猟犬クリフ

小倉ひろあき

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1章 青年期

24話 狙われた隙間

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 年が改まり、クリフは28才となった。

 ここ数年落ち着いていた世相はこの半年で急激に悪化し、戦乱の世に逆戻りを始めたようだ。


 昨年、アッシャー同盟とカスケン領で始まった小競り合いは、マンセル侯爵を巻き込み混迷の度合いを増した。

 カスケン領とマンセル侯爵に挟撃される形となり苦戦を強いられたアッシャー同盟は、マンセル侯爵領の東に位置するバッセル伯爵と軍事同盟を結び、マンセル侯爵を牽制する。

 王国東部ではアッシャー同盟・バッセル伯爵とカスケン領・マンセル侯爵の2勢力が、小勢力を巻き込み鎬(しのぎ)を削る本格的な大乱となった。


 自由都市ファロンは戦禍を免れ逃れてきた難民や、戦乱に乗じて蔓延(はびこ)る怪しげな者たちによって治安は悪化の一途を辿っている。

 何せ自由都市ファロンは中立とは言え、西のアッシャー同盟、南のカスケン領、北のバッセル伯爵と三方で戦争が継続中である……荒れない筈が無いのだ。

 家の無い難民がスラムを形成し、人口の急増から物価も上昇し続けている。


 自由都市ファロンの新年は波乱含みで幕を開けた。



………………



「ここが良いわ。ねえ、クリフはどう思う?」
「俺たち3人には、少し大き過ぎるような……。」

 今日、クリフとハンナは新居となる家を探すべく、ファロンの不動産屋に物件を案内されていた。もちろん養女となったエリーも一緒だ。

「いいえ今は3人ですが、今後ご家族が増えることを考えますと、少し広めのお屋敷の方がよろしいかと思いますよ。」

 40がらみの不動産屋がニコニコと愛想良く対応する。

「そうよ、ね? クリフ……すぐに増えるわよね。」

 クリフが「うーん」と唸る。何せ高い買い物である、即決するわけにはいかない。

「ちなみに、お値段はいかほどですか?」
「こちらは55万ダカットです。ヘクターさんとベルタさんのご紹介ですので、今年の税金はこちらで負担させて頂きますよ。」

 クリフが少し息を飲む……予算は諸経費を抜きにして30万、ぎりぎりでも40万は辛い……55万となると大きく借金をすることになる。

「少し相談してきます。」

 クリフが告げるとハンナが唇を尖らせてムッとした顔を見せた。

「私はここが良いと思うな。」
「うん……寝室がもう少し広めの方が良いかなと思って……。」

 クリフはこの場を逃れる為に適当な事を口にしたが、これが良くなかった。

「そうですねえ、お二人ともお若いですから。次は広めの寝室を備えた物件を見繕います。」

 不動産屋がニヤニヤとした笑みを見せる。
 ハンナは「もうっ、クリフったら」と顔を赤らめた。

……ああ、そう来たか。

 クリフは自分の失言に気がつき、溜め息をついた。



………………



「おう、家は決まったか?」

 いつもの酒場に行くと、ヘクターとギネスが飲んでいた。

「いや、なかなかな……」

 クリフが口籠る。
 ギネスが「まあ、一生もんの買い物ですから」と慰めてくれる。

「何かお嬢ちゃんがワガママ言ったんじゃねえのか?」

