猟犬クリフ

小倉ひろあき

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1章 青年期

26話 友きたる 上

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 雪解けの季節が過ぎ、春が来る。


 クリフはハンナとの新居で目を覚ました。

 既にこの新居で暮らし始めて一月(ひとつき)以上が経つ。

 クリフは身を起こし、隣を見た。そこにはハンナとエリーがすやすやと眠っている。

 なるようになった、と言うべきか……共に新居に住むようになり、クリフとハンナは男女の関係になっていた。

……よく眠っているな。

 クリフは二人を起こさないように、そっとベッドから離れ、着替えを済ます。

 クリフの早起きには理由がある。

 1度油断をし、エリーに裸のままで抱き合っているところを見つかり、クリフとハンナは苦しい言い訳をするはめになった事があった。
 ただでさえ、就寝時に川の字の真ん中にいたはずが、起きたときには隅っこの方に位置が変わっていることをエリーは不思議がっているのだ。

 クリフはそっと、二人の着替えを用意し、外の井戸で顔を洗った。

 ちなみに諸事に不器用なハンナは、家事の類(たぐ)いは殆どしない。
 クリフは以前、ハンナのアパートに泊まったことがあるが、その様相は凄まじいほどに散らかっていた……ハンナは使った物を元の位置に戻すことすら出来ないのだ(やる気になればできるの、とは本人談)。

 自然と、家事はクリフの担当になる。

 クリフは器用で几帳面である……始めは散らかすだけのハンナとエリーを疎ましく思ったこともあるが、全てにおいて自分がいなければ人間らしい生活ができない二人の面倒を見るのが最近では堪らなく楽しくなってきたのだ。
 実はそれは犬を飼う感覚に近いのだが、それには本人(クリフ)も気づいていない。

