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第2章 ダンジョン嫌いニキ、裏方に戻る
第24話 黒野の過去①
——暗い。
目を開けているのか閉じているのかも分からない、真っ暗な空間。
鼻を刺すのは、焦げたゴムとガソリンの匂い。
甲高い耳鳴りが止まらない。
遠くで誰かが叫んでいる気がするが、音が歪んで聞き取れない。
身体が動かない。
視界の端に、滴り落ちる赤いものが見える。
それが何なのか、理解するのに時間がかかった。
それは、俺が5歳の頃だった。
家族旅行のため、父の運転で田舎の温泉地に向かっていた。
山を貫通する高速道路の長いトンネルの中で、俺たちの乗った車は、前後から大型トラックに挟まれた。
一瞬で車体は潰れ、ぺちゃんこな鉄の塊になった。
奇跡的に、俺だけが助かった。
後部座席の隅、まだ幼い弟の乗ったチャイルドシートが押し潰される寸前にできた、わずかな空間。
そこに、たまたま体が収まっていた。
けれど、救助が来るまで三時間以上かかった。
トンネル内での大規模事故。
二次被害を防ぐために交通規制が敷かれ、重機の搬入にも時間がかかったらしい。
三時間。
いつ炎が上がるかも分からない、潰れた車内で。
目の前には、ぐちゃぐちゃになった両親と弟の姿。
父の腕は不自然な方向に曲がり、母の顔は血で覆われていた。
呼びかけても返事はない。
息をするたびに胸が苦しかった。
生きた心地なんて、あるはずがない。
やがて俺は救助され、病院へ運ばれた。
俺に大きな怪我はなく、打撲と軽い切り傷だけ。
両親と弟は、助からなかった。
訃報を聞いたとき、俺は泣かなかったらしい。
昔のことで記憶ももう薄いが、「やっぱりな」とどこか他人事のような感想を抱いたのを覚えている。
それから世界は、灰色になった。
音も、匂いも、味も、全部が薄い。
無味無臭の空間で、ただただ死んでいないだけの日常。
家族を失った俺は、児童養護施設に預けられた。
同じように親のいない子供は多かった。
最初のうちは、みんな俺を気を使って、職員も優しく声をかけてくれた。
けれど、俺はそんな厚意を、全て突き放した。
どうせ、いつかいなくなる。
どうせ、失う。
なら、最初から無くていい。
そう思っていた。
話しかけられても無視するし、笑いかけられても目を逸らした。
当然、気づけば、誰も近づかなくなっていた。
俺は、孤独の只中で成長した。
16歳の春。
世界にダンジョンが現れた。
ニュースでも新聞でもネットメディアでも、毎日その話題ばかり。
そして同時に、俺の中にも何かが芽生えた。
魔力、そして魔法。
最初は制御できず、施設の皆に大迷惑をかけてしまった。
そんな騒ぎも、数日もすればある程度は落ち着いた。
だが、周囲の目は元には戻らなかった。
力を得た俺は『化け物』と呼ばれるようになり、距離がさらに広がった。
そこからさらに、半年後。
施設宛に、日本政府から手紙が届いた。
そこには、俺と同じように力に目覚めた者を集めた特殊部隊を構成するということと、俺にその部隊へ参加してほしいという旨の案内が書いてあった。
正直、どうでもよかった。
参加する理由もないし、断る理由もない。
だが、施設側は違ったらしい。
厄介払いのように話は進み、気づけば俺は、政府の訓練施設に立っていた。
「――おっ、君が黒野凍希君かぁ~っ!」
入り口で、いきなり声をかけられた。
明るい茶髪を無造作に結んだ、スーツ姿の女。
三十代くらいだろうか。
やけにテンションが高い。
「聞いてた通り、世界の終わりみたいな顔してるね!」
うるさいな、と思った。
放っておいてくれ、とも。
「私は羽生田聡子。君が入る部隊の長官よ。……とまあ、かたっ苦しい肩書きは抜きにして」
羽生田と名乗ったその女は、にかっと笑った。
「私のことは、お姉ちゃんだと思ってくれればいいから! これからよろしく!」
バシンッ。
「っ……」
背中を思い切り叩かれた。
ヤバい女。
それが第一印象だった。
それからというもの、羽生田さんはやたらと俺の前に現れた。
訓練の様子を見に来たり、休みの日には食事に連れ出されたり。
「――おぉいひ~っ! どう黒野くん、ここのラーメンさいっこーでしょ!?」
カウンターで豪快に麺をすする。
俺も箸を動かして口に運んだが、何も味がしない。
家族を失って以来、全ての食事がそうだった。
そんな俺を見て、羽生田さんはため息をついた。
「んー、君はいつもぶすくれてるねぇ」
うるさい。
「こーんな美人とご飯食べれてるんだから、もっとガッツいていいんだぞ! 健全な男性高校生だろっ!」
うるさい、うるさい、うるさい。
どうでもいいだろ。
放っておいてくれ。
「無視かぁ……そんなんだと、幸せ全部逃げてっちゃうぞー」
バァン!
