猟犬クリフ

小倉ひろあき

文字の大きさ
60 / 99
2章 壮年期

閑話 運命の君 上

しおりを挟む
 公子アルバートの三男、トバイアスはどこか屈折した所のある少年だった。

 彼と妹のクラウディアは第2夫人の子であり、正妻の子である長男ファビウスと次男アマデウスとは明確な区別をつけ育てられた。

 差別では無く、区別である。

 長男は嫡子として家督を継ぐ為に、次男は長男に何かあった時のスペアとして君主としての教育を受けた。

 そして三男は騎士としての……すなわち家臣としての教育を受けた。

 不幸なことに、彼には優れた知能と肉体と感性が具(そな)わっていた。

「優れた騎士になれますよ」

 悪意の無い褒め言葉が彼を苦しめた。
 優れた騎士とは、役に立つ家来という意味である。

 彼の優れた感性が、自分が本質的に必要とされていないことに気がついた。
 分別がつく年頃には妾腹の三男なぞ「いらない子」なのだと理解した。
 彼はお家騒動の種になりかねない「余計な」存在なのだ。

 兄たちは優しく、妹も良くなついている。
 トバイアスも兄たちにも父にも思うところはない。

 この区別は当たり前の事だからだ。

 だが、家庭内での明確な区別が……両親も、兄妹も、教師も、友人も、使用人でさえ、彼を苦しめる。

 世の中には彼の努力や才能ではどうしようもないことが多すぎた。

……どうせ、俺なんか。

 いつしか彼は全てに対して斜(しゃ)に構え、努力を忘れた。

 しかし、不幸なことに努力をせずとも、優れた資質を持つ彼は落第生にすらなれなかったのである。

 大人たちは「なぜ努力しない」「やればできる」と彼を励まし、その度に彼は頑(かたく)なになっていった。

 何となく憂鬱(ゆううつ)で、灰色の毎日……これが彼の13才であった。

 

………………



「トビー兄様、今日の晩餐会の話は聞いた?」
「また晩餐会か……面倒臭いなあ。」

 妹のクラウディアが嬉しげにトバイアスに話し掛ける。彼女は11才、金色の髪を腰まで垂らしたお姫様である。
 
 トビーとはトバイアスの愛称だ。ちなみにクラウディアはディディとなる。

 年の近い彼らは仲が良く、愛称で呼び合うのだ。

 最近は父のアルバートが、叔父のダリウスと家督を争い、その関係で会食が多い。
 トバイアスは大人の付き合いにうんざりしていたのだ。

「でもね、今日のお客様は『あの』猟犬クリフなんですって! 楽しみだわ!」
「えっ? 『あの』猟犬クリフなのか?」

 この兄妹は観劇を好み、当然のように猟犬クリフの物語は知っている。

 猟犬クリフと言えば、ここ数年で爆発的に流行した物語で活躍する主人公だ。
 様々な冒険譚や武勇伝、そして恋の物語に彩られた英雄である。

「猟犬クリフって本当にいたんだな……」
「ね! 楽しみでしょう? 今はお父様とお会いだそうよ。」

 クラウディアが得意気に顎を上げた。このニュースを兄に知らせたのが誇らしいらしい。

「ありがとうディディ。晩餐会が楽しみなんて初めてだ。」

……猟犬クリフ、冒険者であり名門貴族か……辻の決闘や黒騎士リンフォードとの一騎討ち……さすがに1つ目の巨人(サイクロプス)を倒したのは無いと思うけど……

 トバイアスは猟犬クリフの物語を思い出していく。

 ちなみにかつてクリフが捕らえた賞金首の「騎士崩れのリンフォード」は「黒騎士リンフォード」として脚色され、猟犬クリフの最大のライバルとして何度も激突し、壮絶な一騎討ちを繰り広げたことになっている。

「うふっ、姫剣士ハンナ・クロフトも来るのかしら?」

 クラウディアが嬉しげに歯を見せて笑った。


…………


……あれが、猟犬クリフ……もっと大男かと思ってた。

 トバイアスは猟犬クリフこと、クリフォード・チェンバレンを観察していた。

 噂通りの黒い髪とアンバーの瞳を持つ壮年の男。
 その武勇伝からトバイアスは勝手に大男を想像していたが、身長は人並みである。

……やっぱり凄いな、迫力がある。

 トバイアスはクリフの身のこなしや、雰囲気から威圧感を感じた……これは冒険者で言うところの貫禄(かんろく)と言うものである。

……あれは娘かな? さすがにハンナ・クロフトじゃないだろう。

 トバイアスは、父と母たちに挨拶をするクリフの後ろに少女の姿を見つけた。
 さらさらとした茶色い髪と大きな目の可愛いらしい少女である。

 少女もこちらに気がつき、目と目が合った。


 その瞬間、トバイアスは脳天から爪先まで至る強い衝撃を感じた。


 自分の顔が上気し、指先が緊張で震えた。

 少女がこちらに会釈(えしゃく)し、視線が離れる。

……なんて、なんて、可愛いんだ! この娘と結婚したい!

