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第17話 【森羅万象の座へ】
しおりを挟む深い霧の中を進むと、空気が変わった。
森の奥へと足を踏み入れた瞬間、音が吸い込まれたかのように静まり返る。鳥も鳴かず、風も止まり、ただ枝葉のこすれるかすかな音だけが響く。
「……こ、これは……」
ゴブ三郎が身を縮める。
「しっ……! あんま声出すな」ゴブ次郎が低く制した。
エルフ兵の先導で、森を抜けていく。木々は天を突くほど高く、根は大人が三人並んでも抱えきれぬほど太い。
枝葉が織りなす天蓋の隙間から、柔らかな光が差し込み、苔むした道を淡く照らしていた。
『はい、ミサト。この森は自然そのものが“統治システム”の一部となっています。言わば女王の支配領域。つまり、会社で言えば完全なる社長室ですね』
「や、やめて……急に生々しい比喩やめて……胃がキリキリしてくるから……」
ミサトは額を押さえる。
その横で、リュシアの肩が小刻みに震えていた。
「母上の……気配を感じます。この森の鼓動の奥に……」
少女の声は震えていたが、その瞳はしっかりと前を向いている。
◇◇◇
森を抜ける道は、鬱蒼とした木々に囲まれ、昼でも薄暗い。進む列の前後にエルフ兵が並び、湯ノ花の面々を挟み込むようにして歩いていた。
沈黙が続く。だが、長く続けば続くほど、抑えきれない苛立ちが顔を出す。
「おい……さっきから睨んでんじゃねえぞ、耳長クソ野郎」
小声のつもりでも、ゴブ次郎の低い声は森に響く。
すぐさま隣のエルフ兵が冷ややかに言い返した。
「汚い言葉を使うな…下卑た亜人風情が、女王陛下の森を汚すな。歩く音すら耳障りだな」
「……なんだとォ?」
瞬間、ゴブリンたちの背筋が総毛立つ。武器の柄を握り、牙をむき出しにした。
エルフ兵もまた弓をわずかに引き絞り、互いに殺気が森を焦がした。
「こらっ!やめなさいっ!」「あなた達…やめなさい!」
ミサトとリュシアがすかさず声を張り上げる。
しかしゴブリン達とエルフ兵の火はすでに火薬に触れている。
「ボス、こいつら……俺たちを犬っころ扱いだぞ!」
「黙れ。貴様らは生まれながらに劣った種族だ。従うか消えるかしかない」
罵声が重なり、空気が一瞬にして凍りつく。
だが次の瞬間、、
「貴方達!本当に口を慎みなさい!彼らは私の命の恩人だと言っているでしょう!」
リュシアが前に躍り出た。
声は震えていたが、必死に叫ぶその姿は、兵士たちの視線を引き裂くほど強かった。
「彼らがいなければ……私は貴方達に乱暴に森に連れて行かれてたでしょう… 彼らは誇り高く、無闇に暴力も振るわず、仲間を守る勇敢な人たちです! 母上がどうお考えでも……私はそう信じています!」
言葉を受け、ゴブリンたちは一瞬ぽかんと口を開け、それから頭をかきながら照れ臭そうに笑った。
「お、おう……姫さんにそう言われちまったら、まあ……な」
「俺たちだって……悪口言われりゃ腹も立つけどよ……」
一方、エルフ兵たちは複雑な顔を見せた。女王の命に従う忠誠心と、姫の言葉への動揺が入り混じっている。
その隙を逃さず、ミサトが割って入った。
「はいは~い!みんなちょっとストップね~♪」
両手を広げ、会議室の進行役よろしく声を張る。
「エルフ兵さんの言いたいことは、『女王の権威を守らなきゃならない』ってことですね? で、ゴブリンのみんなの言い分は、『尊厳を無視されるのは我慢できない』ってこと。は~い。そこで私ミサトちゃん!意見を整理しました!」
ぽかんとする両陣営。
ミサトは笑顔を作り、続ける。
「でね、これって~、どっちの意見も正しいんですよ。権威を守るのも大事。尊厳を認めるのも大事。だからここは、、、」
一拍置いて、胸を張った。
「“互いに引き分け!” これでいきましょう!」
「はぁ!?」「引き分けぇ?」とあちこちで声が上がる。
だがミサトは臆さない。
「組織のトラブルって、勝ち負け決めると後に禍根しか残らないんです。だから《引き分けにして次に進む》ってのが一番効率的! は~い!元社畜経験からのお得アドバイスでした~!」
呆れ顔のゴブ次郎、渋面のエルフ兵。
だがリュシアが「ふふ、ミサトさん……素敵です」と微笑んだ瞬間、誰も強く反論できなくなった。
しばしの沈黙のあと、エルフ兵の一人が口を開く。
「……引き分け、という言葉は気に食わぬ。だが、女王の御前に着くまで、無駄な衝突を避けるのは理に適う」
「お、おう……俺らだってボスと姫さんの顔に泥塗る気はねえ」
ぎりぎりの妥協。だが、それで十分だった。
ミサトは胸を撫で下ろし、心の中でリリィに話しかける。
(ふぅ……何とか収まったわね)
『はい。ミサト。今のは典型的な“会議のアジェンダ整理”でした。帝王学で言えば、対立を価値観の違いに翻訳して解決する技法です』
(はぁ、……やっぱ私、元社畜で良かったかも…)
こうして一行は再び歩き出す。
完全にわかり合ったわけではない。だが、少なくとも刃を交えることなく、宮殿への道を進むことができたのだった。
◇◇◇
やがて、一行の前に現れたのは巨大な樹だった。
幹の中央に穿たれた洞窟のような空間。そこから光が漏れ出しており、神殿を思わせる荘厳な佇まいを放っていた。
「……あれが、女王の宮殿……?」
「いや……樹そのものが……住まいか……」
カイルが息を呑む。
エルフ兵が振り返り、冷ややかな声で告げた。
「これより先は、女王陛下の御前。言葉を選べ、人間」
「はいっ。わ、わかってますっ!」
ミサトは思わず背筋を伸ばした。
『はい。ミサト。帝王学的に言えば、初手は“沈黙”が正解です。余計なことを口にするとマイナス査定になります』
「えぇ!?沈黙とか一番苦手なんだけど!!」
『はい。ミサト。ご安心ください。あなたが口を開かなくても、胃痛で青ざめた顔が誠意を演出してくれます』
「うぉっいっ!嫌な演出だなぁぁっ!」
そんな小声の掛け合いに、ゴブ次郎たちは思わず吹き出しそうになる。だがすぐに表情を引き締めた。
森の奥、樹の大聖堂。
そこには、この地を統べるエルフ女王が待っている。
ミサトは唇を噛みしめ、深く息を吸った。
(よし……ここからが本番。元社畜OLの会議室スキル、見せてやる!)
荘厳な扉が、静かに開かれた。
続
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