猟犬クリフ

小倉ひろあき

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2章 壮年期

13話 ヘクターからの手紙

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 トバイアス・クロフトとエリーの婚約が成り、数ヵ月が経った。

 とはいえ、トバイアスはクロフト村には入らずジンデルの町に居り、バーチの町はアルバートから付けられた家臣が管理をしているらしい。
 トバイアスがクロフト領に入るのは、婚儀を終えてからとなるそうだ。
 
 婚儀は来年の春である。



………………



 初夏の頃、クリフと従者たちはハンクと共にクロフト村から主要街道に出る間道に砦を築いていた。

 砦と言えば勇ましいが、実際には石造りの兵舎と見張り櫓、それらを柵で囲った程度の物である。

 バーチの町を加えたクロフト領はそれなりの規模であり、防備は必要である。
 そこで村の入り口に砦を築き、数名の兵を常駐させることになったのだ。
 この程度の砦であっても土地の高低や間道という地形を生かせば侮れぬ守りとなるだろう。

 ちなみにバーチの町はクロフト村から主要街道に出て東へ向かい、さらに脇街道に入ったすぐの場所である。普通の者でおよそ2日半の行程だ。


 クリフたちは小高くなっている地形を見つけ、数名の村人と協力して兵舎を築く。
 急ぐ工事ではない。兵舎さえ出来てしまえば兵を常駐させ、気長に完成させれば良い。

 幸い、小屋を作る資材はいくらでもあった……クロフト村近くの山道を整備していた時に出た石や木材をマメに備蓄していたのが活きた形である。

……しかし、バーニーやゲリーは良く働くな……若いからかな?