気づけば、カウンターを叩いていた。
店内が静まり返り、視線が背中に突き刺さる。
やってしまった、と思った。
だけどもう、一度栓を切った俺の怒りは、止められなかった。
「うるさいんだよ! いつもいつもテキトーなことばっか言いやがって! 俺にっ……俺にっ……」
俺に幸せなんて、来るわけないじゃないか!
叫びたかったが、声にならなかった。
その代わりに、涙が零れた。
「……もう、放っておいてくれよ……!」
声帯を絞りあげたような、情けない声だった。
羽生田さんは、少しだけ目を細めてから言った。
「イヤだ。放っておかない」
「っ、それは俺に力があるからか? なら心配しなくていい、部隊での役割は全うする。だから——」
「図ーにー乗ーるーなっ」
「いっ……!」
今度はケツを叩かれた。
「力とかじゃない。私が君のお姉ちゃんだからだよ」
「っ……」
羽生田さんは丼を置き、いつになく真面目な顔になる。
「民間人から兵士を募集、その中には未成年もいる。この計画を聞いた時、正直私は反対だった。民間を守るためにこの仕事に就いたのにーって」
何の、話だ。
「でも、より多くの被害を出さないためには、このやり方しかないってのも分かってた。だから、せめてここに集まってくれた皆は、私が守るって決めたんだよ」
……関係ない。
「それはモチロン、ダンジョンの脅威からもだし、降りかかる困難全部からね」
うるさい。
「だから私は君のお姉ちゃん。君が不幸そうな顔してると放っておけないの。それだけ」
いくら振り払っても、ずかずかと心の中に踏み込んでくる。
本当に、厄介だ。
もし。
もしも、母親が生きていたとしたら。
……こんな感じだったのだろうか。
気づけば、目から涙が溢れていた。
羽生田さんはそんな俺の背に手を置く。
今度は優しく、擦るように。
「ホラ、座って食べなさい。麺が伸びちゃうよ」
俺は座り直し、着ていたパーカーの袖で目を拭いた。
もう一度、ラーメンをすする。
「…………い」
「え?」
「……美味しい」
思わず零れた言葉に、自分でも驚いた。
10年以上ぶりに、味を感じたのだ。
「でっ、でしょーっ!? 美味しいよね! ココお気に入りなんだ、また来ようね!」
まだ食べ終わってもいないのに、次の約束を取り付けようとする。
羽生田さんの必死な顔を見て、思わず笑ってしまった。
「……ふ」
胸の奥の氷が、少しだけ溶けた気がした。
------
一か月の基礎体力訓練が終わり、実戦演習が始まる。
部隊内でペアを組み、連携やチームでの戦い方を学ぶのだ。
俺の前に現れたのは、茶髪のポニーテールの少女だった。
同年代に見えるが、背は俺より少し低い。
緊張で肩が強張っている様子だ。
「――は、初めまして。岬 香奈って言います」
ぺこりと頭を下げる。
そのか細い声は、少しだけ震えていた。
目を開けているのか閉じているのかも分からない、真っ暗な空間。
鼻を刺すのは、焦げたゴムとガソリンの匂い。
甲高い耳鳴りが止まらない。
遠くで誰かが叫んでいる気がするが、音が歪んで聞き取れない。
身体が動かない。
視界の端に、滴り落ちる赤いものが見える。
それが何なのか、理解するのに時間がかかった。
それは、俺が5歳の頃だった。
家族旅行のため、父の運転で田舎の温泉地に向かっていた。
山を貫通する高速道路の長いトンネルの中で、俺たちの乗った車は、前後から大型トラックに挟まれた。
一瞬で車体は潰れ、ぺちゃんこな鉄の塊になった。
奇跡的に、俺だけが助かった。
後部座席の隅、まだ幼い弟の乗ったチャイルドシートが押し潰される寸前にできた、わずかな空間。
そこに、たまたま体が収まっていた。
けれど、救助が来るまで三時間以上かかった。