 ヘクターがハンナをからかうと、ハンナが顔を赤らめ「その、クリフが……」ともじもじとし始めた。

「なんでえ?」
「クリフが、その……寝室が狭いと色々と、その、できないからって。」

 ギネスが呆れた顔をし、ヘクターはニチャリとした嫌な笑みを浮かべた。

「兄貴……。」
「まあ、その辺は色々あるだろうさ、他人が口出ししちゃいけねえよ、ギネスもそっとしてやれ。ひひひ」

……ああ、これ当分言われるヤツだな。

 クリフは色々と諦め、考えることを放棄した。

「猟犬クリフが思うままに振る舞う寝室とくれば、それはもう一筋縄ではいかねえよ、覚悟しなきゃな。」
「もうっ! 知らないっ!」

……楽しそうだなあ。

 きゃっきゃっとはしゃぐハンナとヘクターを、クリフは他人事のように眺めていた。


「盛り上がってますね。」

 クリフたちのテーブルに数名の冒険者が近づいてきた。

「おっ、殿様(とのさま)に……スジラド坊やか。立派になったな。」

 ヘクターが冒険者たちに声をかけた。

 殿様とは殿様レイトンと呼ばれるヘクターの部下のことである、別に殿様でも何でも無いが品がよいので殿様と呼ばれている……どうやら後ろの冒険者を案内してきたようだ。

 スジラド坊やとはレイトンの後ろに控える蛇(くちなわ)のスジラドと呼ばれる冒険者のことである。
 若い頃にヘクターと付き合いがあったようだ。当時の感覚が残るヘクターにいまだに坊や扱いされるのだろう。

 スジラドは王国西部で活躍していた冒険者だったが、冒険者組合(ギルド)を立ち上げるための助っ人として招聘された。
 よく日焼けした肌と顔に残る刀痕がいかにもやり手の冒険者といった面構えだ。
 以前、クリフとも事を構えそうになったこともあるが、依頼上の事なのでお互いに遺恨は無い。

 スジラドの後ろには、彼の仲間であろうか、3人の冒険者が控えている。

「ヘクターさんか、久しぶりだな。」
「おう、立派になったな。後ろの仲間も紹介してくれや。」

 スジラドが「ああ」と振り返り各々が手短に自己紹介した。

「ピートです。」
「……ドーラ。」
「イルマよ、よろしく。」

 ピートはマルゴの町でもスジラドに同行していた若い冒険者だ。20才前後であろう。

 ドーラとイルマは女性である。世に女性冒険者はいないでも無いが、4人中2人が女性冒険者というのは珍しい。
 ドーラは20代半ばの黒髪の女性だ……美人ではあるが鼻柱に残る大きな傷痕が目立つ。
 イルマは10代であろうか、いかにも年若い金髪碧眼の痩せた娘である。


 クリフたちも手短に自己紹介を兼ね挨拶をした。

「良し、挨拶も終わった所で4人はこっちに来てくれ。ヘクターとクリフもな。」

 マスターがテーブルを2つくっ付けて大きな席を作る……新参の冒険者たちに冒険者組合(ギルド)の説明をするのだろう。

「あ、クリフさん。これを……今朝届きました。」

 レイトンがクリフに手紙を手渡した。サイラスからの返信だ。

「ありがとう。報酬はヘクターの事務所に持っていくよ。」

 クリフがレイトンに礼を述べると、そのままレイトンはヘクターの抜けた席に座る。このまま談笑に加わるようだ。


「さて、改めてよろしく。俺はエイブ、股旅(またたび)亭の店主だ。招きに応じてくれて嬉しく思う。」
「よろしく、私はスジラドと申します。蛇(くちなわ)のスジラドと呼ばれる事もあります。」

