貧乏令嬢は氷の侯爵の恋愛妄想が聞こえる~何故私がヒロイン役なのでしょうか~

白峰暁

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29.アルジェントの話②

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(しまった。この本こそ、早く処分してしまえば良かったのに……)

 そう思って、俺は顔を強張らせた。


 家に帰る前に捨てなければいけない、と思った。
 こんなもの、家族の誰にも知られたくない――。


 そう考える俺をよそに、女の子はにこにこと笑いながら言った。


「私が今まで読んだ話は、みんな若いカップルの話だったの。歳を取ってからも仲がいい夫婦って素敵だなって思ったよ。この他にもあなたが書いたものはある?」
「……ない。書くのも、読むのも……多分、もう、やらない……」
「……?」


 俺の口ぶりに、女の子が首を傾げる。


「どうして? こんなに本を持っているなら、好きなんだなって思ったのに」
「……それはもともと自分の持ち物じゃない。借りたものだ。それに……、俺はそんな話をもう楽しめないかもしれない。好きな相手に出会って、それからもずっと好きでいられるなんて、幻想だ」
「え、そうかな。私のお父様とお母様は、なんだかんだで仲良しだと思うけど……」
「うちの家族はそうじゃないよ」


 俺が書いた小説は、お祖父様とお祖母様をモデルにして書いたものだった。


 お祖母様が語ってくれる恋愛小説はどれも楽しかったけれど、でも少し引っ掛かることがあった。
 王子様役の男性が、穏やかで優しい人物が多かったということだ。


 お祖父様は、どちらかというと冷静で厳しい人間に見えた。
 お祖母様は、もしかしたら結婚相手であるお祖父様に不満があったのだろうか――と。


 だから、俺はお祖父様とお祖母様に似た性格の二人でハッピーエンドの小説を書いた。
 お祖父様とお祖母様が、本当にこんな感じだったら素敵だ――そういう気持ちも込めて。


 だが、お祖母様が亡くなった後のお祖父様の様子を見ると、自分のやっていることは的外れだったのではないかと思った。

 自分の考えていることなんて、夢物語でしか無かった。

 そんなことを、俺は女の子に語った。



 彼女は暫く無言で聞いていたが、俺の話が終わると静かに口を開いた。



「そういう事情があったのはわかった。でも、あなたの考えていることが全てではないかもしれないわ」

「……?」

「お祖母様はお祖父様のことを誰よりも愛していたからこそ、お話では別の人間を求めたのかもしれない。
 それに、現実とお話では好きなタイプが違うという人も沢山いるわ。
 あと……相手を愛しているからこそ、いなくなったのに耐えられずに物を処分してしまう人もいるって聞いた事があるの。お祖父様もお祖母様のことを愛していたからこそ、恋愛小説を読んでいたのが寂しくて、早々に処分してしまったのかも」

「…………」

「あなたがこうあって欲しいと思う通り、二人は仲が良かったのかもしれないわ」

「……そんなこと、君の想像に過ぎないかもしれないじゃないか。本当に仲が良いなら、仕事なんて程々にしてお祖母様の傍にいた方が自然だ。やっぱり、俺の考えていることは的外れだったんだと思う」


 俺は頭に浮かんだままに彼女の考えを否定した。
 彼女は暫くして、静かに頷いた。


「……そうね。もしかしたら、あなたが考えたことと、実際の本人たちは全然違うかもしれない。けど、私はそれでもこの本に価値がなくなったなんて思わないわ」

「……!」

「現実には無いような話でも浸れるところが本のいいところだと思うの。私は、あなたの作った話がとても好きよ」


 そう言って、女の子はにこりと笑った。


 ――この子は、俺の作った話が好きだと言ってくれるんだ。
 家族は認めてくれないものだろうし、他ならぬ俺が価値がないものだと思って捨てようとしたのに。


 気がつけば、俺は目の端から涙を流していた。



「大丈夫? 良かったらこれを使って」
「……」

 女の子がハンカチを差し出してきた。
 そのハンカチの端には刺繍がされている。


(ノエル……)


