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一人目

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「よくも……よくも、裏切ったわね」
「ま、待ってくれ、誤解なんだ。僕が愛してるのは、君だけだ」
「今更 言い訳なんて聞きたくないわ」
 大きな瞳いっぱいに涙を浮かべた花澄の手には、一丁のナイフが ぎゅっと握りしめられていた。その鋭く光る刃先を向けられた康治は、思わず後ずさりながらも懸命に声を絞り出す。
「お、落ち着けよ。そんなもの持って、危ないじゃないか」
「ねえ、愛してるのが本当なら、私と一緒に……死んでくれるわよね」
「な、何言って……うわっ! 」
 ナイフを手に襲い掛かる花澄と咄嗟に抵抗した康治とが揉み合う中、突然ズブッと鈍い音が響いた。
「うっ……! 」
 花澄の低い呻き声。
 鮮血が飛び散り、舞台は みるみる真っ赤に染まっていく――
 
 観客の誰もが息を呑んだ。どよめきと拍手が渦巻く中、ゆっくりと幕が下りていく。
 そう、これはあくまで演劇の中でのこと。
 同じ男を好きになった二人の女。どちらにもいい顔を見せる優柔不断な男。三角関係の末にもたらされた悲劇の瞬間――若い男女の愛憎を描いた、劇団ミステリー・看板劇のクライマックスシーンである。
 使われたナイフはもちろん、本物そっくりの「偽物」……の筈だった。
 
 しかし――

「花澄さん、しっかりしてください! 花澄さんっ!! 」
 ぐったりした花澄を抱きかかえたまま、康治は叫び続けていた。
「二人とも いつまでやってるの。劇は もう終わったわよ」
 呆れたという表情で彼らの元へ近づいてきたのは、もう一人の女性役・真里絵だ。
 もっとも、彼女のほうが主演である。スタイルの良い腰に手を当て、艶のある長い髪をもう一方の手で掻き上げながら溜め息をつく姿は、さながら有名絵画のモデルのようだ。
 だが、康治の異常なほどの焦りが最早演技ではないと気付くのに、数秒もかからなかった。
「きゃっ! ちょ、ちょっと、何よこれ! 」
 花澄の胸元からどくどく吹き出す赤いものを目にした瞬間、真里絵は悲鳴を上げて仰け反った。
 康治は為す術もなく、目に涙を浮かべるばかりだ。

「一体、どうしたっていうんだ! 」
「何がどうなってるの?! 」
 舞台の上手(かみて)から友人役の雄太、下手からは音響兼照明担当の杏子が駆け寄って来た。

 たちまち騒然と化した舞台裏で、いち早く救急車を呼んだのは監督の統一郎だった。
「康治と真里絵は花澄の傍に。雄太と杏子は観客を出口へ誘導するんだ。極力騒ぎを悟られないようにな」
 あくまで冷静に指示を出す。

 やがて、けたたましいサイレン音とともに救急車が到着した。
 花澄が担架に乗せられ、すぐさま運び込まれていく。
 しかし既に仮死状態であった彼女は、救急隊員による懸命な措置も甲斐なく、搬送先の病院で程なく息を引き取ったという――


「どうしてなんだ! 昨日のゲネプロの時には、ナイフは ちゃんと……」

 本来使われる筈だった本物そっくりのそれは、燃えないゴミ入れの底から新聞紙にくるまれた状態で発見された。
 つまり、誰かが本物のナイフに すり替えたということになる。しかも、状況的にみて外部の犯行であるとは考えにくかった。
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