 クリフは鍋を持って近くの『飯屋』というシンプルな屋号の食堂に行く。店主が一人で切り盛りをしている小さな食堂だ。

 以前は満腹亭という定食屋を良く使っていたが、新居からはやや遠い。今では朝食は飯屋に通っている。

 人口過密のファロンでは、薪が高い。庶民もこうして食堂などで食事をとるのが一般的だ。

「お、クリフさん! お早いですね!」
「おはようございます。いつものお願いします。」

 飯屋に行くとクリフは鍋を渡し、しばし待つ。

「お待ちどう、パンも付けて24ダカットになります。」

 クリフは「おや?」という顔をしたが、何も言わずに代金を支払い、手早く鍋を布で包んだ……こうしておけば、しばらくはスープは温かいままだ。

「すいません、仕入れの関係で少し値上げしまして……」

 店主が申し訳なさそうに頭を掻いた。
 隣国で戦争が激化しているために、物価……特に食料品と衣料品が不足し、値上がりしているのだ。

「いえ、お互い様ですよ。」

 クリフは素っ気なく答えて店を出た。スープが冷める前に持ち帰りたい。

 家に帰ると寝室から、目を覚ましたハンナとエリーの声が聞こえてきた。

「なんでママ、はだかなの?」
「その、暑かったかな?はは」

 エリーは「えー、あつくないよ」と不思議そうな声を出した。

「ハンナ、エリー、ご飯だよ。早くおいで。」

 クリフがハンナに助け船を出す。あまり突っ込まれたくないのはクリフも同じだ。
 寝室からは二人の元気な返事が聞こえた。

「おはよ、パパ!」
「おはよう! クリフっ!」

 着替えを済ました二人が元気にダイニングにやって来た。

「おはよう。顔を洗っといで。」

 クリフはエリーに2枚タオルを渡すと二人は元気に井戸に向かった。

 その間にクリフは食卓の準備を進める。

 パンを並べて、備えおきのチーズを切り、スープは二人の顔を見てからよそった。ピッチャーに水も注ぐ。

 余談ではあるが、水は井戸水を甕(かめ)に寝かせておき、砂を沈ませてから中程を汲んで使う。
 底は砂が溜まり、上澄みは埃が浮く、食用水には甕の中程を使うのが良い。

「「いただきます。」」

 ハンナとエリーの元気に挨拶をしてから食べ始める。

 ハンナは健啖家だ。
 燃費の良いクリフよりも食事量は多い……今日の朝食も時間をかけ、たっぷりと食べた。

「今日は天気がいいから洗濯をするよ。洗い物を出しといてくれ。」

 クリフは天気を見て二人に告げた。今日は依頼も受けていないし、絶好の洗濯日和である。

 食事を終えると、クリフは食器を洗い、ハンナとエリーは互いの髪を整える。

 ハンナは意外とクセ毛で、髪を縛っていないと不思議なくらいピョンと跳ねている。
 対照的にエリーの髪はサラサラのストレートだ。

……まるで、母子と言うよりも姉妹だな。

 クリフは微笑ましく二人の様子を見る。

 髪のセットが終ると、ハンナは庭で軽く剣の稽古をし、エリーはクリフと一緒に軽く掃除をする。
 クリフはエリーがハンナみたいになっては心配なので、できる範囲で家事を手伝わせているのだ。

 その後はエリーと一緒に洗濯をする。
 洗い物が多い場合はクリーニング屋に出してしまうが、クリフは借金のこともあり、なるべく自分で行い少しでも生活費を抑えようと努力している。

「そろそろ道場に行ってきます!」

 ハンナが元気に挨拶をし、エリーに行ってきますのキスをした。

「クリフ、行ってきます。」

 ハンナがクリフにも行ってきますのキスをした。
 先程より少しだけ時間をかけ、名残惜しそうに顔を離した。

「パパ、ママと仲良しだね。」
「ああ、パパはママのことが大好きなのさ。」

 クリフはエリーの頬にもキスをする。
 エリーは大人に囲まれているためか言葉も早く、何事もませている。

 家事が一段落をしたら、エリーを連れて広場にお散歩に行く。


…………


 広場では人は閑散としており、巡回中の衛兵とすれ違った。

「おともだち、いないね。」
「こんな日もあるさ。」

 クリフはエリーをしばらく広場で遊ばせてから、いつもの酒場に向かった。



…………


 開店したばかりの酒場では客は無く、マスターが居るのみだった。

「クリフか、早いな。」
「ああ、早いとこ済ませたくてさ……」

 クリフはカウンターに座り、何やら書類仕事を始めた。

 クリフは満足な教育を受けたことが無く、読み書きと足し算引き算がそれなりといった程度の学力しか備わっていない。
 しかし、マスターは冒険者組合(ギルド)の幹部候補としてクリフに書類仕事を少しずつ任せているのだ。

 ちなみにヘクターは意外にも書類仕事は得意である……彼はいかにも適当に済ましているように見えて、完璧な事務処理をする。実は高い教養があるのかもしれない。

「エリー、何を書いてるんだ?」
「おはな!」

 クリフの横ではエリーが黒板にイタズラ書きをしている……この黒板は酒場のメニューを書き込むものだが、マスターも何も言わずにいてくれている。

「マスター、けさないでね。」
「む……わかった。今日は残しとこう。」

 今日のメニューの横には前衛的なタッチの花畑が広がっている……見様によっては洒落ているかもしれない。

 得意気なエリーの横で、クリフがマスターに書類を差し出した。

「うーん、こんな所かな?」
「うむ、慣れてきたな。早くなった。」

 やっとクリフが書類仕事を終えた。

「クリフよ、スジラドは良いぞ。良いのを紹介してくれたな。」
「そうか、何よりだ。」

 マスターは最近、仲間に加わったスジラドの事を褒めた。

 クリフたちの仲間は、良くも悪くも尖った能力の持ち主が多く、優れた能力を持ちながら欠点も多い。

 その点では、スジラドは逆のタイプだ。能力のバランスが良く、冒険者として高いレベルで完成している。
 しかもチームで行動するために欠点らしい欠点が無いのだ。
 仕事を割り振る立場としては実に頼もしい人材と言えるだろう。
 ちなみにスジラドは27才……クリフの1つ下である。