 俺は、その刺繍をじっと見つめて思った。
 この子の名前はノエルなんだ……。

 そう考えている間にも涙が溢れてきて、俺はハンカチを受け取った。


(人前で感情を抑えられないなんて、オルビス家の名折れだな……)

 俺は頭の中でそう考え、彼女に名を名乗るのはやめよう――と強く思った。



 何とか落ち着いて、俺は彼女に謝罪をする。


「すまなかった。このハンカチは洗って返す」
「いや、いいよ。こちらこそ本を読ませてくれてありがとう。あなたはこの辺りに住んでいるの?」
「そういう訳ではない。俺は……」


 返事をしようとすると、鐘が鳴った。
 俺はパーティの終わりの時間が迫っていることに気付く。


「……ごめん、そろそろ行かないといけないから」
「わかった。今日は会えて良かったわ。また会うのは難しいかもしれないけど、元気でね」


 そう言って、ノエルは手を振っていた。


(もう会えないか。そうか……)


 その後パーティ会場に戻った後も、俺はそう考えていた。


 ++++


 俺がノエルに対してあそこまで家の事情を話したのは、彼女が平民でもう会うことも無いだろうから――と思ったのが大きい。
 だが、彼女のことを考える時間は日に日に増えていった。


(ノエル。君のおかげで、俺は好きなものを見失わずに済んだ。家の教育に耐えられたのも、好きなものを捨てなかったおかげだ)


 成長につれて教育のノルマはより厳しくなったが、息抜きに本を読むことで課題にも耐えることが出来た。
 そのうちにギフトが発現して、俺は周りの貴族に賞賛されることになった。
 だが、周りの言葉はさほど俺には響かなかった。


 貴族の義務として社交を行ってはいるが、他の誰と過ごすよりも、部屋の中で密かに物語に浸っている方が楽しかった。


(ロマンス小説はいいものだ。なんなら、読み終わった後でも思い出して顔がにやけてしまいそうな……

 ……いや、駄目だな。

 家族や他の貴族に不審がられるし、いずれオルビス家を継ぐものとして感情を露わにし過ぎるのはよくない)



 俺は部屋の中で鏡を見て、度々表情を抑える練習をした。


(よし。俺は感情をコントロール出来るようになった。頭の中で何を考えていようと、表には出さない。もう、あの時のようなことは起きない……)


 俺は、パーティ会場を抜け出した場所で女の子に会った日のことを思い出す。


(ノエル……彼女は、俺がどんな貴族なのか、どんな能力を持っているのか、それがわかる前から俺と向き合ってくれた。今だからこそわかる。彼女のような人間は貴重だ……)


 長じるにつれて、ノエルは今どうしているんだろう、と考えることが増えた。


 あの時のパーティ会場近くで彼女にまた会えないかと探してみたこともあったが、それらしい人物を見つけることは出来なかった。


 今は別の場所にいるのかもしれないが、それでも俺はノエルに会いたかった。
 俺はノエルのおかげで前向きに過ごせるようになったから、彼女も何か困ったことがあるなら助けたい。
 そのために、俺は彼女を探し続けるつもりだった。


(ノエル……彼女の姓は、なんと言うのだろう。

 例えば……例えばだが、ノエル・オルビス、など……むっ、しっくりくるな。いい。姓名判断にかけても良い名前だと言われるような気がする。天が俺たちを祝福してくれているような予感がする)



