神様アンダーザブリッジ

佐川恭一

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神様アンダーザブリッジ

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 まったくねえ、神様なんてものがいるはずないんですよ、もしいたなら、私がこんな目に遭ってる理由がわかりません。私はね、昔ちゃあんと働いてたんです、女房と一人娘がいて、慎ましくも幸せな生活を送っていたんですよ。それなのに、私が証券会社に騙されて借金背負わされると、女房は娘と逃げちまいました。私は借金がばれて会社もクビになって、まったくの無一文。毎日借金取りに来られてどうしようもなくなって、強盗に入ったんです。深夜のコンビニですね。ナイフ持つ手がぶるぶる震えましてね、それでレジの金全部出せって言ったら五万円ですよ。信じられますか。それじゃ金利にもならないんで、引き返せないじゃないですか。もっとあるだろ、奥の金庫もってこいって私泣きながら言ったんです、そしたら後ろにいた客二人が飛びかかってきて御用ですわ。それでどうなったと思います? 三年の実刑判決ですよ。強盗って罪が重くてね、銀行だろうがコンビニだろうが強盗は強盗だって言うんですよ。私は泣きました。ずうっと、四十年以上まっとうに生きてきたのに、詐欺師集団みたいな小さい証券会社のね、クソみたいな担当に人生メチャクチャにされちまったんです。あなた許せますか? 私は刑務所を出てすぐにその会社の前に行きましたよ、そいつは権田っていうんですけど、入り口から出てくるのを待ってね、ナイフで刺してやろうと思ってました。

 長い間待ち続けて、夜の十時くらいだったかな、やっと権田が出てきたんです。残業が終わったんだろうと思ったら、後ろから上司が追いかけてきて、「回収するまで戻ってくるな!」とか叫んでるんですよ。何かの融資に失敗したんですかね、権田は「はい! 必ず回収してまいります!」なんて言ってね、冷や汗まみれでした。いいざまだと思いましたよ。私は彼を追跡することにしました。季節は夏なのに暑そうな、でも高そうなアルマーニか何かのスーツ着て、かっちりしたビジネスバッグ持って、取引先のところに向かうのかなと思ったら、権田はそこの高い橋の上で足を止めて、この大きな川を眺め出したんです。川はきらきらしたネオンの光をうつして、とても綺麗でした。私もネオンの光る夜の街で遊んでいたことがあったんですよ、でも当時はつまらないと思っていました。上司との付き合いで薄着のお姉ちゃんと何の意味もない話なんかしてね、訳も分からず大笑いしたりして、まったく無駄なものだと思ってました。でも川を眺めているとき、私にはその夜の街で過ごした時間が、華やかで素晴らしくて、この上なく楽しかった体験として蘇ってきたんです。ああ、もう二度とああいう世界には触れられないんだ、あのつまらないと思っていた時間が自分の最高の時間だったんだ……私は悲しくなってね、もうさっさと終わらそう、権田を殺して自分も死んでしまおうと思った。そうして権田の方にナイフを持って近付こうとした瞬間、彼は橋の柵の上に立って、なんと川に飛び込んでしまった。何十メートルだかわからないけど凄く高い橋でしょう、その後下を見ても暗くて、彼の身体がどうなっているかわからなかった。まあ、多分死んだでしょうね。

 それで私はもうやることがなくなったと思った。刑務所にいる間も権田を殺そうとしか思っていなかった、それなのに彼は勝手にいなくなってしまった。彼もまた弱い人間にすぎなかったんですよ。私はね、実のところ、権田がこの川から出てくるんじゃないかと思ってここでホームレスをやってるんです。かわいそうな人間だとは思うけど、まだあいつを許したわけじゃないからね。絶対に、死体でもいいから、あいつを刺してやるつもりさ。どうだい、この世の中メチャクチャだろ? あんた、それでも神様はいると思うかね?

 一気にまくしたててきたホームレスに僕はこういう話をした。

 あるところに千の部屋があるホテルがあるとするでしょう。その部屋の一つ一つには一冊の本が置いてあります。面白いものもあればつまらないものもある。そして私たちはそのどれかの部屋にランダムに入れられてそれを読みます。もしつまらない本に当たったら損したと思うでしょう。でも、順番に部屋を移動していって、最後には全員が千冊の本を読み終えるとしたら、つまらない本を読むのも損だとは思わないはずです。それは順番にすぎないからです。
 不公平な世の中ですが、今の本の話みたいに、すべての人生をみなが持ち回りで体験するのだと僕は信じていて、そうすると結局世の中は完全に公平なのです。神が作ったとしか思えない、完全な公平でしょう?

 ホームレスは呆れた顔で怒鳴った。「そんなのあんたの妄想でしょうが!」彼はそのまま自分の縄張りに引っ込んでしまった。真実を信じさせることは大変に難しい。天国に戻って、もう一度修行を積まなければならないと思った。
 僕は神としてまだまだ未熟なのだ。 
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