「パパ、ママのじかん。」
「ああ、そうだな。」

 クリフはエリーに急かされて立ち上がる、そろそろハンナの道場稽古が終る時間だ。

「また後でくるよ。」
「おう。」

 クリフはマスターに告げて酒場を出た。


…………


 道場に行くと、程なくハンナが出てきた。 他の女性門人に囲まれて楽しげに談笑している。
 ハンナは美人だが、女性からの人気が意外なほど高い。

「ママ!」
「あら、エリー。迎えに来てくれたの?」

 ハンナがエリーを抱き上げて微笑む。
 剣術の稽古で鍛えたハンナの腕力は強い。軽々と抱き上げたエリーと頬擦りしている。

「うん、パパも。」

 エリーがクリフを指で示す。

「パパはね、ママのことがだいすきなんだって。」

 エリーが幼児の無邪気さでニコニコと告げると、周りの女性門人が「きゃー」と黄色い声を出した。

 ハンナははにかみながら、嬉しそうにクリフの元に小走りした。

「あーうらやましいな」
「ハンナさん可愛い」
「素敵な家族ね」

 クリフとエリーのお迎えは女性からは概ね好評ではあるが、男性からは怨嗟の視線が集まっているのをクリフは知っている。余計な事は言わずにそっとその場を離れた。

「今日は人数が少なかったから、しっかりお稽古できたわ。」
「へえ……良かったな。」

 クリフが気の無い返事をするが、ハンナは気にもならないらしい。ニコニコとしながらエリーを真ん中にし、3人で手を繋いで歩く……最初は抵抗感のあったクリフだが、最近は慣れた。

 程なくして満腹亭に着く。
 満腹亭はハンナのお気に入りの安くて旨い定食屋である。

「あれ、空(す)いてるわね。」

 ハンナがウェイトレスのパティに話しかける。
 二人は友人であり、気安い関係なのだ。

「そうなんですよ、今日は王都から偉い人が来るから皆さん見物に行ったみたいですね。」

……ああ、そんな話もあったな……

 政治に全く興味の無いクリフはぼんやりと思い出した。

 隣でハンナが定食を二人前と半分注文したようだ。

「そう言えば、叔父上もジンデル辺境伯領から来るんだっけ。お手紙に書いてあったよ。」
「ふうん、外交官になったのか……。」

 ハンナの実家はジンデル辺境伯に仕える小貴族であり、現当主であるヒースコート・クロフトはハンナの叔父にあたる。

 姪を猫可愛がりしていたヒースコートは、今でもハンナを心配して手紙で音信をとりあっている……ハンナがこんな風に育ってしまったのは、この人と、今は亡きハンナの兄のバーナードが甘やかし続けたせいである。

「うーん、それがね、良くわかんないけど急に決まったんだって。」
「へえ……出世したんだな。」

 クリフとハンナは目の前に置かれた定食を食べながら話す。ちなみに満腹亭のメニューは朝昼晩の「日替り定食」のみである。


 しばらく食べ進めていると、慌てた様子で店に駆け込んできた者がいる……ギネスだ。

「兄貴っ、やっぱりここでしたかいっ!」

 ギネスはいかにも急いで来たようで、息が少し荒い。

「あっ、ギネスくん……」

 ギネスを認めるとパティが頬を染めてはにかんだ……実はこの男、割りともてるのである。
 本人は無自覚ではあるが、若くして名の通った冒険者であり、人当たりも良く、顔も悪くない……もてぬ筈が無いのだ。

 しかし、ギネスはパティの視線には気づかず、クリフに向かう。

「兄貴っ、戦鬼サイラスから迎えが来てやすっ! 股旅亭に来ておくんなさい!」
「えっ? あのサイラス将軍から?」

 ギネスの言葉にハンナも驚きを見せた。

 サイラスとは、マカスキル王国将軍として長く活躍し、戦鬼と呼ばれたサイラス・チェンバレンの事だ。
 今は隠居の身であるはずだが、その伝説的な活躍は非常に名高い。

……そうか、サイラスは王国の使節に同行して来てくれたのか。

「よし、すぐに行こう……ハンナはいつも通りヘクターの事務所でロッコに稽古をつけてやってくれ。」

 クリフはハンナにそう伝えると、代金を支払いギネスと共に店を出た。

 最近のハンナは股旅亭のウェイトレスを辞め、ヘクターの事務所でロッコを含む若い衆に剣の稽古をつけている……とは言っても、大多数はハンナが手加減なく気絶させるので、あまり寄り付かないのだが……。

「クリフって、凄い知り合いがいるのね。」



 ハンナがぽつりと呟いた。
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