あなたには翻訳術師が必要です ~異世界の言葉がわかるとかいう都合のいいことが起こらなくても、わたしがいれば大丈夫~

もさく ごろう

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お手柄ですよ、ヤトコさん

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 ネズミさんは一度住処と決めた場所を、そう簡単には離れない。エアカイトで名前を呼ぶと、すぐにアジンさんが姿を見せてくれた。

『うわぁ! ネズミ!?』

 ヤトコさんが悲鳴に近い声を上げた。ネズミさんが苦手な人は多い。

「あまり大きな声を出さないでください。言葉はわからなくても、驚きはしますから」

 わたしはしゃがんで床を歩くアジンさんに手を伸ばした。

『大丈夫だ。人間の声には慣れてる』

 アジンさんが手のひらに載ってくれたので、テーブルへと上げた。ゴランドさんとの契約のときにも使った、窓から一番遠いテーブルだ。

 アジンさんはテーブルの上で鼻をひくひくと動かした。

『それで、こんなところに何の用だ? もうここで飯を食ってる人間なんていねぇぞ。だからこうして出てこれたわけだが』

「はい。わかっています。今日は昨晩の事件の被害届を作るために来ました」

『ヒガ……? 一体何なんだ? それは』

「ゴランドさんにこんなひどいことをされましたよって、人間に伝えるための書類です。ゴランドさんは人間が裁くって約束したじゃないですか? そのときに参考にします」

 ローブの内ポケットから一枚の書類を取り出した。

「大方は作ってあるので、内容を一緒に確認して、サインをください」

 アジンさんは書類をじっと眺めてから、わたしを見上げた。

『まさか、本当に約束を守るなんてなぁ。昨日は熱くなりすぎちまった。すまなかったな。
痛むだろう』

 アジンさんがわたしの手の裏側を覗き込んだ。手の甲にできたかさぶたが気になるみたいだ。

「いえ。アジンさんは命の危険にさらされていたわけですから、仕方ありません」

 わたしは書類に指を差して――

「届出人はアジンさん。生息区域はエアカイトの床下ですね。翻訳術師はわたしフクラで、事件の起きた日は昨日」

 そうやって一つずつ項目を確認していく。そして異種間契約を破られたこと、餌場に毒を盛られたこと、加害者がゴランドさんであることを確認した。

「大丈夫そうなら、サインをお願いします」

『ああ、ここだな?』

 わたしが最後に指さしたところに、アジンさんはかじり跡を残した。

「ありがとうございます。これで被害届は完成です。あとはわたしが保安官に提出しておきます」

『ああ、悪いな』

 書類をローブの内ポケットにしまってから、アジンさんを手の平に乗せた。

「終わったー?」

 ヤトコさんが窓際から声をかけてきた。わたしの位置から見える範囲では一番遠くだ。

「どうしてそんなに遠くにいるんですか? ヤトコさんの仕事はこれからなので、こっちに来てください」

「いやぁ……ここからじゃダメ?」

 わたしが首を横に振ると、ヤトコさんはカタナの入った袋を抱きしめて、ゆっくりとだけれど近寄ってきた。

『なんだ? まだ何かあるのか?』

「はい。もう少しだけ。アジンさん。エアカイトにいるネズミさんを呼ぶことってできますか?」

『ああ、それなら簡単だ。みんな出てきたくてうずうずしてる。おーい。みんな出てきてくれ』

 アジンさんの一声で、テーブルの陰や梁の上など、死角になりやすい場所から次々とネズミさんが出てきた。

 キッチンからが一番多かっただろうか。その数は二十ではきかなそうだ。

『ひぃ……!』

 ヤトコさんが体を縮こませた。もしかしたら、今回の仕事は向いていないのかもしれない。

 でも今更、そんなこと言ってられない。

「それでは始めますか。ケージをお願いします」

 お願いするとわたしとヤトコさんの間に風が吹いた。そこにアジンさんを投げる。

『ぎゃー!』

 ヤトコさんが身をひるがえしながら、床に倒れた。

「何やってるんですか?」

『だって! こっちにネズミを投げるから!』

「ヤトコさんに向かって投げたわけじゃないですよ」

