ダンジョン嫌いの元英雄は裏方仕事に徹したい ~うっかりA級攻略者をワンパンしたら、切り抜き動画が世界中に拡散されてしまった件~

厳座励主(ごんざれす)

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第3章 ダンジョン嫌いニキ、英雄になる

第33話 そんなのは、嫌だ

 牛頭の魔物は、ゆっくりと斧を持ち上げた。
 人間の背丈ほどもある巨大な斧。
 黒鉄の刃面が、魔力弾の光を鈍く反射する。

 さっき俺が戦った、四本腕やキメラも十分すぎるほど強かった。
 だが、目の前のこいつはそのさらに上だ。
 存在の重さ、空気が粘つくような威圧感。
 全てが段違いだった。

「……来いよ」

 短剣を構えながら、俺は呼吸を整える。
 牛頭の赤い瞳が細められた。

「グモォォォオオオオッ!」

 低い唸り声。
 次の瞬間、巨体が動いた。

 ――速い。

 あの巨体で、地面が爆ぜるほどの踏み込み。
 斧が横薙ぎに振られる。
 俺は咄嗟に後ろへ飛ぶ。
 いや、自分で飛んだというよりは、風圧で吹き飛んだと言う方が正しい。
 斧が通った軌道の地面が、深く抉れている。

「グモォオッ!」

 息を吐く間もなく、今度は縦の振り下ろし。
 横へ転がる。
 斧が落ちた瞬間、地面が爆発したみたいに土砂が舞い上がる。

「っ……そこだ!」

 俺は立ち上がりと同時に踏み込む。
 攻撃の反動で空いた脇腹へ、短剣を突き込む。

 ――ガギン!

 硬い。
 それはもはや、筋肉と言うより鋼の外殻だ。
 刃が弾かれ、手首に衝撃が返ってくる。

「モォオッ!」

 今度は斧でなく、丸太のような足での蹴り。
 とっさに腕で受けるが、衝撃で身体が吹き飛ぶ。
 数メートル滑って、なんとか体勢を立て直す。

「くそ……!」

 途轍もない速さと破壊力だ。
 攻撃が激しすぎて攻め入る隙が無い。
 何とか掻い潜って攻撃に転じたとしても、奴には効かない。
  
 膂力も、速度も、タフネスも。
 完全に相手が格上だ。

「グモォォォオオオオッ!」

 牛頭が再び突進してくる。
 斧が振られる。
 俺は必死に避ける、かわす、跳ぶ。
 完全に防戦一方だった。

 斧が振り下ろされるたび、地面が砕けて瓦礫が弾け飛ぶ。
 拳がかすめるたび、骨まで震える衝撃が走る。
 
 実際は数十秒にも満たない戦闘時間。
 だが、死と隣り合わせだからこそ、永遠にすら感じてしまう。

 体力がみるみる削られていく。
 息が荒くなる。
 脚が重くなる。
 視界が揺れる。
 そして、回避しようと力を入れた足が、ガクッと崩れる。

「っ……!」

 その隙を見逃す相手ではない。
 牛頭の赤い目が光った。
 斧が、頭上から真っすぐに振り下ろされる。

 ――終わった。

 そう思った。

 その瞬間、ドンッと横から強い衝撃が来た。
 身体が突き飛ばされる。
 世界がひっくり返った。
 空と地面が逆になる。
 戦場の煙が、ゆっくり流れていく。
 吹き飛びながら、俺は見た。

 そこに立っていたのは、羽生田社長だった。

 俺と目が合う。

 彼女は目を細め、にこりと笑った。

 ああ。

 まただ。

 また俺は、仲間を見殺しにするのか。

 ……そんなのは、嫌だ。

 心の中でそう呟く。
 
 その瞬間、頭の中の霧が晴れた。



------



 時は少し遡る。
 黒野が「牛頭をサシで仕留める」と言って、飛び出していったとき。

「黒野くんっ!」

 羽生田はにゅうだは思わず声を上げた。
 しかし、彼はもう既に魔物の群れの中へ飛び込んでしまった。

 追いかけねば、と一歩踏み出す。
 だが、そこで足が止まる。

 自分はこの部隊の総指揮官だ。
 この戦場の全体を見て、指示を出す役目がある。
 持ち場を離れるわけにはいかない。
 ぐっと拳を握りしめ、声を張り上げた。

「黒野くんが突入するわ! 中央周辺の部隊は援護を!」
「「「おおおおおっ!」」」

 仲間たちが応え、射撃が少しずつ中央へ寄せられていく。
 牛頭の魔物と黒野の間に、壁のように立ちはだかっていた魔物たちが、次々と撃ち抜かれていく。

 戦場に舞う爆発と、閃光と、どす黒い肉片。
 そして……わずかな隙間が生まれた。

 魔物の群れの中に、細い一本の道。
 その道を、待ってましたと言わんばかりに黒野が駆け抜ける。
 羽生田は息を呑んだ。

(お願い……勝って、黒野くん)

