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1章 青年期
閑話 クリフォード・チェンバレン 上
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クリフが貴賓館に招かれ、すでに4日目の朝を迎えた。
……クリフ、遅いな……何かあったのかな?
ハンナは朝の身仕度をしながら、ぼんやりと恋人のことを考える。
「ママ、できたよ。」
ハンナのすぐ後ろで、養女のエリーの声が聞こえた……彼女の髪を櫛でとかしてくれたのだ。
「ありがと、エリー。」
ハンナは手早く髪を纏め、髪留めを着ける……この髪留めはクリフがハンナのために贈ってくれた大切な宝物だ。
小さな宝石があしらわれた高価なものだが、彼女は「道具は使うもの」と割り切っている。高価な物を仕舞い込んで眺める様なことはしない。やはり小なりとも貴族の娘だ。
「今日はパパが帰ってくるといいな。」
ハンナはクリフからの手紙を眺めた。
貴賓館からはクリフの手紙が2通ほど届いている……1通目はいかにもクリフらしい、素っ気の無いものだ。しばらく帰れない旨と、ハンナが家を散らかさないように注意を促すものだ。
2通目はハンナの美しさを讃え、会えぬ苦しみが下手くそな散文詩で表現されたものである。
……クリフがこんな詩を贈ってくれるなんて。
ハンナは手紙を見てクスリと笑う。
……でも、私は1通目が好き。とても素敵だわ。
ハンナは1通目の手紙の端にそっと口づけをした。文末に素っ気なく記された『愛しています』という部分を読むたびに彼女は切なくなる。
ハンナは19才……まだまだ恋のために家を飛び出した情熱を忘れてはいない。
「エリー、今日は道場お休みするわ。お掃除しましょ。」
今日、ハンナは股旅(またたび)亭のマスターにクリフが帰らぬことを相談するつもりだ。
酒場が開くにはまだ間がある、それまではエリーと掃除をしようと思い付いたのである……わざわざクリフが手紙に書いてくれたのだ。散らかし放題では申し訳が無い。
「ママ、こうやるのよ、みてて。」
4才のエリーがハンナに手本を示す。
エリーはクリフのお手伝いを普段からしている。
珍しくハンナと掃除をするのが楽しいようで、得意気に小さな箒(ほうき)と塵取(ちりと)りを振り回している。
「もー、そうじゃないよっ! ちゃんとあつめてよ!」
「エリーはお掃除が上手ね……凄いわ。」
ハンナは心底感心したように何度も頷く。
普通、子守とは大人が子供に合わせるものであるが、ハンナは自然体でエリーと接している。
彼女が現代日本に生まれていたら人気の保母さんにでもなっていたかもしれない。
「クリーニングやさんにもっていくときは、はずれそうなボタンはなおしてからもっていくのよ。」
「エリーは何でも知ってるのね。」
エリーによる家事の指導はしばらく続きそうである。
………………
「うーむ、クリフからの手紙はこれだけか?」
「ええ……今のところは。」
股旅亭にて、マスターとヘクター、そしてスジラドがクリフからの手紙をハンナから借り、眺めながら相談している。
「ぷっ、しっかし下手な詩だぜ。」
ヘクターがクリフの詩を読んで思わず吹き出す……確かにクリフの散文詩は下手なもので、何故これを恋人に届けたのか不思議なレベルである。
「む……ヘクターには分からないわよっ! とっても素敵じゃない! 少なくとも私にはクリフの気持ちが伝わるわっ!」
ハンナがムキになってヘクターに噛みつく。
「わかったよ、降参だ」とヘクターがお手上げをした。
しかし、ヘクターともハンナとも違う感想を抱いたも者がいた。スジラドである。
「いえ……これは、こちらがわざと疑念を抱くように書いているのでは……」
スジラドが目を細め、クリフの詩を睨み付ける。
「なるほど、手紙が検閲されているか……」
「ええ、そうです。」
マスターが「ふむ」と手紙を読み直している。
「どういうこと?」
「クリフさんは……何らかの理由で拘束されたのかもしれません。外部への接触を禁じられ、手紙を検閲されている……この詩は何らかの情報を伝えるクリフさんからのメッセージなのでは?」
ハンナの顔からサッと血の気が引いた。
たしかに、いくらなんでも友人に会いに行って4日も帰らないのは不自然である。
「暗号か?」
「わからん。軟禁されているなら炙り出しなどの細工は無理だろうしな。」
ヘクターとマスターが2枚の手紙を見比べて唸っているが、ハンナの耳には何も届いていない。
……クリフが、危ない目にあってる? 何でチェンバレン将軍が? それともクリフを油断させる罠? なんで私はそれに気付けなかったの?