トンネル内での大規模事故。
二次被害を防ぐために交通規制が敷かれ、重機の搬入にも時間がかかったらしい。
三時間。
いつ炎が上がるかも分からない、潰れた車内で。
目の前には、ぐちゃぐちゃになった両親と弟の姿。
父の腕は不自然な方向に曲がり、母の顔は血で覆われていた。
呼びかけても返事はない。
息をするたびに胸が苦しかった。
生きた心地なんて、あるはずがない。
やがて俺は救助され、病院へ運ばれた。
俺に大きな怪我はなく、打撲と軽い切り傷だけ。
両親と弟は、助からなかった。
訃報を聞いたとき、俺は泣かなかったらしい。
昔のことで記憶ももう薄いが、「やっぱりな」とどこか他人事のような感想を抱いたのを覚えている。
それから世界は、灰色になった。
音も、匂いも、味も、全部が薄い。
無味無臭の空間で、ただただ死んでいないだけの日常。
家族を失った俺は、児童養護施設に預けられた。
同じように親のいない子供は多かった。
最初のうちは、みんな俺を気を使って、職員も優しく声をかけてくれた。
けれど、俺はそんな厚意を、全て突き放した。
どうせ、いつかいなくなる。
どうせ、失う。
なら、最初から無くていい。
そう思っていた。
話しかけられても無視するし、笑いかけられても目を逸らした。
当然、気づけば、誰も近づかなくなっていた。
俺は、孤独の只中で成長した。
16歳の春。
世界にダンジョンが現れた。
ニュースでも新聞でもネットメディアでも、毎日その話題ばかり。
そして同時に、俺の中にも何かが芽生えた。
魔力、そして魔法。
最初は制御できず、施設の皆に大迷惑をかけてしまった。
そんな騒ぎも、数日もすればある程度は落ち着いた。
だが、周囲の目は元には戻らなかった。
力を得た俺は『化け物』と呼ばれるようになり、距離がさらに広がった。
そこからさらに、半年後。
施設宛に、日本政府から手紙が届いた。
そこには、俺と同じように力に目覚めた者を集めた特殊部隊を構成するということと、俺にその部隊へ参加してほしいという旨の案内が書いてあった。
正直、どうでもよかった。
参加する理由もないし、断る理由もない。
だが、施設側は違ったらしい。
厄介払いのように話は進み、気づけば俺は、政府の訓練施設に立っていた。
「――おっ、君が黒野凍希君かぁ~っ!」
入り口で、いきなり声をかけられた。
明るい茶髪を無造作に結んだ、スーツ姿の女。
三十代くらいだろうか。
やけにテンションが高い。
「聞いてた通り、世界の終わりみたいな顔してるね!」
うるさいな、と思った。
放っておいてくれ、とも。
「私は羽生田聡子。君が入る部隊の長官よ。……とまあ、かたっ苦しい肩書きは抜きにして」
羽生田と名乗ったその女は、にかっと笑った。
「私のことは、お姉ちゃんだと思ってくれればいいから! これからよろしく!」
バシンッ。
「っ……」
背中を思い切り叩かれた。
ヤバい女。
それが第一印象だった。
それからというもの、羽生田さんはやたらと俺の前に現れた。
訓練の様子を見に来たり、休みの日には食事に連れ出されたり。
「――おぉいひ~っ! どう黒野くん、ここのラーメンさいっこーでしょ!?」
カウンターで豪快に麺をすする。
俺も箸を動かして口に運んだが、何も味がしない。
家族を失って以来、全ての食事がそうだった。
そんな俺を見て、羽生田さんはため息をついた。
「んー、君はいつもぶすくれてるねぇ」
うるさい。
「こーんな美人とご飯食べれてるんだから、もっとガッツいていいんだぞ! 健全な男性高校生だろっ!」
うるさい、うるさい、うるさい。
どうでもいいだろ。
放っておいてくれ。
「無視かぁ……そんなんだと、幸せ全部逃げてっちゃうぞー」
バァン!