 クリフは「ふう」と汗を拭(ぬぐ)い一息ついた。

 兵舎の壁の石組みは完成に近い。
 床は土間であり、屋根は板葺(いたぶ)きの粗末な造りとする予定である。

「おっ、人が来たな……騎馬が2、兵が8……いや7人か……殿様がいるな、うちの連中か?」

 ハンクが素早く異変を察知し、周囲に警戒を促(うなが)した。
 彼の言う「殿様」とはヒースコートのことである。

 クリフもじっと集団を窺う……小高いだけはあり、間道の様子が良く見える。

「ああ、あれはトバイアス様だ。公爵家からきた養子だよ。」

 クリフがトバイアスの存在を告げると兵士たちが少し緊張し、身を固くしたようだ。

 集団には見覚えの無い兵が何人か混ざっているが、これはトバイアスの手勢であろう。

「なるほど、お嬢ちゃんのお相手か。」
「ああ、そうだよ。」

 ハンクの物言いにクリフは憮然(ぶぜん)とした。

 来年、エリーは嫁に行く。

 それを考えるとクリフはトバイアスに対し敵意にも似た感情を覚えるのだ。

……あれはやはりオマケをし過ぎたな……13才で嫁に行くなど早すぎる……くそっ。

 トバイアスの姿を見てクリフの機嫌はみるみる内に悪くなる。

 12才で婚約、13才で結婚は確かに早いが、貴族の結婚としては早すぎると言うことも無い。
 貴族は産まれた直後に婚約させられることすらままあるのだ。

 ハンクはクリフの様子を見て苦笑した。

「そんなに怒るなよ。」
「馬鹿な、怒ってなどいない。」

 クリフはハンクの言葉を聞き、さらに機嫌を損ねた。

「まあ、ほどほどにな。あんまり意地の悪い舅(しゅうと)だと、結局はお嬢ちゃんが泣くんだぜ。」

 ハンクの指摘に「うっ」とクリフが呻(うめ)き声をあげた。


 そうこうしている内にヒースコートたちは近づいてくる。

 クリフたちは斜面を降り、一行を出迎えた。

「丁度良かった。トバイアス様、クリフ殿はこの道を守る砦の建築をされていたのです。」

 突然クリフが現れたことに驚いたトバイアスにヒースコートが事情を説明する。

 トバイアスは「そうでしたか」と頷(うなず)き、下馬しつつクリフに頭を下げた。

「お会いできて嬉しゅうございます義父上(ちちうえ)。本日はヒースコート様より招かれ、クロフト村に初めて参るところです。」

……む、お前にまだ父と呼ばれる筋合いは無いぞ。

 クリフは不快であったが、なんとか顔に出さずに済ますことに成功したのは先程のハンクの忠告のお陰であろう。

「お久し振りですトバイアス様。」

 クリフは何とか無難に挨拶をする。トバイアスはクリフの内心には気づかず「お止めください、義父上に頭を下げられては困ります」などと言い、クリフをさらに苛つかせた。

 トバイアスは他の者にもにこやかに挨拶をし、興味深げに砦を観察する。

「うん、この道に砦があれば守りやすく攻めがたい……高さを活かして砦から石を投げるだけでも効果が有りそうです。」
「この場所に定めたのはこの者……従士ハンクです。ハンクは私と同じ元ベテラン冒険者、先の内乱でも私以上の働きを見せました。これからはトバイアス殿のお役に立ちましょう。」

 クリフがトバイアスにハンクを紹介する。

 ちなみにクリフはトバイアスのことを「様」から「殿」に敬称を変えた。
 「様」は目上の者への敬称であるが「殿」は比較的近しい者同士への敬称である。
 クリフは一応は舅としてトバイアスに接するつもりになったようだ。

「それは頼もしい。ハンク、これからは私も助けてほしい。」

 トバイアスに親しく声を掛けられ、ハンクは「若様、勿体(もったい)ねえ」と恐縮した。


 その後も少し話した後にクリフたちもヒースコートの供をしてクロフト村へ向かう。

 クリフが徒歩なのを見たトバイアスが「義父上が徒(かち)ならば私も」と馬を降りたが、クリフとヒースコートが押し留め、騎乗させた。
 初めてトバイアスを見る村人が彼を侮るようなことがあってはならぬからである。

 その途上でハンクが小声でクリフに話しかける。
 2人は列の最後尾を守っており、その話し声は他の者には聞こえぬほどの音量だ。

「感じの良い若様じゃねえか。何が気に入らねえんだ?」
「いや、彼に不足は無いんだ……ただ、エリーが嫁ぐと思うとさ……はあ。」

 クリフが泣きそうな顔で溜め息をついた。

「ふうん、そんなものか……旦那とお嬢ちゃんは睦まじいからなあ。」

 ハンクが何やら屈託(くったく)ありげに呟いた。

「何かあるのか?」
「旦那が本音で話すから俺も正直に言うけどよ……俺はガキに懐かれなくてさ、やってけるか不安なんだよ。」

 ハンクは最近、結婚をした。
 相手は先年討ち死にした従士の未亡人で、連れ子が2人いる。

「子供はいくつだ?」
「上の坊主が7つ、下の娘が4つさ。」

 クリフは「そうか」と呟きハンクの妻を思い出した。
 たしか20代後半の優しげな女だ。

「まあ、奥さんに任せておけば時間と共に解決するんじゃないか?」

 クリフはエリーと出会った頃を思い出していた。
 始めエリーは両親が殺されたショックで意味もなく泣き出したりしていた……たしかパパと呼ぶまでに1年ほどかかった筈である。

 ハンクはまだ冬に結婚したばかりだ、クリフには焦ることは無いようにも思えた。

「まあ、親父が死んで半年くらいで違う男が来たんだ……そりゃ、まあな。」
「焦らなくてもいいさ……ありきたりだけど、自分が嬉しかったことをしてやるとか、そのくらいしか思い付かないしな。」

