、メイクを施した伽羅の姿は、清永の心をまた撃ちぬいた。決して伽羅は美人でもかわいいと言われる顔でもない。ただ、いつもよりも整えられたその顔に清永は一層の魅力を感じて「かわいい」と思ったのだ。
清永はこれまで、美しいと言われる人々にはたくさん会ってきたし、自身もそうだと言われ続けてきた。だから自分は人の美醜にいちいち左右されたりはしない、と考えていた。

だが、好ましいと思っている人物の変化は、言葉を失わせるものなのだ、と実感した。かわいらしいと思っていた伽羅が、より輝いて見える。よりかわいらしく見える。
他人の顔を見て言葉を失くしたのは、清永は伽羅に対してが初めてだったのだ。

安西からのレクチャーが終わった伽羅が、席を立って清永の近くに来た。清永はぴくりと肩を震わせ、伽羅を見た。伽羅は照れ臭そうに笑いながら清永に言った。
「清永さん、ありがとうございます。美容院で髪を切ってもらったのなんて久しぶりで‥洗ってもらうのも気持ちよかったし、軽くなってよかったです」
にこにことそう言う伽羅の横に、安西がすっと近づいて清永にメモ書きを渡す。それを受け取ってからようやく清永は返事をした。
「‥そうか」
ごく、と喉を鳴らしてから清永はそっと伽羅の背中に手を当てた。
「‥次に行くぞ」
「へ?‥あ、あの、ありがとうございました!」
ぐいぐいと清永に促されながら、伽羅は後ろにいる安西に声をかけた。安西は微笑みながら二人を見送った。
「‥‥ウェディングの時のヘアメイクも任せてもらわないとね‥」


その後、また車に乗って百貨店の外商部に連れていかれた。
ずらりと眼鏡のフレームが入った箱を持った外商部のスタッフが現れ、清永とともに何度も伽羅の顔に色々な眼鏡をかけては変えた。散々試してから清永と何やら喋った後に、伽羅の眼鏡を取り上げて去っていった。伽羅はまったく口を差し挟めなかった。

次は先ほど安西が渡したメモをもとに、伽羅のメイク道具が一式調えられる。ずらりと並んだ化粧品とその値段を見て、伽羅は「ひえっ」と悲鳴を上げた。
「い、い、要らないです!そんな金額をかけるほどの顔じゃありません!今までなくても困っていませんでしたから!要らないです!!」
腕を顔の前に突き出し、ぶんぶんと振りながら必死になって伽羅は言い募った。冗談ではない、なぜ顔を洗うだけのものに五千円もかかるのだ!?牛の印の赤箱石鹸で伽羅は十分用が足りている。

清永は伽羅の顔を見て、また外商部の店員の顔を見た。つられて伽羅も店員の方を見る。‥店員は、まだ手に商品を持ちながら眉を八の字に下げ、悲しそうな顔をしている。
「‥伽羅のために安西が考えてリストアップしてくれたんだ。その商品が売れると思ってここのスタッフは喜んでそろえてくれたんだが」
「‥うぅ」
清永は少しだけ口角を上げて伽羅を流し見た。
「‥まあ、伽羅が要らないというのなら、今日の売り上げからこの商品はなくなるなあ」

清永の後ろに控えていた外商部のスタッフ三人が、それを聞いてがくりと肩を落とした。それを目の端に入れてしまった伽羅は唇を噛んでわなわなと震える。
「‥‥あの、私はこんな高い物は買えないんです‥」
「だから俺が買う」
「清永さんは使わないのにおかしくないですか?!」
くくっとまた清永は含み笑いをしながら伽羅の方を見た。少し唇を尖らせ不満そうな顔の伽羅もかわいらしい。
「俺が使うんだよ。化粧をして綺麗な服を着た伽羅と出かけたいんだ。俺のための買い物だ」
「‥‥へ、屁理屈を聞かされている‥!」
「‥大洲様、いかが致しましょうか‥?」
おずおずと外商部のスタッフが清永に声をかける。清永はくいっと顎をしゃくって言った。
「すべてもらう、包んでくれ」

晴れやかな顔をしたスタッフがいそいそと商品を下げて包みに行く。伽羅はなんだかどっと疲れてきた。
「‥‥あの、清永さん‥」
「何だ」
「‥すっごく、疲れるんですけど‥私のものを買うのはもうやめてくれませんか‥?」
自分をいくら着飾ったところで劇的に変わるとも思えないし、変える必然性も感じない。なぜ、清永がこんなに楽しそうに買い物をしているのか伽羅には理解ができなかった。

清永は清永で、伽羅のための買い物をするのがこんなに楽しいと思わなかった。伽羅がくるくると顔色を変えるのも楽しいし、清永が買ったものを身に着けてくれる伽羅を想像するだけでも楽しい。今まで買い物をしてこんなに楽しかったことはなかった。
「断る。俺が楽しいんだ。俺の楽しみのために買っているんだからいいだろう?」
「‥何かやっぱり屁理屈を言われている気がする‥!」
うううと唸っている伽羅をなだめながら清永がくすくす笑っているうちに、眼鏡のフレームが出来上がってきた。度数はそのままにレンズは薄くなり、ごく薄いピンクのエアフレームの眼鏡は、その着け心地の良さと視界のクリアさに伽羅も驚いた。

「わあ、軽い!見やすいし‥ありがとうございます、これは嬉しいです!」
「‥これ、は‥」
伽羅の言葉に引っかかった清永が少し眉を顰めると。伽羅は慌てて言い直した。
「いえ、あの、全部嬉しいんですけど、やっぱりこれは使うものだし、あの」
「ふふっ、」
また清永はくくっと喉を鳴らして笑っている。揶揄われたのだ、と悟って伽羅は顔を赤くした。
「‥清永さん性格悪いです‥」
「ああ、それはよく言われる」
しらっとして清永は答えた。

そしてそこで今度は何点か洋服を試着させられた。伽羅の火傷を負った箇所にも留意しつつ、あれやこれやと注文をしながら商品を持ってこさせる清永は本当に楽しそうで、伽羅もしぶしぶ買うことを承諾させられた。清永に言われたスタッフは、洋服の値札をつけずに持ってきたので伽羅にはもはやいくらのものをいくつ買ったのかさえわからない状態だった。

百貨店での買い物が済んで、ようやく買い物地獄が終わりか、と思った伽羅だったが、黒い車はすうっと宝飾店の前に停まった。ブランドなどに疎い伽羅でも知っているような超一流の宝飾店である。伽羅は車を降りないと言い張った。
「清永さん絶対ここでもなんか買う気ですよね?私にこんなものは不必要です!もう無理です!」
「‥‥‥バスキベール病の新薬、治験、誘致のためのパーティーがあるんだよな。‥檀のためにもなる」
檀のため、という言葉で伽羅はぴくりと頬を歪めた。
「ず、するい‥」
「製薬会社や医師会、厚労省の関係者に駐日大使などが参加するパーティーだ。それなりの装いがいるよな?」
「う、うう、」
「どうしてもいやならレンタルでもいい」
「レンタルで!」

伽羅はそう言ってしぶしぶ車から降りたが、こういったブランドの宝飾品のレンタルとは、買い上げが前提のものである、ということは無論知らなかった。清永は心の中でちろりと舌を出した。


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