気づけば、カウンターを叩いていた。
店内が静まり返り、視線が背中に突き刺さる。
やってしまった、と思った。
だけどもう、一度栓を切った俺の怒りは、止められなかった。
「うるさいんだよ! いつもいつもテキトーなことばっか言いやがって! 俺にっ……俺にっ……」
俺に幸せなんて、来るわけないじゃないか!
叫びたかったが、声にならなかった。
その代わりに、涙が零れた。
「……もう、放っておいてくれよ……!」
声帯を絞りあげたような、情けない声だった。
羽生田さんは、少しだけ目を細めてから言った。
「イヤだ。放っておかない」
「っ、それは俺に力があるからか? なら心配しなくていい、部隊での役割は全うする。だから——」
「図ーにー乗ーるーなっ」
「いっ……!」
今度はケツを叩かれた。
「力とかじゃない。私が君のお姉ちゃんだからだよ」
「っ……」
羽生田さんは丼を置き、いつになく真面目な顔になる。
「民間人から兵士を募集、その中には未成年もいる。この計画を聞いた時、正直私は反対だった。民間を守るためにこの仕事に就いたのにーって」
何の、話だ。
「でも、より多くの被害を出さないためには、このやり方しかないってのも分かってた。だから、せめてここに集まってくれた皆は、私が守るって決めたんだよ」
……関係ない。
「それはモチロン、ダンジョンの脅威からもだし、降りかかる困難全部からね」
うるさい。
「だから私は君のお姉ちゃん。君が不幸そうな顔してると放っておけないの。それだけ」
いくら振り払っても、ずかずかと心の中に踏み込んでくる。
本当に、厄介だ。
もし。
もしも、母親が生きていたとしたら。
……こんな感じだったのだろうか。
気づけば、目から涙が溢れていた。
羽生田さんはそんな俺の背に手を置く。
今度は優しく、擦るように。
「ホラ、座って食べなさい。麺が伸びちゃうよ」
俺は座り直し、着ていたパーカーの袖で目を拭いた。
もう一度、ラーメンをすする。
「…………い」
「え?」
「……美味しい」
思わず零れた言葉に、自分でも驚いた。
10年以上ぶりに、味を感じたのだ。
「でっ、でしょーっ!? 美味しいよね! ココお気に入りなんだ、また来ようね!」
まだ食べ終わってもいないのに、次の約束を取り付けようとする。
羽生田さんの必死な顔を見て、思わず笑ってしまった。
「……ふ」
胸の奥の氷が、少しだけ溶けた気がした。
------
一か月の基礎体力訓練が終わり、実戦演習が始まる。
部隊内でペアを組み、連携やチームでの戦い方を学ぶのだ。
俺の前に現れたのは、茶髪のポニーテールの少女だった。
同年代に見えるが、背は俺より少し低い。
緊張で肩が強張っている様子だ。
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そのか細い声は、少しだけ震えていた。
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