 アジンさんは風に乗って、宙に浮いていた。

『おぅっと! なんだってんだいこりゃ』

 アジンさんはじたばたと手足を動かして、空中でくるくると回る。

「落ち着いてください。風の精霊さんが作ってくれた風でできたケージです。風に身を任せれば、姿勢は安定するはずです」

『こ、こうか?』

 アジンさんが手足を広げて大の字になると、くるりと一回転してから、這っているときと同じ姿勢になった。

『おお、こんな感じか。意外と悪くないな。だがどうしてこんなものを?』

「ネズミさんたちを保護するためです。落ち着いて聞いてくださいね。ゴランドさんが罪を逃れるために、ネズミさんたちを悪者に仕立て上げようとしてくるかもしれないんです」

『なんだって? 俺たちは何も悪いことはしてねぇぞ』

「わかっています。ですから、人を使って既成事実を作るんです。例えばネズミさんが誰かを噛んだ。そんな事実を作るだけでも、状況がひっくり返るかもしれないんです」

 わたしは自分の手の傷を隠して「これは大丈夫です」と念押しした。

「そんな悪い人たちが来る前に、ネズミさんたちを保護したいんです。協力して頂けるネズミさんはこちらに来てください」

 一番近くの手すりまで来ていたネズミさんに手を差し出した。少し小さなネズミさんだ。逃げたりはしなかったけれど、手に載ってはくれない。

 当然だ。今の話は全部人間の都合なのだから。人間の決まりをネズミさんがすぐに理解するのは難しい。

 そして理解できたとしても、人間の話に乗ろうと思うネズミさんは少ないだろう。

 ネズミさんたちは野生動物。野生動物は、人間につかまるのが嫌なのだ。

 わかっている。わかっているけれど、ここで引き下がってネズミさんたちに被害が出るのは嫌だ。

 心を鬼にしなければならない。

「ごめんなさい」

 わたしは手すりにいたネズミさんを、両手で挟むようにしてつかんだ。噛まれる覚悟はあったけれど、人に慣れていたから近くまで来ていたのだろうか。暴れすらしなかった。

「無理にでも保護させてください」

『いいんけども……』

 このネズミさんは小さな女の子のような声だった。

『女神さまとはお話しできるん?』

「女神さま?」

 この町で女神さまといえば、洗礼を与えてくれる泉の女神さまだ。でも泉の女神さまは人間にしか洗礼を与えない。ネズミさんは存在すら知らないのではないだろうか。

「後で女神さまのことを聞かせてください。善処はしてみます」

 気になるけれど、今はネズミさんを集めるのが先だ。手元のネズミさんを風のケージに投げて、周りを見回した。

 近くにネズミさんたちの姿がない。仲間がつかまるのを見て、逃げてしまったのだろうか。

 わたしはネズミさんを探しながら、ヤトコさんに声をかけた。

「ヤトコさん! お仕事開始ですよ! ネズミさんたちを保護するのを手伝ってください!」

『えぇ! そんなの無理だってば!』

「大丈夫です! ヤトコさんの身体能力なら、逃げるネズミさんも捕まえられます!」

『そういう問題じゃないんだってばぁ!』

 苦手なのはわかるけど、お仕事なので頑張ってくれなきゃ困る。

 発破をかけようとヤトコさんに目を向けると――

『た、助けてよぉ!』

 ヤトコさんがネズミさんに囲まれて涙目になっていた。尻餅をついたヤトコさんの周りはもちろん。背にしている仕切り板の上にもネズミさんがいて、完全に包囲されている。

 ネズミさんはみんな『女神さま! 女神さまだ!』と歓声に近い声を上げている。

「え? あれ、どうしちゃったんですか?」

 そんなわたしの呟きに、アジンさんが腕組をして答えてくれた。

『俺たちが間抜けにならないよう、一番に大根をかじってくれたんだ。俺たちを救うために降臨した女神さまに違いねぇ。まぁ、やたらめったら騒ぐのは、みっともねぇかもしれねぇが、見逃してやってくれ』

「いや、えぇ……?」

 なんとも言えない気分になったけれど、ネズミさんたちが集まってくれたことには違いない。

「えっと、ヤトコさん。グッジョブです」

『なにが!?』

 ヤトコさんは今にも泣き出しそうだった。
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