 ハンクは「ふうー」と深い溜め息をついた。
 心なしか自慢の髭(ひげ)も萎(しお)れている。

「俺はさ、親父を知らねえんだ……年の離れた兄貴が親がわりでよ、だからかな……不安なんだよな。知らねえことをやるのはいつも不安だ。」

 クリフはハンクの過去を初めて聞いた。

 この時代のマカスキル地方は争いも多く、医学も未熟だ。人は簡単に死ぬ。
 ハンクの父親が早死にしていても不思議は無い。

「そうか、兄貴は?」
「多分死んだよ。俺が17の時に戦に行ってそれきりさ。」

 クリフは「そうか」と言って黙り込んだ。

……不安、か。俺も不安なのかな……エリーを他の男に任すのは不安だ……エリーが幸せになれるか不安だ……そう言うことなのかもな。

「俺はさ、毎年春になるとハンナに花を贈るんだ。赤い花を。」
「へえ、花は良くわからんが……そういうの、良いかもな。」

 人の気持ちに気づくことも、自分の気持ちを伝えることも難しいことだ。
 大抵は後になって「ああ、あの時」と気づくのがやっとである。

 クリフは俯(うつむ)き、何故か昔の苦い記憶を思い出した。
 結婚を申し込んだエレンという女性と気持ちがすれ違った苦い記憶だ。

……あの時も、もう少し相手(エレン)の気持ちを聞いていれば……もう少し俺の気持ちを伝えていれば、違った結果になったかもな。

 クリフは今でもエレンのことを思い出すと、口の中が苦くなるような、なんとも言えない心持ちになる。

 若い頃の過ちは、ほろ苦い。

「結局さ、気持ちを伝えるには言葉か行動しか無いものな……何かしてやるのが良いんじゃないか?」

 ハンクは「そうだな」と呟いた。



………………



 その日からトバイアスは4日ほどクロフト村に滞在した。

 クロフト領も面積はそれなりに広く、4日の大半を彼はヒースコートと共に領内の3村の視察に費やした。

 トバイアスは農村での暮らしと言うものを知ってはいたが、やはり間近で見て驚くことも多かったらしく、楽しげに過ごしていた。

 無論、彼のその楽しげな様子はエリーと同じ屋根の下で起居を共にする喜びとは無縁では無いだろう。

 武者絵から飛び出したかのように凛々しく清(すが)しげなトバイアスは村民からも好評価であり、その血筋のよさも相まって「若殿様」と既に呼ばれ敬(うやま)われているようだ。

 ヒースコートもアビゲイルもトバイアスを好ましく思い、この新たな息子を得たことを喜んでいる。

 クロフト家の食事も少し賑やかになった。
 15才のトバイアスは良く食べ、その様子をハンナとエリーもニコニコとして見守るのだ。

 心中が複雑な者は村中で1人だけなのである。
 クリフは謎の疎外感を感じながら、この4日を過ごすことになった。

 そして、そのクリフの心中を知らずにか……それとも少しでも親しもうとしてか、トバイアスは積極的にクリフに話し掛けるのだ。

「義父上が手を加えた山道を見て思い付いたのですが……」

 夕飯を終えた後、トバイアスが地図を広げながらクリフに話し掛けてきた。
 この地図は町の位置と街道を確認するだけの大雑把なものである。

「バーチの町と、クロフツ村を繋ぐことはできぬものでしょうか?」

 クリフも「どれ」と覗く。

 確かにバーチは街道をぐるりと迂回して向かう必要があり、間道を通せば往来は楽になるだろう。
 位置的にもクロフト村から東のクロフツ村を起点にするのは間違いでは無い。

「ふーん、確かに半分くらいの距離になるかもね。」

 ハンナが地図を見ながら口を挟む。

 余談だが、トバイアスはハンナが剣の達人だとは知っていたが、エリーから「母さんは病気になってから剣を振れなくなった」と聞いており、非常に残念がったらしい。

「しかし、大事業になるぞ? 山道を拡げるだけでも遅々として進まないからな。」
「ええ、まともな街道にするならば私の代では終わらぬかもしれません。」

 クリフの言葉を聞いてトバイアスが苦笑した。

「うーむ、砦の建造に山道の整備、果樹の植樹もある、当分は手が足りないだろう。」
「そうですね、人を出すならバーチからになるでしょう。」

 ヒースコートとトバイアスは盛り上がってきたらしい。
 やはり、領主として領内の発展する未来を想像するのは堪らなく魅力的なことなのだろう。

「やってみなければ判りませんが、ルートの調査をするだけで何年もかかるかもしれません……先ずは腕の良い冒険者を何人か、いや何組か雇う必要もあるでしょう。」
「なんで? クリフとハンクじゃ駄目なの?」

 クリフの提案にハンナが首を傾げた。

「いや、ルートの調査は幾つも候補を見つける必要もあるだろうし、何より未開の山中を何日も進むんだ……モンスターもいるだろうし、交代要員も必要だ。考えてみろ、山道の拡張だけで俺とハンクは調査に何ヵ月もかけたんだぞ。」