ハンナの顔は既に真っ青である。唇がわなわなと震えている。
「すいません、心配をさせてしまいましたね……でも、そうと決まったわけではありません、落ち着いてください。可能性の話です。」
スジラドがゆっくりとした口調でハンナに語りかける……ハンナを落ち着かせようとする気遣いが見てとれる。
「お嬢ちゃん、早まるなよ。明日にはひょっこり帰ってくるかも知れないしな。」
「ジンデル辺境伯の使節団も近々到着するようだ、何か動きがないか探らせてみよう。」
ヘクターとマスターが口々にハンナを慰め、頷き合う。
……ジンデル辺境伯……そうだ、叔父上なら……叔父上に相談してみよう。
ハンナはジンデル辺境伯の使節団の一員として自由都市ファロン来る予定である叔父のヒースコート・クロフトを思い出し、助けてもらおうと思い付いた。
ヒースコートは今まで何でもハンナの言うことを聞いてくれた……今回も助けてくれるに違いない。
ハンナは少し、落ち着きを取り戻した。
「ジンデル辺境伯の使節団で叔父上が来るはずだから……事情を聞けば何か分かるかもしれない。」
ハンナの言葉を聞いた3人の男たちが「ほう」と感心した。
王国の外務大臣が率いる使節団との交渉に参加する外交官とは、例え正副の使者では無いにしろ、なかなかのものである。
「よし、そちらは任せた。何か分かれば連絡しよう。」
この場をマスターが締めて解散となった。
……大丈夫だよね、何事も無かったように帰ってきてくれるよね。
ハンナは祈るような気持ちでエリーをぎゅっと抱き締めた。
そして、この日もクリフは帰ってこなかった。
………………
3日後
ハンナは自由都市ファロンに到着した使節団に、ヒースコート・クロフトとの面会を求める手紙を届けた。
……何か分かれば良いんだけど……
あれから股旅亭のマスターの元にクリフから1通の手紙が届いた。
『しばらく顔を出せなくて申し訳なく思う。帰りの時期が不明のため、今月の給金は無しにしてほしい。ハンナとエリーが迷惑をかけているとは思うが助けてやって欲しい。驚くことが起きるかもしれないが推移を見守って欲しい。クリフ』
この素っ気の無い文章を読んだ者の反応は様々であった。
クリフの身に何かあってからでは遅いと、貴賓館への問合せや抗議を主張する者。
何も分からぬうちはクリフの指示通りに推移を見守ろうと主張する者。
最も過激な者は、秘密裡に貴賓館の下働きなどを買収するなどして、救出作戦に備えるという案もあった。
そして意外にもハンナは、それらの議論には加わらなかった。
「どうしたんだ? そんなに萎(しお)れるなよ。」
ヘクターがハンナを気遣って声をかけるが「うん」と短く答えたのみで、また押し黙ってしまった。
ここ数日でハンナは自分がいかに恋人(クリフ)に依存していたのかを知った。
剣の使い手よ腕自慢よと持て囃されても、クリフと数日離れただけで言い得ぬ不安に押し潰されそうになる己の弱さに気づいてしまった。
「駄目ね……女って。」
ハンナがぽつりと呟いた。
二月(ふたつき)前の彼女ならば、どのような困難にも牙を剥いて立ち向かったに違いない……しかし、ハンナはクリフと共に暮らすうちに、心身共に「女」である事を自覚してしまっていた。
悲しげに俯いたハンナを見て、一同は信じられぬモノを見たと己の目を疑った。
……クリフ、遅いな……何かあったのかな?
