怪奇幻想恐怖短編集

春泥

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滅びゆく町(2)

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 引っ越しの日がこれほど待ち遠しかったことはなかった。
 六年生になったトモキには相変わらず友達がいなかったので、珍しく事前にクラスの担任からアナウンスがあったものの、父の車で町を出て行く彼を見送りに来た者はなかった。

 後部座席に座ったトモキは、車窓を流れる風景を眺めていた。一年で更に空き家の数が増え、一層荒廃した感じを醸し出している。

「よかったわ、この町を出ることができてホッとしてる」

 助手席の母がため息混じりに言うと、ハンドルを握る父は前方を見つめたままで答える。

「なかなか静かでよかったけどね。魚がうまいし」
「あなたはおいしくお酒が飲めればどこでも満足なんでしょ。昼間だっていうのに、商店街はシャッターが閉まった店だらけ、人通りも少ないし、気味が悪いわ。『滅びゆく町』なんて名前でネットで騒がれてるらしいわ。物好きな人達が廃墟を見にわざわざやって来るんですって」

 あのものすごい顔

 トモキは思わず目を閉じた。あれはただの白昼夢だった、と頭の中で何度も唱える。
 現に、目を覚ました時、日が暮れかかった廃屋の庭に彼は倒れていた。恐々体を起こしてみると、倒れた時にできたと思われる擦り傷と打撲以外目立った傷はなく、ズボンのポケットに入っていた財布は無事だった。
 何もされていない、と安堵の息を吐きながら、トモキは乱れた着衣を直し、髪の毛に挟まった草や、衣服や剥き出しの腕についた汚れを可能な限り払い落として家に帰り、熱いシャワーを浴びた。断じて、何事も起こらなかった。

「ねえ、あの空き家よ」

 母親の声にトモキははっと我にかえった。

「なんだい?」
「ネットで話題になってる家。なんでも――蛇女が最初に目撃されたのがあの家なんだそうよ」
「ほんとうかい? じゃあ最後の思い出に探検していこうか?」

 車が減速し、トモキは叫び出しそうになった。

 やめて!

 しかしその前に母が口を開いた。

「やめてよ、気持ち悪い。どうせホームレスでも住みついてるのよ」

 車は再びスピードをあげ、町外れの空き家の前を通過した。

「ホームレスがなんで『蛇女』になるんだい? いくら見間違えたにしても」
「よく知らないけど、青白い顔をして耳まで口が裂けているそうよ。そして、全身鱗に覆われているんですって」
「よく知ってるじゃないか」
「他に娯楽がないから、近所の奥さんたちみんなでその話で盛り上がってたのよ。なんでも、最近では、子供まで出るらしいわ」
「子供?」
「蛇女の子供、全身に鱗の生えた小さいのが何匹もいるらしいわ」
「それは皮膚病を患った野犬か何かじゃないのかい、可哀想に。お化けは見えたかい、トモキ」

 リアガラスの遠ざかる風景に食い入るように見入っていたトモキは、父に呼ばれて弾かれたように振り向いた。バックミラーに映る父の目は笑っている。

「トモキはあのお化け屋敷に行ったことがあるのかい?」
「ないよ」とトモキは即答した。
「あるわけないわ。危ないから近づかないように、って口を酸っぱくして言ってたもの」

 トモキは後部座席に体を深く沈めて目を閉じた。
 彼は視力がいい。
 遠ざかっていくあの空き家の崩れかかった門から、あの時の白いものすごい顔と、それより小さい、小型犬ほどの大きさの生き物たちの白い顔が、見えたような、気がした。

 気のせいだ。あの日と同じで、平気なふりをしても内心ビビっているから、あんな幻を見るのだ。

 恐怖のあまり気を失ったあの日、家に帰ったトモキは母に「転んだ」と説明したのだった。風呂に入る時に、腿の内側に何か光るもの――薄く半分透き通ったうろこ状のもの、ただし鱗にしては大きすぎるので鱗のはずはなかった――が付着してるのに気づいた。
 内腿に擦り傷ができていたが、シャワーでよく洗い流したら、傷が化膿することもなかった。さっき見たと思ったいくつもの小さい顔が自分に似ていたなんてことは、全くの気のせいだ。

 トモキは後部座席でぎゅっと目をつむって、この死にかかった町から脱出できることを心から喜んだ。
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