 スジラドは3人と順番に握手をした。

「実はもう少し声をかけた冒険者はいたんですが、戦争で傭兵に行っちまいましてね。」
「坊やは人望無いな……ひひひ」

 ヘクターがからかうと、スジラドが恥ずかしそうに頭を掻いた。連れの3人は少しムッとした様子だ。

「スジラドさん、お久しぶりです。」
「クリフさんも……ローナがよろしくと言ってましたよ。」

 ヘクターが素早く反応し「ローナとはお安くないね」とクリフを肘でぐりぐりと押してくる。
 後ろでハンナの目が鋭さを増したが、クリフは気にしないふりをした。

「ああ、旧交を温めるのは少し後にしてくれ……」

 マスターがヘクターを嗜め、現状を話始めた。



………………



 固い話はすぐに終わり、後はスジラド一行の歓迎会となる。

 夜になるとハンナとエリーはアパートに帰った。
 さすがのハンナも幼児を酒場で夜更かしさせたりはしない。

「クリフさん、ハンナさんは若いのに出来た娘さんだ。」

 スジラドが感心して何度も頷いている。

「先妻さんのお子さんを嫌な顔1つせずに甲斐甲斐しく世話して……お子さんもママ、ママ、と良く慕っている。大したもんだ。」

 スジラドは以前の一件でクリフに先妻がいたと勘違いしたままだ。そしてエリーはクリフの連れ子だと思い込んでいるようだ。

「中々ああはいかねえ。おいピート、お前さんもあんな嫁さん探さなきゃな。」

 スジラドが隣のピートに声をかけると、ピートは「はい、凄い可愛いです」と真っ赤な顔をした。

 確かに暴れないハンナは美人だし、愛嬌があり可愛らしい。エリーとの仲も良いし、理想の若嫁さんに見えるかもしれない。

「へへっ、スジラド坊やはどうなんだ?」
「ええ、実はドーラと……含んでいて頂ければ。」

 スジラドがチラリとドーラを見ると「ふんっ」とそっぽを向いた……ご機嫌斜めらしい。

「お前さんが他の女を褒めるからだぜ?」

 ヘクターが笑うと「あんなもんですよ」とスジラドが肩を竦めた。



………………



 賑やかな宴もピートが酔い潰れたところで終わりを迎え、各々が家路に向かう。

 スジラドたちはヘクターの事務所を仮の宿とするようだ。

 クリフとギネスは使いなれた安宿に向かう。

「あ、しまった……手紙を置いてきちまったよ、先に行っててくれ。」

 クリフは酒場に向かい、来た道を引き返す。


 そこには油断があった。


 ここ数ヶ月、ファロンに滞在し、町付の冒険者のように活動してきた……町に馴れがあった。
 スジラドの歓迎会ということもあり、普段よりも少し酒を過ごした。
 ハンナと婚約をし、どこか浮かれた気分もあった。
 仲間に囲まれ、危険を予想する習慣が薄れた。

 数え出せばキリもない小さな油断。
 少しだけの油断が重なり、クリフにとって致命的な隙を生み出していた。


 角を曲がった所でクリフの顔に光が当たり、急に目が眩んだ。

 カンテラだ。明かりが一方向にしか向かわない工夫をされたカンテラの明かりを目に当てられた。

……しまった!目が……

 クリフが怯んだ隙に、弓鳴りの音が響く。
 目を押さえていた右手の前腕に強い衝撃を受けた。

……馬鹿な、町中で弓矢だと!?

 クリフが狼狽えたのも無理はない……町の喧嘩などでは弓矢が使われることは先ずは無い。誤射をしたら大変なことになるからだ。人に刺されば言うまでもなく、場合によっては弓を使うだけで罪に問われる場合もある。
 それだけに、今回の襲撃にはクリフに対する明確な殺意が込められていると見てよい。

「死ねっ!」

 カンテラを掲げていた男が短槍で突き掛かってきた。
 片手突きのために鋭さは感じないが、目を眩ませ負傷したクリフには十分であった。

 右の脇腹に鋭い痛みを感じる……槍の穂先を躱わしきれなかった。
 肉を削がれ、血が吹き出した。

「やったの!?」
「まだだ!」

 弓を使っていた者が駆け寄ってくる……女の声だ。

……これは不味い。逃げなければ!

