ダンジョン嫌いの元英雄は裏方仕事に徹したい ~うっかりA級攻略者をワンパンしたら、切り抜き動画が世界中に拡散されてしまった件~

厳座励主(ごんざれす)

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第3章 ダンジョン嫌いニキ、英雄になる

第35話 深淵への誘い

 ゲートをくぐった瞬間、空気が一変した。

 魔力が、濃すぎる。
 思わず足を止める。
 胸の奥に、重たいものが沈むような感覚。
 今まで潜ってきたどのダンジョンとも違う。
 息を吸うたび、肺の奥までざらついた何かが入り込んでくる。

 ……だというのに。

「静かだ」

 俺は小さく呟いた。
 普通なら、どこかで魔物の気配がする。
 足音に唸り声、岩にぶつかる音など、何かしらあるものだ。
 だが、このダンジョンにはそれがない。
 まったくもって、妙な静寂だった。

 奥へ続く真っ暗ながらんどう。
 そんなイメージが湧く。

「アリス」
『お呼びでしょうか、マスター』

 静かに呼びかけると、イヤーカフ型のデバイスから機械音声が応答する。

「索敵を頼む。生命の魔力反応をサーチ」
『了解いたしました。少々お待ちください』

 耳の奥に澄んだ声が響く。
 数秒の沈黙。

『……周囲に目立った魔力反応はありません』
「ゼロか?」
『はい。前方1キロメートル範囲内、完全にゼロです』
「んなバカな……」

 ありえない。
 ダンジョンの内部で、魔物が一匹もいないなんて話は聞いたことがない。
 もちろん、踏破済みで魔物の湧きが遅く、既に何者かの手によってあらかた掃討されてしまっている、というケースは稀にある。
 俺が初めてアリスの試験を行った時が、まさにそうだった。

 だが、この最強最悪のダンジョンで、同じことが起こるはずもない。

「罠だな」
『同意します。隠す意図すら感じられません』

 アリスと見解が一致した、その時だった。

 ――ゴゴ……。

 足元が低く唸った。
 岩が擦れる音。
 洞窟の奥から、ゆっくりと振動が伝わってくる。
 俺はすぐさま腰を落とし、ホルダーの短剣に手をかけた。

「……おい、マジか」

 低い姿勢のまま、思わず呟く。
 崩落、いや、岩盤が動いている。
 手前の床が持ち上がり、逆に奥の床は音を立てて沈み込む。
 左右の壁面がじりじりと狭まってくる。
 俺はいつでも動き出せるように周囲を警戒しながら、静かに様子を伺った。

 やがて、揺れが収まる。
 真っすぐ続いていた広々とした洞窟は、狭い下り坂へと変貌を遂げていた。 
 洞窟の奥、暗い奈落へ向かって、ゆるやかに下り続ける一本道。

「あからさまだな。アリス」
『はい』
「念のためにもう一度聞く。坂の先に何かいるか?」

 わずかな間。

『先ほどと同様、何の反応も見られません』
「だよなあ」

 理解の範疇を超えた出来事に、思わず乾いた笑いを零す。
 魔力は異常なほど濃いのに、魔物反応はゼロ。
 おまけに、ダンジョンが自分から道を作ってきた。
 なんと完璧なだろうか。
 
「人生で今が一番歓迎されてるかもな」
『はい。私が観測した限りでは、そのようです』
「……あんまりハッキリ言うなよ」

 アリスと軽口を交わしつつ、俺は坂の先を見下ろした。
 底の見えない闇が、口を開けて餌を待っている。
 普通なら引き返すところだろう。

「だけど、戻ってもしょうがないからな」

 諦めたら、ゲート暴走を止める手立てが無くなる。
 つまり、前門のボス、後門の世界滅亡。
 最悪の二択が迫ってるってわけだ。
 俺は小さくため息を吐いた。

「行くか」

 外では、旧部隊の仲間たちと米軍が必死で魔物を抑えている。
 あまり時間もかけられない。
 俺は首を鳴らして、坂道へ足を踏み出した。


 洞窟は相変わらず静かだ。
 岩肌を靴底が擦る音が、やけに大きく響く。
 アリスの報告した通り、魔物の気配もない。

 どれくらい歩いただろうか。
 時間の感覚が狂う。
 ダンジョンの中はいつもそうだが、ここは特にひどい。
 その時。

 ――ガンッ!

