時空にかける願いの橋

村崎けい子

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 トラックとの接触の寸前、翔の体は強い光に押されて僅かながら逸れたように見えた。
 とても大きな事故だったにも関わらず、翔は奇跡的に一命を取り留めたのだった。


 それから、十数年の歳月が流れた。
 亜樹の望み通り、翔の命は助かった。けれど、体は決して元には戻らなかった。
 信号無視して衝突して来た大型トラックは そのまま逃走し、未だ犯人は分からないままだ。 
 亜樹は ぶつけ様のない怒りと悲しみを抱えながら、翔を看病・介護し続けている。果てしなく続く作業に、愛情はいつしか薄れ、義務のようになっていた。

――いや、それどころか……
 ぼんやりと考えていた亜樹は、ハッとして首を横に振った。
 目の前のデスクに、いつのまにか山積みとなっている書類に気付いて愕然とする。

「ご主人のことで大変なのは分かるけど、仕事はきちんとやってもらわなきゃ。毎日、朝から疲れた顔で、出勤されてもね」
 傍らにいた同僚が溜息まじりに呟いた。
「す、すみません」
 慌てて意識を切り替え、業務を再開する。

 これまでに何度同じようなことがあっただろう。
 翔を看病・介護し続けることの疲労が募り、亜樹は仕事中もぼうっとしてしまうことが多くなっていた。この前は結構大きなミスをしてしまったから、小言だけで済んだ今日はマシなほうだろう。

 体力的にも精神的にも、そして経済的にも。じわじわと追い詰められていた。
 一刻も早くこの状況から抜け出したかったが、これ以上の回復の見込みはないと、医師からはっきりと告げられていた。つまり、彼が生きている限り、この状態が ずっと続くのである。

 唇を噛み締めて俯いた亜樹の目に、左手のリングが冷たく映る。
 翔との愛の証であるマリッジリング。宿る光は、初めて目にした時から少しも衰えていない。かつて この上なく輝かしいと感じていたリングである。  
 それが今はどうだ。指にきっちり嵌ったそれは、まるで自由を奪う足枷か首輪のようではないか。
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