ハンナは朝の身仕度をしながら、ぼんやりと恋人のことを考える。
「ママ、できたよ。」
ハンナのすぐ後ろで、養女のエリーの声が聞こえた……彼女の髪を櫛でとかしてくれたのだ。
「ありがと、エリー。」
ハンナは手早く髪を纏め、髪留めを着ける……この髪留めはクリフがハンナのために贈ってくれた大切な宝物だ。
小さな宝石があしらわれた高価なものだが、彼女は「道具は使うもの」と割り切っている。高価な物を仕舞い込んで眺める様なことはしない。やはり小なりとも貴族の娘だ。
「今日はパパが帰ってくるといいな。」
ハンナはクリフからの手紙を眺めた。
貴賓館からはクリフの手紙が2通ほど届いている……1通目はいかにもクリフらしい、素っ気の無いものだ。しばらく帰れない旨と、ハンナが家を散らかさないように注意を促すものだ。
2通目はハンナの美しさを讃え、会えぬ苦しみが下手くそな散文詩で表現されたものである。
……クリフがこんな詩を贈ってくれるなんて。
ハンナは手紙を見てクスリと笑う。
……でも、私は1通目が好き。とても素敵だわ。
ハンナは1通目の手紙の端にそっと口づけをした。文末に素っ気なく記された『愛しています』という部分を読むたびに彼女は切なくなる。
ハンナは19才……まだまだ恋のために家を飛び出した情熱を忘れてはいない。
「エリー、今日は道場お休みするわ。お掃除しましょ。」
今日、ハンナは股旅(またたび)亭のマスターにクリフが帰らぬことを相談するつもりだ。
酒場が開くにはまだ間がある、それまではエリーと掃除をしようと思い付いたのである……わざわざクリフが手紙に書いてくれたのだ。散らかし放題では申し訳が無い。
「ママ、こうやるのよ、みてて。」
4才のエリーがハンナに手本を示す。
エリーはクリフのお手伝いを普段からしている。
珍しくハンナと掃除をするのが楽しいようで、得意気に小さな箒(ほうき)と塵取(ちりと)りを振り回している。
「もー、そうじゃないよっ! ちゃんとあつめてよ!」
「エリーはお掃除が上手ね……凄いわ。」
ハンナは心底感心したように何度も頷く。
普通、子守とは大人が子供に合わせるものであるが、ハンナは自然体でエリーと接している。
彼女が現代日本に生まれていたら人気の保母さんにでもなっていたかもしれない。
「クリーニングやさんにもっていくときは、はずれそうなボタンはなおしてからもっていくのよ。」
「エリーは何でも知ってるのね。」
エリーによる家事の指導はしばらく続きそうである。
………………
「うーむ、クリフからの手紙はこれだけか?」
「ええ……今のところは。」
股旅亭にて、マスターとヘクター、そしてスジラドがクリフからの手紙をハンナから借り、眺めながら相談している。
「ぷっ、しっかし下手な詩だぜ。」
ヘクターがクリフの詩を読んで思わず吹き出す……確かにクリフの散文詩は下手なもので、何故これを恋人に届けたのか不思議なレベルである。
「む……ヘクターには分からないわよっ! とっても素敵じゃない! 少なくとも私にはクリフの気持ちが伝わるわっ!」
ハンナがムキになってヘクターに噛みつく。
「わかったよ、降参だ」とヘクターがお手上げをした。
しかし、ヘクターともハンナとも違う感想を抱いたも者がいた。スジラドである。
「いえ……これは、こちらがわざと疑念を抱くように書いているのでは……」
スジラドが目を細め、クリフの詩を睨み付ける。
「なるほど、手紙が検閲されているか……」
「ええ、そうです。」
マスターが「ふむ」と手紙を読み直している。
「どういうこと?」
「クリフさんは……何らかの理由で拘束されたのかもしれません。外部への接触を禁じられ、手紙を検閲されている……この詩は何らかの情報を伝えるクリフさんからのメッセージなのでは?」
ハンナの顔からサッと血の気が引いた。
たしかに、いくらなんでも友人に会いに行って4日も帰らないのは不自然である。
「暗号か?」
「わからん。軟禁されているなら炙り出しなどの細工は無理だろうしな。」
ヘクターとマスターが2枚の手紙を見比べて唸っているが、ハンナの耳には何も届いていない。
……クリフが、危ない目にあってる? 何でチェンバレン将軍が? それともクリフを油断させる罠? なんで私はそれに気付けなかったの?
