怪奇幻想恐怖短編集

春泥

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お前に会いに

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 赤い月、ニヤける今夜、お前に会いに行く。
 あの女は男を不幸にする。みんな、そう言って諦めさせようとした。そんなことは、百も承知。男を食い物にする女。だから、なんだ。
 ひと目惚れ、だったんだぜ。
 もらい事故みたいなもんさ。他にどうしろって言うんだ。家族も友達も、すべてなくした。両の肩が軽くなったってもんさ。羽が生えたみたいに、お前に会いに行く。
 あれは、恐ろしい女よ。メメコはそう言った。私、あなたなしじゃ、生きていけない。いっそのこと、私を殺してから行きなさいよ。
 これは、堪えた。メメコとは、将来を誓い合った仲だった。後ろめたい気持ちはあった。だけど、あんな女のどこがいいの。これには腹が立った。
 全部さ。何もかもだよ。
 特に、あのくびれた腰から、腹へと続く曲線の美しさ。「あんな女」だなんて、メメコといえども許せない。あいつはずん胴だから、嫉妬していやがるんだ。だから、言ってやった。
 だったら、俺を殺せよ。それしか、俺を止める方法はないぜ。
 泣き崩れるメメコを置いて、お前に会いに行く。しっぽり夜露に濡れたジグザグの道を。
 あんた、自分が何をしているか、わかってるの?
 最初、俺を見るお前の目は、冷淡だった。大きな瞳に見下ろされただけで、手足が痺れて、動けなくなっちまった。あの時、この女になら魂でも何でもくれてやる、って思った。ハナから、命がけの恋だったのさ。
 あたしとあんたじゃ、釣り合わない。自分でそう思うでしょ。
 ああ、思うさ。でも灰色の俺の生活を、一転させちまったんだ、お前が。二度と元へは戻らないさ。赤い月がにたにたしていやがる。笑えばいい。お前に会いに行く。それ以外のことは、もうどうだっていいんだ。電柱がぐにゃぐにゃに曲がって、俺の頭も、ぐらぐら揺れている。一杯ひっかけたせいだ。ああ、ビビってるさ、俺だって。

 公園について、息を整えながらお前を探した。
 昼間の喧騒の名残りが微かに残るグラウンドの、ランプポストの灯りが届くか届かないかの暗がりに、お前はいた。
 だが、ひとりじゃなかった。
 背の高いお前は、ふた回りぐらい小さな体とひしと抱き合っていた。見覚えがある。前々から、お前に色目を使っていた男だ。奴さんの頭部はあらかたなくなっていたが、すぐにわかった。
 あんな奴、好みじゃない、そう言っていたくせに。
 お前は、ぴちゃぴちゃと音をたてて、野郎の顔を貪り喰っていた。
 俺は、叫んだらしい。正確には、言葉にならない何かをわめきながら、むしゃぶりついて、絡み合った体を無理やり引き剥がした。
 結合を解かれても陶酔から冷めやらないお前は、淫らな笑みを浮かべていた。
 食うなら、俺を喰えよ。
 俺は、夢中でお前に縋りついた。
 なんで俺を裏切った。俺を待つ、と言ったじゃないか。
 あんたを、破滅させたくなかった。喘ぎながら、お前はそう言った。
 なぜだ、どうしてあんな奴と、くそっ。俺は夢中でお前に体をこすりつけた。経験したことのない甘美な痺れが全身を満たしていく。
 あんたに、惚れたってことだよ、ちくしょう。お前は大きな腕で俺を力いっぱい抱き寄せた。息がつまった。構わないさ。俺はお前のものだ。
 なんて因果だろうね。あたしみたいな女は、惚れたらダメなんだよ。
 いいじゃねえか、俺を喰えよ。当然、そういう覚悟でお前に会いに来たんだ。
 喰いたくないよ、本気で惚れちまったんだ。
 たとえ嘘でも、俺は嬉しかった。だから、互いに絶頂に向かって突き進みながら、お前の漆黒の瞳が俺の顔に近づいてきた時、そして力強い顎で俺に噛みついた時、全身に電流が走り、俺の体は、びくびく震えた。
 こんな愉悦は、生涯に一度きりでいい。
 こうなるために、お前に会いに来た。嫌らしく笑う月だけでなく、何もかもが赤く染まった。意外にも、最後に浮かんだのは、メメコの姿だった。
 なんて顔だ。俺のことなんて、早く忘れろよ。

 その日の午前中、好天に恵まれた公園は、ベビーカーを押す母親や、散歩する老人などで賑わっていた。突然興奮した様子で吠え始めた犬に引きずられた飼い主は、愛犬の興味の対象物をランプポストから少し離れた茂みの近くに発見し、思わず悲鳴をあげた。
「ポン太ちゃん、そんなもの食べちゃダメ!」リードをぐいぐい引っぱる飼い主に、抗議の声をあげる犬が未練たらしく見つめる先にあるのは、カマキリとトカゲ――いやヤモリだろうか――の死骸。実に不可思議な光景だった。
 体の大きなカマキリの鎌にがっちり囚われたヤモリの頭部は半分食べられていて、そのカマキリの頭には、別のヤモリが食らいついているのだが、恐らくもう一方の鎌で激しく攻撃された体は傷だらけで、こちらも息果てていた。そして、少し離れたところに、これまた頭部を失ったやや小ぶりなカマキリの死骸。
 一体どうしてこうなったのか、すべて見ていたのは、ニヤけた赤い月だけ。
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