 黒野が牛頭の魔物の前に到達し、戦闘が始まる。
 しかし、黒野は防戦一方だった。
 お世辞にも勝機があるとは言えない。
 羽生田の背中に、冷たい汗が流れる。

 彼は、まだPTSDから回復していない。

 以前のように、手の震えや呼吸の乱れがあるわけではない。
 最低限の状態は保っている。
 だが、全盛期と同等の動きかと問われると、そうではなかった。
 あの頃の彼なら、もっと鋭く、もっと速く、もっと強く戦えた。

(それでも……貴方に賭けるしかないのよ)

 そう。
 それでも、彼がこの部隊の単体最高戦力であることに変わりない。
 
 黒野 凍希に賭ける。

 それはすなわち。
 彼を死地に送り出すのと、同義だった。

 助けに行きたい。
 行ったところで、自分に何ができるわけでもない。
 それでも、身代わりくらいにはなれるかもしれない。
 しかし、ここを離れるわけにはいかない。

 否定に否定を重ね、堂々巡りする思考の中で、羽生田は小さくため息をついた。

「何やってんのよ、アタシは」

 吐き捨てるように呟く。

 9年前、まだこの部隊を率いていたころ。
 羽生田の役目は、ダンジョンの外――本部で指揮を取ることだった。

 百人ほどの部隊を、十人ずつ十個の小隊に分ける。
 それぞれのリーダーと通信機で連絡を取りながら、全体を把握し指揮する。
 それが彼女の仕事だった。

 名誉ある仕事。
 替えの利かない仕事。
 日本中から期待されている仕事。

 しかし、実際に命を張って戦っているのは彼らだ。

 決して、逃げているつもりはない。
 だが、結果として自分は安全な場所にいる。
 それが、どうしても許せなかった。

 部隊が順調に攻略を進めていた頃は、まだよかった。
 被害も少なく、皆が笑って帰ってくる。
 その時だけは、自分への嫌悪感に目を瞑ることができた。

 だが、部隊が半壊した、あの日。
 その日を最後に、羽生田は総指揮官を辞めた。
 安全な場所で偉そうにしていた自分が、どうしても許せなかったからだ。

「……これじゃ、あの頃と同じじゃない」

 そして今、彼女は気づいてしまった。
 自分が、同じことを繰り返していると。
 そう気づいた瞬間、走り出さずにはいられなかった。

「――総指揮官!?」
「待ってください! 前線は危険です!」

 仲間たちの制止も聞かず、魔物の群れの中へ飛び込む。
 すぐに目の前に魔物が現れる。
 羽生田自身に大した戦闘力はない。 
 だから、まず彼の元へ行くことすら、イチかバチかの賭けだった。

 牙が迫る。
 と同時に、後方から銃声。
 魔力弾が前方の魔物の頭部を吹き飛ばした。

「お前ら! 指揮官には指一本触れさせるな!」
「「「おおおおおおっ!!」」」

 仲間たちの咆哮が響く。

(感謝するわ、皆!)

 羽生田は心の中で礼を言いながら、前へ進んだ。
 
 やがて、視界が開けた。 
 その先にいたのは、黒野と牛頭の魔物。
 黒野が押されているのは、彼女の目から見ても明らかだった。
 攻める余裕などなく、振り回される斧を必死に受け流すだけで精一杯だった。

 そして、その瞬間がやってきた。

 黒野の足が限界を迎え、体勢を大きく崩した。
 巨大な斧が、勢いよく振り上げられる。

(まずいっ……!)

 斧が振り下ろされる。
 羽生田は考えるよりも先に、黒野の元へ飛び込んだ。

 そして、黒野を思いきり突き飛ばす。

(……ああ。たぶん、これは意味のない死だ)

 ここで自分が彼を救ったところで、数秒後には彼もやられてしまうだろう。
 ここから人間が巻き返せる可能性は、どう考えてもゼロだ。
 だが、それでも。
 自分のが目の前で命を散らすのを、黙って見ていられるはずがない。

 吹き飛ばされていく黒野の顔が見えた。
 驚きに目を見開いた、信じられないという表情だった。

 羽生田は静かに目を閉じた。
 ふっと、微笑む。

(黒野くん、みんな、ありがとう。……あとは任せたわよ)

 心の中で、そう呟いた。


 そのときだった。
 ふわりと、彼女の身体が浮いた。

「……へっ?」

 足が地面から離れている。
 誰かに抱え上げられたのか、身体が横向きに傾いていた。
 羽生田は、思わず目を開ける。

 そこにいたのは――……黒野だった。

 そして、視界の端で、
 次の瞬間、黒い血が噴き出した。
 
 ありえない。
 黒野は突き飛ばされて体勢を崩していたはずだ。
 しかも、自分のすぐ上には斧が迫っていた。
 どんなに速く動いたって、間に合うわけがない。

 それこそ、

「……く、黒野くん……まさか……」

 震える声で呟く。
 黒野は羽生田を抱えたまま、静かに微笑んだ。
 
 周囲には、殺気立った無数の魔物。
 状況はどう見ても絶体絶命だ。
 それなのに。

「――お待たせしました。もう、大丈夫です」

 黒野は少しだけ微笑んで、落ち着いた声で言った。
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