 俺はさらさらと紙の上に万年筆で彼女の名前を書いた。
 そして、仮に彼女が俺と再会して、好き合って結婚したら――という生活を思い描いた。


 ロマンス小説は昔から好きだった。


 だが、ノエルと出会ってからは、自分が主人公でノエルがヒロインの物語を夢想することが多くなった。


 +++


 月日が流れて、お祖父様は亡くなり、オルビス家の当主は父親になった。


「アルジェント、リエット家という貴族が金に困っているそうだ。他のところにもいくつかの金貸しに借金をしているらしいが、うちに一本化して返済への手はずを整えようと思う」
「そうなのですか。返済の当てはあるのですか?」
「ああ。当主のギフトは研究対象に持ってこいだ。それに、家に一人娘もいるから返済の保険にもなるだろう。今度お前をリエット家に連れて行こう。家で孤児院も経営しているらしいから、それを視察するのはお前の仕事だ」
「わかりました」


 俺は次期当主として父親の仕事に同行することが多かった。その話もいつもの作業として了承した。


 下調べとしてリエット家の資料を確認した俺は、娘の名前を見て衝撃を受けた。


(ノエル・リエット……。ノエル。年齢もあの女の子とほぼ同じだ。あの子は、貴族だったのか)


 彼女は一度引っ越しをしているらしい。引っ越し前の家の住所が俺が彼女と初めて会った時の場所と一致した。


 ++++

 彼女と再会することが決まって、俺は色々な意味で高揚していた。


(昔に会っていて、また再会出来るなんて……。やはり、彼女は俺の運命の相手だったんだ)


 同時に、こうも思った。


(しかし……あの時の俺の印象は、彼女にとってはいいものでは無かっただろうと思う)


 俺は彼女の好意的な言葉を否定した。感情を抑えきれていないところを見せてしまった。
 彼女の中に俺に対する悪い印象が残っていてもおかしくはない。

 自分からノエルには言い出せない……そう思った。


(無論、覚えてくれていたら嬉しいのは確かだが……。

 ……いや、今回は昔のことは考えないようにしよう。オルビス家が仕事を全うすることで、リエット家もゆくゆくは良い状況になるはず。今はそれを第一に考えよう)



 そして、ノエルと再会する日が来た。
 だが、ノエルは何も特別な反応をしていなかった。
 やはり、彼女は俺のことを覚えていないようだ――そう思って、少々沈みもした。


(――いや。

 ノエルが俺のことを覚えていないとしても、俺が彼女をサポートすることは出来るはずだ。

 俺たちはこれから同じ学園に通うことになる。困ったことがある時は、彼女の力になるとしよう……)


 俺は、ノエルと昔会った過去を封印することにした。
 その上で、改めて彼女と接して、自分を好きになってもらおうと思った。


 今までは、「昔会った女性と感動の再会をする」という話を好んで読んでいた。
 だが、ノエルに再会してからは、「昔会った女性は自分のことを覚えていなかったが、それでも紆余曲折あってハッピーエンドになる」という話を中心に楽しむようになったのだった。



 ++++



(でも、俺がやろうとしたことはどれもうまくいかなかったのかもしれない……)


 リエット伯爵――ノエルの父親を助けるためにヘルムートと共にナデール山に入った俺は、突然過剰な魔力を注入されて動けなくなってしまった。


 倒れてしまった闇の中で、俺は一人そう思う。


(学園生活の中でノエルが俺の力を借りるようなことはほとんど無かった。結果的に、彼女は俺のサポートは必要としていなかった。


 それよりも、俺はうちとリエット伯爵の研究に目を配るべきだったのかもしれない。


 俺がしっかりしていれば、リエット伯爵の事故も防ぐことが出来たかもしれないのに。


 俺がノエルを好いたのは、彼女にとって迷惑だったのかもしれない。過去も今も、彼女には申し訳ないことをした……)



 ヘルムートの怪しい動きに気付かなかったこともあって、悔やんでいることは沢山ある。
 が、普段目を瞑っている時とは違って、起きあがれない。
 このまま沈んでいきたいとすら思う――。



「……様! アルジェント様!」


 そんな俺のもとに、声が聞こえた。
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