ハンナの顔は既に真っ青である。唇がわなわなと震えている。
「すいません、心配をさせてしまいましたね……でも、そうと決まったわけではありません、落ち着いてください。可能性の話です。」
スジラドがゆっくりとした口調でハンナに語りかける……ハンナを落ち着かせようとする気遣いが見てとれる。
「お嬢ちゃん、早まるなよ。明日にはひょっこり帰ってくるかも知れないしな。」
「ジンデル辺境伯の使節団も近々到着するようだ、何か動きがないか探らせてみよう。」
ヘクターとマスターが口々にハンナを慰め、頷き合う。
……ジンデル辺境伯……そうだ、叔父上なら……叔父上に相談してみよう。
ハンナはジンデル辺境伯の使節団の一員として自由都市ファロン来る予定である叔父のヒースコート・クロフトを思い出し、助けてもらおうと思い付いた。
ヒースコートは今まで何でもハンナの言うことを聞いてくれた……今回も助けてくれるに違いない。
ハンナは少し、落ち着きを取り戻した。
「ジンデル辺境伯の使節団で叔父上が来るはずだから……事情を聞けば何か分かるかもしれない。」
ハンナの言葉を聞いた3人の男たちが「ほう」と感心した。
王国の外務大臣が率いる使節団との交渉に参加する外交官とは、例え正副の使者では無いにしろ、なかなかのものである。
「よし、そちらは任せた。何か分かれば連絡しよう。」
この場をマスターが締めて解散となった。
……大丈夫だよね、何事も無かったように帰ってきてくれるよね。
ハンナは祈るような気持ちでエリーをぎゅっと抱き締めた。
そして、この日もクリフは帰ってこなかった。
………………
3日後
ハンナは自由都市ファロンに到着した使節団に、ヒースコート・クロフトとの面会を求める手紙を届けた。
……何か分かれば良いんだけど……
あれから股旅亭のマスターの元にクリフから1通の手紙が届いた。
『しばらく顔を出せなくて申し訳なく思う。帰りの時期が不明のため、今月の給金は無しにしてほしい。ハンナとエリーが迷惑をかけているとは思うが助けてやって欲しい。驚くことが起きるかもしれないが推移を見守って欲しい。クリフ』
この素っ気の無い文章を読んだ者の反応は様々であった。
クリフの身に何かあってからでは遅いと、貴賓館への問合せや抗議を主張する者。
何も分からぬうちはクリフの指示通りに推移を見守ろうと主張する者。
最も過激な者は、秘密裡に貴賓館の下働きなどを買収するなどして、救出作戦に備えるという案もあった。
そして意外にもハンナは、それらの議論には加わらなかった。
「どうしたんだ? そんなに萎(しお)れるなよ。」
ヘクターがハンナを気遣って声をかけるが「うん」と短く答えたのみで、また押し黙ってしまった。
ここ数日でハンナは自分がいかに恋人(クリフ)に依存していたのかを知った。
剣の使い手よ腕自慢よと持て囃されても、クリフと数日離れただけで言い得ぬ不安に押し潰されそうになる己の弱さに気づいてしまった。
「駄目ね……女って。」
ハンナがぽつりと呟いた。
二月(ふたつき)前の彼女ならば、どのような困難にも牙を剥いて立ち向かったに違いない……しかし、ハンナはクリフと共に暮らすうちに、心身共に「女」である事を自覚してしまっていた。
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