 クリフは咄嗟に来た道を引き返す。少なくとも先に進むよりは待ち伏せの危険は少ないだろう。
 矢は引き抜かず、半ばで折った。下手に抜けば傷口を広げかねない。

……どこに逃げるか……ハンナのアパートが近いが、敵を近づかせる訳にはいかない。

 後ろからは追跡の気配を感じる……2人だ。
 大した腕前では無いが、見事な奇襲だった。もう1人いれば命は無かっただろう。

……2人ならば、やってやれないことは無いが……

 追跡者が後ろの2人だけならば戦える。
 だが、敵が2人だけと決めつける訳にはいかない。

……死ねない、死にたくない。

 クリフは怖じ気づいた。

 この1年でクリフは多くのものを手に入れた……それが重石となって戦意を萎えさせる。

 1年前のクリフならば死を恐れずに……否、冷静に敵の戦力を見極めて賭けに出たはずだ。
 だが、今のクリフは失うモノが大きすぎた。一か八かの賭けに出る勇気が湧かないのだ。

……そうだ、この時間なら……

 クリフは路地を細かく曲がりながら大通りに出た。

 「何者だ!」と誰何(すいか)の声が響く……衛兵だ。

 クリフは「強盗に襲われた」と伝え、追撃者を示す。
 衛兵たちはクリフに刺さった矢を見て少なからず動揺をした……盾を並べながら追撃者の様子を窺う。

 さすがの追撃者も衛兵を相手にはせず、素直に退いたようだ。

……助かった。

 クリフは心の底から安堵の息をついた。
 無様ではあるが、死ぬよりは遥かにましだ。
 衛兵たちに事情を話し、医師を呼んで貰うことにした。



………………



 2日後、いつもの酒場。


「自分で食べれるよ。」
「ダメよ。あーんして。」

 クリフはハンナとエリーに手厚い介抱を受けていた。
 今もハンナとエリーが交互にクリフの食事の世話をしている。

「ハンナさんは優しいんですね……。」

 ピートがハンナに憧れの視線を向ける。ハンナのことを世話好きで心優しい女性だと信じきっているようだ……。

「ちょっと、人の婚約者だよ、いやらしい目で見るもんじゃないよ。」

 イルマがピートを嗜める。
 ピートが「見てねえしっ」と動揺した。


少し離れたカウンターでは、マスターとヘクターが真面目な顔つきで何やら相談をしている。
ヘクターが騒ぎに加わらないのは珍しい。

「……クリフが遅れをとるほどの奴らだ。皆に注意を促しておこう。」

 マスターの言葉にヘクターが「ああ」と頷いた。


「パパ、あーんして。」

 エリーの言葉にクリフが「あーん」と素直に口を開ける。

「もー、なんでエリーの時だけっ!ズルいわっ!」

 ハンナとエリーが楽しそうにキャピキャピと笑った。

「そう言えば、お手紙は大丈夫だったの?」

 ハンナがふと思い出したようにクリフに尋ねた。

「ああ、春に貴族の友人が来るんだ……ハンナとの結婚について、色々教えてもらおうと思って……。」

 サイラスは何やら用事があり、雪解けと共にファロンに来るらしい。

……ひょっとしたら用事をわざわざ作ってくれたのかもな……。

 クリフはぼんやりとサイラスの手紙の内容を思い出していた。

「ママ、いたいの?」
「ううん、嬉しくて涙がでちゃった。えへ」

 クリフが我に返り見れば、ハンナが先程の言葉に感動し、涙を流していた……さすがにハンナも怪我をしているクリフに飛び付いたりはしない。

「か、可憐だ……。」

 ピートがぼそりと呟き、今度はドーラとスジラドに叱られている。

 クリフはハンナの様子を見ながら、先日の襲撃を思い出していた。
 完全に油断をし、敵に見事な奇襲を許した。
 これは敵の気配を感じるのに長けた、クリフのようなタイプの冒険者には死活問題である。

……俺は、弱くなったのだろうか?

 クリフが自問をするが、結論は出ない。

「ねえ、クリフ……。」
「何だい?」

 ハンナがクリフに甘えた声を出す。
 それがクリフの油断を誘い、精神的に無防備になってしまった。

「ローナって誰?」

 クリフは「えっ」と言葉に詰まる……完全に油断をしていた。
 その瞬間、ハンナからぶわりと剣気が吹き上がるのを感じた。濃厚な死の気配だ。



 クリフには周囲がゴクリと息を飲む音が聞こえた。
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