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026:猟銃

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「ああ、そうだ。若干だけど良い話もあった。新規でさ、飲食ブランドを起ち上げようと思ってるんですよ……そこに初期から絡まない?」

 え?

 な、なんというありがたい提案……今の時期、こんな幸運はそうそう無い。というか、弊社ではここ数年聞いたことが無い。

「即決します。ありがとうございます。頑張らせていただきます」

「うん、よろしくお願いしますね。それとは関係ないんだけどさ、村野くんはいつうちに来てくれるのかな?」

「ですから、社長……。それはまあ、実力不足ですから……自分では」

 命の恩人という事を意識してか、森下社長は以前から、自分のリクルートを申し出てくれている。ただ……余りにも好条件、高収入なのだ。そして、実務はどうだか分からないが、役職もかなりの重職。そんなの……ねぇ。怖すぎる。自分の実力に見合っていない評価は、身を滅ぼすだけだ。それこそ、社長が退陣した後まで、彼に頼らなければならないの、社会人として少々おかしい。派閥の論理を超えた優遇は、味方からも嫌われるからね。

「そんなことないと思うけどなぁ~というか、今日の調子でずっといくなら、何の問題もないと思うよ~」

 いえいえ、社長、買いかぶり過ぎですって。

「とりあえず、今回契約継続、及び、新規案件の問い合わせ、それだけでも十分にありがたいんですから。それこそ、自分なんて継続案件で手一杯、新規案件だって自分じゃなくて、弊社の専門部署に振り分けないと手が回らないですし」

「それってさ、絶対、村野君の手柄が奪われてるよね?」

 そうかもしれない……というか、そうだろうね。でなければ、俺が平社員のままのわけがないし。

「そうですねぇ。ちょっと出世についても考えて見ます。もしも御社に御迷惑が掛かった場合に、今の役職だと責任もちゃんと果たせないことが多いですから」

「ああ、そうだね。そうだろうね。お願いするよ。……いや、ほら。こうして、そんな言葉が出てきたこと自体が、少々違和感を感じるわけさ。良い方向で、だけどね」

「御期待に応えられるように精進します」

「固い固いなぁ~そこは変わらんね」

 お互いに笑うと、応接室を後にした。良かった。とりあえず、最悪の事態は免れた。ここ数週間、再契約失効なんていう悪いニュースばかりだったからなあ。

リーン

 高級なエレベーターの到着音。一階到着。スゴイ速い。自社ビルの施設のグレードで会社のランクが分かるよなぁ。なんて考えながらエントランスに出ようとした……が。

バブンッ!

 大きな破砕音。というか、さっき戦場の話をしたばかりだからこそ蘇る、過去の音記憶。火薬の臭いが漂ってくる。

「千堂をここへ連れてこい! でなければ、受付嬢を一人ずつ殺す!」

 千堂……は。ファーベル……いやファーベルの旧社名、春日部興産の社長の名前だ。彼はダミー子会社による横領、さらに脱税によって、既に逮捕されている。そのダミー子会社は様々な新基軸案件を提案していて、大規模に出資者を募っていた。まあ、よくある投資系の大規模詐欺だ。その出資者が、出資した額の数%しか取り返せていない……というのも大きくニュースになっていた。

「あと5分以内に連れてこい! まずは1人目だ!」

ズブンッ!

 低い音が腹に響く。斜め上の壁に細かい穴が大量に空いた。散弾か。

 というか、既に刑が確定して、刑務所に収監されている受刑者をたった数十分で連れてくることが出来るハズがないよな……。
 あの目のヤバさっぷりを考えると……正常な判断が付かなくなってるっぽい。ということは、つい指が滑って、あの散弾が受付嬢に向かう可能性も高いわけか……。受付嬢を狙うのもコスイよなぁ。絶対自分よりも弱い相手に強いタイプだな。

 これは……もう、どうにもこうにもだろう……。できるかもしれないことをしないでいたら、後で絶対に後悔する。
 見たことも会ったことも無い見ず知らずの受付嬢であれば、まだ、遠いニュースとして「へーそんなことがあったんだ……」で済ませるかもしれない。が、既に、見ているし、会ったこともあるし、社長に連絡しれてくれたし、入館証を手渡してくれたし。

 それに、目の前で無抵抗な人間が殺されるのは……我慢ならない。そして自分には為す術が無く、虚しい思いをするのはもう、勘弁だ。

 少しづつ。ゆっくりと受付ブースに近づいて行く。ヤツの視線は今、逆側に見える警備室に向いている。電話をしている警備員の姿を見ているのだ。
 ゴブリンやスケルトンの視線を警戒するのに比べれば……挙動不審な奴の動きを予測することなど、大した手間じゃない。

「!」

 シー……指を口元に当てる。受付嬢は三人。俺は瞬時に受付ブースの端に到達し、その裏側に屈んで侵入した。いきなりブースに突入してきた俺に三人ともビックリしていたが、俺の合図を理解して声を抑えてくれている。良かった。

 スマホのメモ帳に文字を入力する。

(俺が立ち上がったら、三人はそのまましゃがんでください)

 フォントを大きくして、見やすくする。三人はチラッチラとこちらを見て、了解した様だ。頷いてくれた。

「あ? 何ごそごそして……」

 く。気付かれたか。

「しゃがんで!」

 声を上げつつ、立ち上がった。うん、三人とも緊張していたようだけど、ちゃんと受付ブースの下に隠れた。

「なんだ、お前!」

 と、同時に、こちらに向けられていた銃口。男の指が引き金を引いた。

バグーンッ!

 先ほどの発射音とは全く違う、大きな破裂音。煙が収まると共に見えたのは、倒れた犯人の姿だった。銃身が折れ曲がり、多分、指……支えていた左手は吹き飛んでいる。顔から首にかけても破損が激しいようだ。床に大量の血が溢れてくる。

 当然だが、自分も受付ブースにしゃがんで一瞬身を隠したが、煙の中、動きが無いのを確認し、惨状に近寄る。まあ、……というか、これじゃ無理か……。

「救急車を!」

 念のために、銃身が裂けて爆発し、はじけ飛んだ散弾銃を蹴り飛ばし、犯人から遠ざける。

 受付嬢の一人……多分、一番年上であろう女の子が救急車を呼んでいる。遠くからパトカーのサイレン音も聞こえてきた。

 そんな中、俺は……生まれて初めて……自分の手で他人の命を奪った事について考えていた。


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