【完結済】尽くされ下手の君に

天知 カナイ

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伽羅きゃら清永せいえいのまっすぐな目を受け止められずに、
「お、お茶淹れてきますね!」
と台所の方に引っ込んだ。動悸のする胸を片手で押さえながら、茶葉を探って急須に入れる。水を入れた薬缶を火にかけて、ふうと息を吐いた。
初めて会った日には、あまり緊張などしなかったのに、なぜ今日は清永の顔を見るたびにドキドキするのだろうか。

伽羅は恋をしたことがなかった。恋愛というものは、小説や映像の中のものだとばかり思いこんでいた。異性からの好意を感じたことはなかったし(実は気づいていなかっただけなのだが)、接し方に戸惑ったこともない。そもそも、伽羅に深くかかわってくる人間はごく少なかった。

だから伽羅には、胸の動悸の原因も、清永と一緒にいるとなんとなく感じる居心地の悪さの理由もわからない。
昨日、清永にひどいことを言ってしまったから、その罪悪感が消えていないのだろうか、などと考えている。

清永はいい人だ、と思う。伽羅には考えられないくらいお金持ちで、強引で変わった人物で、なぜか伽羅にお金を使うのが嬉しいような様子を見せる。
伽羅の身の安全にとても心を配ってくれて、気を遣ってくれる。
伽羅は、清永にとって『いい匂い』のする居心地のいい人間なのだと言っていた。だから伽羅のそばにいたいのだと。

では、伽羅よりももっと『いい匂い』の人間が現れたら、清永はもう伽羅の傍には来ないのだろうか。
より『いい匂い』がする人を傍に置いて、伽羅にしたような柔らかい笑顔を向けるのだろうか。


「伽羅」
目の前で薬缶がけたたましくしゅんしゅんと湧き上がった音を立てているのに気づかなかった。後ろから清永に声をかけられてハッとした伽羅は、慌ててガスのコックをひねって火を消した。
「‥すみません」
後ろを振り返ることなく、薬缶の湯を一度耐熱のガラスジャーに入れて冷まし、急須に入れる。蓋をして、そのまま立っていると後ろから腕が回された。
「伽羅」
「っ、は、い」
伽羅の身体を囲うようにして清永が腕の中に閉じ込めてきた。ぎゅっと抱きしめないのは伽羅の怪我を思いやってのことかもしれない。シンクの方に伸びていた伽羅の腕をそっと掴んでいる。

「‥どうした?ぼんやりしていたようだが、何か考え事か?」
「‥いえ」
「悩んでることがあるなら俺に言ってくれ」
そう言って清永は伽羅の頭に頬を寄せた。清永の方からふわりと爽やかな柑橘系の香りがする。いつもいい匂いがするなあ、何かつけているのかな‥とぼんやり伽羅は考えた。
「伽羅?」
ぼんやりしている伽羅に、清永が訝しげに声をかける。伽羅はまたハッとして、急須の中のお茶を湯呑に入れた。
「渋くなっちゃったかも、です」
「構わない。俺が持っていくよ」

伽羅から清永の腕が離れた。清永はそのまま湯呑を二つ取ってちゃぶ台の方へ運んでいく。軽くため息をつきながら伽羅もその後に続いた。


ほどなく帰ってきた檀と三人で色々話しながら夕食を取った。檀はすっかり清永に打ち解けているようだ。清永から与えられた携帯電話の使い方について色々と話している。横でずっと聞いているのに、伽羅にはその内容が全く頭に入ってこなかった。
「こういう食事もたまに食べるとうまいけど、姉ちゃんのご飯の方が俺は好きかも」
檀が色とりどりなサラダを口に運びながら何の気なしに言った。伽羅は「ありがと」と言って笑った。
「そうか、今度是非俺も食べさせてもらいたいな」
「姉ちゃんがご飯作る日に来たらいいですよ。な、姉ちゃん」
「うん、そだね」
伽羅はそう返事をしてぎこちなく笑った。


