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18・信頼の芽生え
しおりを挟む女は迷うことなく、領館の奥、別棟へと歩を進める。
その胸元には子爵家の紋章がこれみよがしに輝いていた。それだけではなく、女の有無を言わせぬ威圧感に、衛兵は声もかけられず、行くてを阻もうとする者は一人としていなかった。
目的の部屋――少女の隣室の前で、女は立ち止まった。
「……なにもかも、懐かしいわね」感慨にふけったのも束の間のこと。扉を開け、部屋に入ろうとすると、重い旅行カバンが建付けの悪い木枠に引っかかった。
少女にとって宮殿のように映った部屋も、女にとっては手入れの行き届かない、古びた洋館の一室に過ぎなかった。
「……ちっ、これだから」と、吐き捨て、苛立ちに急かされるように、力任せに引っ張る。すると金具が悲鳴を上げ、カバンの口が弾けるように開いた。中身の書類や衣類が、廊下へ無様に散らばった。
(ここで悲鳴の一つでも上げれば、可愛らしく見えるのかしら?)しかし、女は眉ひとつ動かさない。焦る様子も見せず、乱れた髪を指で無造作に撫でつけると、散らばった荷物を見回して、中身のないカバンの抜け殻を、床に叩きつけた。
(さ~て、どうしましょう?)なにしろ半日がかりで詰め込んた大荷物だ。すぐに片付けないといけないのは、頭でははっきりと理解しているものの、指先一つ動かす気になれない。叩きつけたカバンの上に荒々しく腰を下ろす。
その騒がしさに、隣の部屋の扉がそっと、遠慮がちに開いた。少女が、わずかな隙間から顔を覗かせ、得体の知れない侵入者を不安げに見つめる。少女に対し、女はカバンの上で腕を組んで、開き直ったような姿のまま視線を向けた。
少女は迷うように視線を泳がせたが、それも一瞬のことだった。扉を大きく開いて女に駆け寄った。
「……あの、お手伝いしましょうか?」消え入りそうな、けれどもしっかりとした声。
女が組んだ腕を解き、少女にきちんと視線を向ける。その瞳には鋭い光が宿っていた。少女はその視線に気圧され、一瞬身をすくめたが、決して視線は逸らさなかった。品定めするような冷徹な瞳ではない。それでいて、すべてを見透かすような、真っ直ぐな射抜くような視線。
少女は女の了解を待たず、テキパキと散らかった荷物を片付け始める。女が半日かけた荷造りを、瞬く間に終わらせてしまった。少女がカバンの持ち手を両手で握ると、ずっしりとした重みに細い腕がわずかに震える。それでも、手を離そうとはしなかった。
女は受け取ったカバンを軽々と部屋の中に放り込むと、ようやく正面から少女を見据えた。
(あぁ、この子が嘘なんて吐くはずがないわ。私だって人を見る目は確かよ)
自己紹介も、挨拶もない。
だが、この瞬間に「女が少女を見定め、少女が女を助ける」という、歪みのない最初の接点が生まれた。
女は少女の前に跪き、少女に視線を合わせ、少女の手を両手で優しく包みこんで、伝える。
「ありがとう」
ただ一言、感謝を。
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