 僅か2秒ほどでトバイアスの思考は何段も飛躍し、少女と結婚する自分を夢想した。


 一目惚れをしたのである。


 顔の好みだとか、話題が合うとかそう言う話ではない。もっと本能的な、遺伝子的な衝動に駆られ、彼の心臓はペースを早めた。


 それからは正直あまり覚えていない。


 猟犬クリフの話も聞きたかったが、目の前の可憐な少女から目が離せなかったのだ。

 彼女の名前はアリス・チェンバレン、猟犬クリフの娘だ。

 トバイアスは必死で平静を装いながら彼女に話し掛け、なんとか2日後に会う約束を取り付けた。

……断られなくて良かった。お茶会とは良い口実だ。

 たまたま貴族の子弟が集まるお茶会があったのは僥倖(ぎょうこう)であった。

 貴族の子は幼い頃より社交に慣れる必要があり、それを学ぶ場として公爵家は簡単な昼餐会やお茶会を開催するのだ。
 貴族社会は強烈なコネ社会である。公爵家の子供は幼い頃よりこうして知己を集めるのだ。


 晩餐会も終わりを迎え、猟犬クリフとアリス・チェンバレンは彼の両親と挨拶を交わしている。

 彼は使用人の目を盗み、彼女の使ったケーキスプーンをそっとポケットに仕舞い込んだ。


…………


 晩餐会が終わると、クラウディアがニタニタ笑いながら近づいてきた。

「いひ、兄様よかったね。」
「何がだよ。」

 トバイアスはわざとぶっきらぼうを装いながら答えた。

「可愛い娘じゃないか、お目が高いな。」

 反対側から次兄のアマデウスが肘でつついてくる。
 アマデウスは良く言えばおおらかな性格をしていてトバイアスの面倒も良く見てくれる。

「兄上までやめろよ、そんなんじゃ無い。」
「嘘! トビー兄様があんな風になるの初めて見たわ! 一目惚れなんて素敵じゃない! 運命の出逢いだわ!」

 クラウディアは年相応に恋に憧れているのだ。一目惚れや運命の出逢いなどは大好物であろう。

……一目惚れ? これが?

 トバイアスは自分の心臓がどうしようもなく加速するのを感じる。
 彼はこれが初恋であった。

「そんなんじゃないけど、ただ……その、話が聞きたかったんだよ。」
「そんな態度はいかんな、トバイアス……彼女は情熱を求めているぞ。大体だな……」

 アマデウスが何やら講釈を始めたがトバイアスは半ば無視をした。

「もう夜も遅い、あまり騒ぐなよ。」

 長兄のファビウスが3人に声を掛けて部屋から立ち去る。

 ファビウスは21才で妻子がすでにいるが、義姉は産後のためにこの場には同席していない。
 年が離れていることもあり、あまりトバイアスやクラウディアとは親しくしないが、仲が悪い訳ではない。

 長兄の一言でなんとなくお開きとなり兄妹は解散した。
 晩餐会のホストである父と母たちは猟犬クリフを見送りに行き、すでにこの場にはいない。


…………


 部屋に戻り、トバイアスはアリス・チェンバレンが使ったスプーンを眺める。

 口に含んでみたい衝動にも駆られたが、それは何となく彼女を汚(けが)す行いのような気がしてクルクルと掌で玩(もてあそ)ぶ。

……アリス・チェンバレン、か……素敵な名前だ。

 夜も更け、ベッドに潜り込んだ彼は無理矢理に眠ろうとしたが、妙に目が冴えてしまう。
 
 ごそごそと落ち着かぬ股間をまさぐると、感じたことの無い感覚を味わい、ドロリと何かが出た。


 彼は精通したのである。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

三十年後に届いた白い手紙

RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。 彼は最後まで、何も語らなかった。 その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。 戴冠舞踏会の夜。 公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。 それは復讐でも、告発でもない。 三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、 「渡されなかった約束」のための手紙だった。 沈黙のまま命を捨てた男と、 三十年、ただ待ち続けた女。 そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。 これは、 遅れて届いた手紙が、 人生と運命を静かに書き換えていく物語。

初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結】

星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。 だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。 しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。 王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。 そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。 地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。 ⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。

夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い

青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。 神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。 もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。 生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。 過去世と同じ轍を踏みたくない……

「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある

柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった 王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。 リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。 「わかりました。あなたには、がっかりです」 微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。

お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。 嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。 「居なくていいなら、出ていこう」 この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし

欠席魔の公爵令嬢、冤罪断罪も欠席す 〜メイリーン戦記〜

水戸直樹
ファンタジー
王太子との婚約――それは、彼に恋したからでも、権力のためでもなかった。 魔王乱立の時代。 王も公爵も外征に出ている王都で、公爵令嬢メイリーンは“地味な婚約者”として王城に現れる。 だが、王太子は初顔合わせに現れなかった。 にもかかわらず、記録に残ったのは「公爵令嬢の欠席」。 抗議はしない。 訂正もしない。 ただ一つ、欠席という事実だけを積み上げていく。 ――それが、誰にとっての不合格なのか。 まだ、誰も気づいていない。 欠席から始まる、静かなるファンタジー戦記。

はじめまして、私の知らない婚約者様

有木珠乃@『ヒロ弟』コミカライズ配信中
ファンタジー
ミルドレッド・カーマイン公爵令嬢は突然、学園の食堂で話しかけられる。 見覚えのない男性。傍らには豊満な体型の女性がいる。 けれどその女性から発せられた男性の名前には、聞き覚えがあった。 ミルドレッドの婚約者であるブルーノ王子であることを。 けれどミルドレッドの反応は薄い。なぜなら彼女は……。 この世界を乙女ゲームだと知った人々による、悪役令嬢とヒロイン、魔女の入れ替え話です。 悪役令嬢を救いたかったはずなのに、どうしてこんなことに? ※他サイトにも掲載しています。

【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く

ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。 5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。 夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…

処理中です...