食事が終わって清永が帰った後、食器を片づけているとシャワーから出てきた檀が伽羅に声をかけた。
「‥姉ちゃんなんかあったの?大洲さんと」
「え?」
危うく洗剤のついた皿をつるりと取り落としそうになりながら、伽羅は檀の方を向いた。檀は頭にタオルを巻いたまま、じっと伽羅を見ている。
「なんか今日、元気なかったし、何言ってもへらっと笑ってるだけだったし」
「そ、うかな」
「そうだよ」

伽羅はシンクの方に向き直ってまた皿を洗い始めた。まだ檀が後ろに立っている気がする。伽羅は作業をしながら、努めて平静を装いつつ話を続けた。
「何もないよ、今日もいろんなお店に連れていかれていろいろ買われちゃって‥それで疲れたのかな」
「‥‥ふうん」
全く納得していないような調子で返事をして、檀は離れた。

そんなに普通と違う様子をしていたのだろうか。では、清永にも変に思われていたのだろうか。
常とは違って答えの出ないことをぐるぐる考えている自分が嫌になる。伽羅は皿を洗い終わって、いつもならやらないシンクの掃除に取りかかった。


翌日の午前中は、家庭教師先にバイトに行った。生徒である女子に随分心配されて「なんか駒江先生ってこう、ぼーっとしてるところあるから心配になるんだよね」と言われて、ややへこむ。
とりあえず、生徒の中間試験前に教えておきたかったことを伝えることができてほっとした。
生徒の家を辞して、駅に向かおうとしていると携帯電話がちかちか光っているのが見える。開いてみると清永からのメッセージだった。
『今日は忙しくて会えないが、明日の夕食を一緒にしたい。迎えをやるから檀と一緒に車に乗ってくれ。明日の五時には迎えをやる』

伽羅はその通知を見て、なんとも言えない気持ちになった。

会いたい、ような気はする。でも、会って何を話せばいいんだろう。
今まで自分が何を話していたかわからない。檀がいる、ということがせめてもの救いだった。

金曜からずっとぼーっとしている伽羅を、檀は不安そうに見ていた。姉は確かにぼんやりしているところがあるが、ここまで長くぼーっとしていることはあまりなかった。理由としてはどう考えても清永がらみしかないと思うのだが、姉に聞いてもなかなからちが明かない。
かといって当人である清永に聞くのも違うような気がする。悩んだ挙句、檀は左柄にメッセージを入れてみた。

『姉の様子が金曜からおかしいんですけど、なんかありました?』
すぐさま既読がついて返事が来る。早っと思いながら見てみる。
『金曜は俺ついてなかったんだよね』
『でも清永普通だったよ、ていうか駒江さんに出会ってからずっと上機嫌』
左柄の返信を見て、なんとなく清永のその様子が想像でき、檀は思わずくすっと笑った。続けて左柄からメッセージが来る。
『お姉さん、どんな風におかしいの?落ち込んでるみたいな感じ?』
『いえ、何というか、ぼんやりしてるっていうか心ここにあらずっていうか‥」
そう打ち込んで送ると、今まですぐさま来ていた返信がぱたりと止まった。あれ、忙しくなっちゃったのかな?と思っていると、二分ほどしてから返信が来た。

『お姉さんも、うちの坊ちゃんに恋しちゃってるってことかなあ?』

今度は檀の指がぴたりと止まった。
姉が、大洲清永に恋をしている‥?
檀の頭の中で、伽羅が恋をしているかもしれない、という事実がなかなか受け入れられない。檀にとって伽羅は、どうしても「保護者」という位置づけになってしまうからかもしれない。
しかし姉だとて今年で二十歳にもなる女性である。檀から見て、伽羅は少し抜けていたり興味のあるものにしか行動を起こさなかったり人づきあいが独特だったりと、色々普通ではない姉ではあるが、十分魅力を持っている大人の女性だ。

『そうなんですかね』
打ち返した文は、なんだかそっけないものになってしまった。一拍おいて、また左柄から返信が来た。
『檀くんから見て、うちの坊ちゃん気に入らないかもしんないけど、温かく見守ってくれるとお兄さん嬉しいなあ』


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