 遠くで金属音が弾けた。
 続けて、怒号。

「くっ……来るぞ!」
「構えろ! 一瞬でも気を抜くと死ぬぞ!」

 誰かが戦っている。
 俺は足を速めた。
 坂を下りきって、平坦になった道を駆ける。
 やがて開けた場所に出た。

 そこには、武装したボロボロの人間が四人。
 そして巨大な犬型の魔物が一匹いた。
 黒い毛並みに血走った眼。
 似たような種族の魔物は存在するが、これほど凶悪な見た目をした個体は初めて見る。

 人間四人のうち、二人は膝をついている。
 残りの二人が必死に剣を振っているが、動きは鈍い。
 体力が限界なのが一目で分かった。
 次の瞬間、犬型魔物が動いた。
 剣を構える男の喉元目掛け、一直線に跳躍する。

「まずいっ!」

 俺は力強く大地を蹴った。
 魔物の牙が男を捉える寸前、その間に滑り込む。
 短剣に魔力を込め、一閃。

 ――ズン。

 重い手応え。
 跳びかかった魔物の首が、ごとっと床に転がった。
 次いで胴体が力なく床に崩れる。
 通路は再び、異様な静寂を取り戻した。

「……え」

 誰かが声を漏らす。
 俺は短剣を軽く振って、魔物の血を払った。

「大丈夫か、怪我は?」

 その問いに答えることもせず、四人はポカンとした顔でこっちを見ていた。

「あ、あんた……」

 ようやく、一人の男が声を絞り出す。

「ダンジョン嫌いニキ……?」
「その呼び方は――って、今はそんなこと言ってる場合じゃないか。そうだ、ダンジョン嫌いニキだよ」

 俺はため息交じりに言って、肩をすくめた。
 近くで見ると、連中の状態はひどかった。
 着ている戦闘用のスーツは破れて血が滲み、武器もバキバキに破損している。

 そして何より、通路の床。
 そこには、死体が転がっていた。
 一体や二体ではきかない。
 状態からして、命を落として数日以内……といったところだろうか。

「お前たちは、ルクシアの集めた攻略部隊の一員だな?」
「あ、ああ。そうだ」

 男の一人が頷く。
 確か、集められたのは世界でもトップクラスの実力者たち。
 そんな彼らが、ここまで悲惨な状態になるとは……。
 にわかには考え難いが、目の前の惨状が現実を告げていた。

「ここで何があった?」

 俺が短く問う。
 男たちは一度顔を見合わせ、再びこちらを見た。

「て、だよ」
「転移トラップ……?」

 それは、高難度のダンジョンで稀に出現するギミック。
 床や扉に特殊な仕掛けが施されてあり、ダンジョン内の異なる座標に飛ばされてしまう、というもの。

「初心者じゃないんだ。そんなのに引っかかるほど、アンタらは弱くないだろ?」
「俺たちだって、普通の転移トラップにゃ引っかからないさ。だ、だけどよ……俺たちじゃなくて、ダンジョンの内部自体が動くのは、ズルだろ……!」

 なるほど。
 その言葉を聞いて、得心がいった。
 さっき俺を奥へと誘ったように、床や壁が自ら動き、彼らをここまで運んできたのだ。
 男は壁にもたれ、荒く息を吐く。

「で、ここ――飛ばされた先には、魔物の群れがいたんだ。五十、百……いや、もっとかもしれない」
「そういうことか……」

 ここの魔物に囲まれる恐ろしさは、ちょうど身を持って痛感してきたところだ。

「で? 隊はどうなった?」

 俺が聞くと、男は奥の通路を指した。

「半分は突破したよ」
「突破?」
「ここで全滅するわけにはいかないからな。俺たちが犠牲になって足止めをしてる間に、隊の中でもより強いメンバーを抜粋して、先に行かせたんだ。……ボス部屋へ」

 つまり、彼らは自らの命を賭して、仲間を死地から遠ざけたというわけだ。

「俺たちにわかるのはここまでだ。本隊の様子なんて、気にする余裕も知る術もなかったからな」

 俺は、彼の指さす通路の奥を見た。
 相変わらず、恐ろしいほどに静かだ。
 戦闘音は何一つ聞こえない。
 距離があるだけか、それとも……。
 そこで考えるのをやめ、視線を戻す。

「よく分かった。情報提供、感謝する」
「あ、ああ……アンタ、これからどうするんだ?」
「もちろん本隊を追う」

 そう答えると、男たちが一斉にざわついた。

「本隊を追うって……ひ、一人でか……!?」
「お前たちが来ないなら、一人になるな」
「ば、バカ言え! もう一歩だって動けやしねえよ……!」
「だよな」
 
 俺は肩をすくめ、もう一度奥の通路へ向き直った。

「後で必ず迎えに来る。死なずに待ってろよ」

 背中越しにそう言い残し、俺は足を踏み出した。
 背後で誰かが呟く。

「ほ、本当に行くのかよ……」

 その声に、振り返ることはしなかった。
 行くかどうかなんて、決まってる。

 俺はこの先にいるボスを倒して、世界を救うんだ。
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