怪奇幻想恐怖短編集

春泥

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屍彼女:初恋(1)

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 チヒロが兄のおさがりの古いゲームをプレイするようになったのは、ほんの偶然からだった。同じクラスのサエキさんが休み時間に古い攻略本を読んでいるのをみかけたのだ。
 サエキさんは、高校一年生ながら同級生から「サエキ女史」というあだ名をつけられる大人びた雰囲気の優等生だった。物静かな彼女は、普段は国内外の文学作品――ぶ厚く装丁も立派なハードカバー――を読んでいることが多かった。だから

「そのゲーム、うちのお兄ちゃんも持ってた」

 サエキさんの横を通り過ぎる際に、思わず声をかけてしまったのだった。
 サエキさんは、文庫本サイズで俗っぽく毒々しい色合いの攻略本から顔をあげ、分厚い眼鏡のレンズ越しにチヒロを見あげた。

「キムラさんもプレイするの?」

 サエキさんに名前を呼んでもらえた喜びに思わずゆるむ頬を引き締めながら、チヒロは「私はやったことないんだけど、面白い?」と訊いた。

「そうねえ」とサエキさんは少し考えてから「ゾンビの首をちょん切ったり、ちょっとずつ陽の光にあてて燃やしたりするのは楽しいよ」と言ってにやりとした。

「『リビングデッド・ハニー』って、恋愛ゲームじゃなかった?」
「一応そういう名目だけど、楽しみ方はひとそれぞれなんだよ。だから、発売から十年以上経っても愛好者が絶えないわけ」

 それからチヒロは、サエキさんの形のよい唇から流れ出る講釈に夢中で聞き入った。


 帰宅したチヒロは、早速兄のリビングデッド・ハニー(Living Dead Honey)通称屍彼女しかばねかのじょのゲーム機を探した。兄は他県の大学に進学し、実家を出ている。
 チヒロの予想通り、それは庭の物置の一角に積み上げられ「ゲーム機の墓場」と呼ばれるいくつかの段ボール箱の中から発掘された。チヒロは一昔前のVRMMOゲーム用のごついゴーグルを自室に運びいれた。

 まずプレイヤーのアバターとパートナーの設定をしなければならない。プレイヤーの性が男性、パートナーは女性一択なところに時代を感じさせられ、チヒロは眉をしかめた。現在の恋愛ゲームは、どちらも性を自由に選択でき、同性同士の恋愛もできるようになっている多様性重視を謳ったものが多いというのに。

 サエキさんは本人とは似ても似つかないマッチョタイプをアバターにしていると言っていたことを思い出し、自分は文系眼鏡男子になることにした。名前はチヒロと、これは男女兼用の名前なのでそのまま。パートナーは、いずれゾンビになってしまうのだからなんでもいいやと、超適当に選択肢から選んだ結果、巨乳の日焼けギャルになった。名前は、ゾビ子。

「ひどい。なに、ゾビ子って」

 翌日、サエキさんと教室で話をする機会を得たチヒロは、早速経過報告をしたのだが、彼女の第一声が、これだった。

「だって、名前を考えるって面倒じゃない。どうせすぐゾンビになるんだし」
「そんなにすぐにはならないよ」
「え、そうなの」
「ある程度親密な関係を構築した頃合いを見計らって、パートナーが死んじゃうの。その方がドラマチックでしょ」
「じゃあ私、これからしばらくゾビ子と真面目にお付き合いしないといけないんだ」

 サエキさんがぷっと噴き出し、けらけらと笑い出した。ツボに入ってしまったらしく、涙を流しながら、しばらく笑い止むことができなかった。

「どうしたの、サエキ女史。めずらしい」

 普段クールな彼女のそんな姿を初めて見たクラスメイト達は困惑しきりだったが、チヒロは内心得意だった。彼女を笑わせたのは、自分だ、と。


 それからチヒロは、恋人のゾビ子を一日も早くゾンビにするべく、彼女と友好的関係を築こうと奮闘した。平たい言葉で言えば、デートに励んだのだ。定番の水族館や動物園、映画館、そしてプラネタリウム。
 しかし、開放的で奔放、チヒロ(アバターの地味な眼鏡男子)に惚れ込んでおり、隙あらばエロい行為に持ち込もうとするガールフレンドを、正直もてあまし気味だった。相手が同性だろうと異性だろうと、チヒロにはまだリアルでの恋愛経験がなかった。

「アウトゴーイングなビッチキャラなんか選ぶんじゃなかった」

 教室で机を向き合わせてお昼を一緒に食べるようになったサエキさんは、チヒロの愚痴を楽しそうに聞いてくれる。

「キムラさん、そういう趣味なのかと思った」
「趣味って……カノジョにするなら、清楚系がいいなあ。ゾビ子みたいにあからさまに誘ってくるようなのは、なんかがっかりだよ。男ってああいうタイプからぐいぐい来られたいものなのかな。もうさ、デカい胸をこれでもかって活用してくるあざとさなんだけどゾビ子」
「だったら、清楚系を選べばよかったのに」

 それでは、まるでサエキさんのような「彼女」になってしまう、とチヒロは思ったが、口には出さなかった。

「サエキさんの『彼女』はどんな子なの?」チヒロは思い切って、訊いてみた。

 サエキさんは口元に微笑を浮かべ、答えなかった。
 チヒロが何度尋ねても、ゲーム内の名前も、彼女のこともいまだに教えてくれない。ただ、サエキさんのアバターは筋肉隆々の元軍人で一日にゾンビを十人仕留めたこともある、といった武勇伝を時々聞かせてくれる以外は。
 どうも、ゲームをする時のサエキさんには別の人格が宿っているとしか思えず、そのためなのか、仮想現実の世界でチヒロのアバターである文系眼鏡男子『チヒロ』と顔を合わせることを頑ななまでに拒む。
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