 クリフの冷静な意見にヒースコートとトバイアスは鼻白んだ。

 新たに道を拓くのは大事業なのである……あらためてトバイアスは思い知ったであろう。

「先ずは冒険者を見つけることです。私が冒険者ギルドに紹介を頼みましょう。」

 クリフの言葉にトバイアスが「ほっ」と息をついた。
 この義父は計画自体には反対では無いらしい。

 その様子を見てエリーがくすりと笑った。

 この会話にはエリーとアビゲイルは加わらない。
 女が政(まつりごと)の話に加わるのは「はしたない」とされるからだ。
 平気で加わるハンナが異常なのである。

「エリーさん、嬉しそうね。」

 アビゲイルが優しげにエリーに微笑む。

「ええ、だってお父さんとトビーが仲良くしてくれるから嬉しくて。」
「あら、ほほ。」

 エリーが恥ずかしげにはにかむと、アビゲイルが上品に笑った。

 そのエリーの様子を見てトバイアスの耳が赤くなった。

 この4日間でエリーとトバイアスは愛称を呼び合うほどに親しくなったようだ。
 ひょっとしたら親の目を盗んで接吻(キス)くらいはしているかもしれない。

……トビー、だと? こいつ……いつの間に……

 クリフが「ぐぬぬ」と歯噛みしたのを見てヒースコートがニヤニヤと笑う。

「叔父上も嬉しそうね?」

 ハンナが悪気なくヒースコートに訊ねると「ふふふ、わかるかね」と嬉しげに口許を緩めた。

「トバイアス殿とエリーの睦まじげな様子を見るとつい、な。」

 ヒースコートはニタニタとクリフを見てほくそ笑み、その顔はクリフの神経を逆撫でる。

……ぐぬ、コイツ……決闘してやろうか?

 この言葉を聞いたクリフは義理の叔父に対する怒りを表に出さぬように理性を総動員させることとなる。


…………


 その晩、クリフはハンナと数年ぶりに臍(へそ)を比べ合った。

 3年半ほどの時間を置いたハンナの肢体は、以前の一分の隙もなく鍛えられたしなやかなものから変化をし、脇腹や脇の下に豊かな肉がつき、その柔らかな感触は大いにクリフを慰めたようだ。

 この切っ掛けは弱りきったクリフをハンナが慰めたことだったのだから、人生とは何が良くて何が悪いのかは一概には言えない。

「ねえ、クリフ……エリーがお嫁に行っちゃうのがそんなに悲しいの?」

 行為を終えた後、少し豊かになった胸でハンナはクリフを慰めていた。

「うん、悲しい。」
「大丈夫、クリフには私がついてるよ……ずっと一緒にいるわ。」

 クリフは顔を上げてハンナと視線を合わせた。

……エリーが嫁に行ったら、俺の家族はハンナだけなんだな……

 そう考えると、自分にとってハンナの存在がいかに大きなものであるか、いかに自分を支えているか、クリフは思わずにはいられない。

「ねえ、クリフ……正直に言えば、私……私、クリフに捨てられちゃうと思ってた。」

 ハンナが少し悲しそうな顔で薄く笑った。
 その表情は、鬱(うつ)病を患っていた時の自己否定とは違い、辛かった過去を受けとめ、冷静に振り返るものだ。

 彼女の病は寛解(かんかい)したと言っても良いだろう。

「ハンナは、俺の大切な人だ……ハンナがいなかったら、俺は一人法師(ひとりぼっち)さ。」

 クリフがハンナにすがるように抱きついた。

「ふふ、クリフったら。よしよし、大丈夫よ。」

 今回のことは、余程クリフにとってこたえたらしい。
 ハンナはそっと、クリフの背中をとん、とん、と叩いた。

 その心地よいリズムに誘(いざな)われ、クリフは眠りに落ちていく。

 時に男は、女に無性に甘えたくなる時がある。
 この日のクリフは存分にハンナに甘やかされた。



………………



 その後


 冒険者を紹介して貰うべく、クリフが送ったギルドへの手紙は思わぬ事態を知らせることになる。

 ヘクターからの返信はエイブの死を知らせ、帰ってきて欲しいとクリフに助けを求めるものであった。
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