18 / 42
18
「……さて、そろそろ戻りましょうか」
カフェでのひとときを楽しみ、私は満足して席を立った。
公爵は変わらず私を見つめながら、ゆっくりと後を追う。
王都の市場での散策は、思った以上に大変だったが——公爵と二人きりで過ごす時間は、悪くなかった。
(……でも、やはり私は自由に歩きたいですわ)
そう思いながら、私は外の空気を吸い込んだ。
——そのときだった。
「……レティシア?」
ふと、懐かしい声が耳に入る。
その声の主を見た瞬間、私は息を呑んだ。
「……アレクシス王子?」
そこには、第三王子であり、かつての婚約者——アレクシス・ローゼンベルクが立っていた。
アレクシスは驚いたような表情を浮かべ、私をじっと見つめている。
「こんなところで……」
彼の声は、戸惑いと何か言いたげな感情を孕んでいた。
(……それはこちらのセリフですわ)
私は思わず冷静に考える。
アレクシスが、こんな市場にいるのは珍しい。
王子という立場上、滅多にこうした庶民の場所には来ないはずなのに——。
「お久しぶりですわね」
私はあくまで淡々とした口調で挨拶をした。
「……ああ、本当に久しぶりだな」
アレクシスは、どこか複雑そうな表情をしていた。
かつて、彼が私に婚約破棄を言い渡したとき、彼の顔には優越感があった。
だが、今の彼の表情は違う。
まるで、私の姿を見て動揺しているようにすら見えた。
「……君が、本当にヴァルター公爵の婚約者になったと聞いて、驚いたよ」
「そうですの?」
「……正直、信じられなかった」
アレクシスは、静かに息を吐く。
「君は、あんな男のそばで、本当に幸せなのか?」
「……」
私は一瞬だけ言葉に詰まった。
すると——
「……誰のことを、“あんな男” と言った?」
低く、冷たい声が響く。
ヴァルター公爵が、すぐそばに立っていた。
アレクシスは、背筋を強張らせながら、公爵を見た。
公爵は、まるで氷のような視線をアレクシスに向けている。
「……ヴァルター公爵」
「貴様に聞いている」
アレクシスは、ギリ、と唇を噛んだ。
「……君が、レティシアの婚約者になったと聞いたとき、俺は……納得できなかった」
「納得?」
公爵の目が細められる。
「君がどんな男か、俺はよく知っている。冷酷で、容赦がなく、帝国最強と恐れられている——」
「それがどうした?」
公爵の声は、さらに低く、冷えたものになる。
「そんな男が、彼女を大切にできるのか?」
「……」
私は、驚いた。
(アレクシス……今さら、そんなことを?)
彼は私を捨てたのだ。
彼自身の意思で、私を不要だと判断した。
それなのに——
「お前には関係のないことだ」
公爵が静かに言い放つ。
「……っ!」
アレクシスは、悔しそうに拳を握る。
「関係ない……だと?」
「そうだ」
公爵は、何の迷いもなく言葉を続ける。
「お前はこの女を捨てた。それならば、もう彼女に関与する資格はない」
「……っ」
アレクシスは言葉を失う。
公爵は、それ以上興味がないとでも言うように、私の手を取った。
「行くぞ、レティシア」
「……はい」
私は、何も言わず、公爵に従う。
アレクシスは、何かを言いたげな顔をしていたが——
何も言えなかった。
彼は、自分がすでに「過去の存在」であることを理解したのだろう。
私は、公爵とともに市場を後にしながら、そっと彼を見上げた。
「……公爵?」
「なんだ」
「先ほど、怒っていました?」
「……当然だ」
公爵は、静かに私の手を握る力を少しだけ強める。
「お前を捨てた男に、俺がどうこう言われる筋合いはない」
「……っ」
私の心臓が、少しだけ跳ねた。
——どうして、この人は、こうも迷いなく、私を守るのだろう?
私は、公爵の手の温もりを感じながら、そっと微笑んだ。
——もう、私はあの過去には戻らない。
そう、強く思った。
あなたにおすすめの小説
王子、おひとり様で残りの人生をお楽しみください!
ちゃっぴー
恋愛
「ラーニャ、貴様との婚約を破棄する!」
卒業パーティーの真っ最中、ナルシストな第一王子ウィルフレッドに身に覚えのない罪で断罪された公爵令嬢ラーニャ。しかし、彼女はショックを受けるどころか、優雅に微笑んで拍手を送った。
なぜなら、ラーニャはとっくに王子の無能さに愛想を尽かし、この日のために完璧な「撤退準備」を進めていたからだ。
公爵令嬢ですが、実は神の加護を持つ最強チート持ちです。婚約破棄? ご勝手に
ゆっこ
恋愛
王都アルヴェリアの中心にある王城。その豪奢な大広間で、今宵は王太子主催の舞踏会が開かれていた。貴族の子弟たちが華やかなドレスと礼装に身を包み、音楽と笑い声が響く中、私——リシェル・フォン・アーデンフェルトは、端の席で静かに紅茶を飲んでいた。
私は公爵家の長女であり、かつては王太子殿下の婚約者だった。……そう、「かつては」と言わねばならないのだろう。今、まさにこの瞬間をもって。
「リシェル・フォン・アーデンフェルト。君との婚約を、ここに正式に破棄する!」
唐突な宣言。静まり返る大広間。注がれる無数の視線。それらすべてを、私はただ一口紅茶を啜りながら見返した。
婚約破棄の相手、王太子レオンハルト・ヴァルツァーは、金髪碧眼のいかにも“主役”然とした青年である。彼の隣には、勝ち誇ったような笑みを浮かべる少女が寄り添っていた。
「そして私は、新たにこのセシリア・ルミエール嬢を伴侶に選ぶ。彼女こそが、真に民を導くにふさわしい『聖女』だ!」
ああ、なるほど。これが今日の筋書きだったのね。
【完結】その溺愛は聞いてない! ~やり直しの二度目の人生は悪役令嬢なんてごめんです~
Rohdea
恋愛
私が最期に聞いた言葉、それは……「お前のような奴はまさに悪役令嬢だ!」でした。
第1王子、スチュアート殿下の婚約者として過ごしていた、
公爵令嬢のリーツェはある日、スチュアートから突然婚約破棄を告げられる。
その傍らには、最近スチュアートとの距離を縮めて彼と噂になっていた平民、ミリアンヌの姿が……
そして身に覚えのあるような無いような罪で投獄されたリーツェに待っていたのは、まさかの処刑処分で──
そうして死んだはずのリーツェが目を覚ますと1年前に時が戻っていた!
理由は分からないけれど、やり直せるというのなら……
同じ道を歩まず“悪役令嬢”と呼ばれる存在にならなければいい!
そう決意し、過去の記憶を頼りに以前とは違う行動を取ろうとするリーツェ。
だけど、何故か過去と違う行動をする人が他にもいて───
あれ?
知らないわよ、こんなの……聞いてない!
婚約者様への逆襲です。
有栖川灯里
恋愛
王太子との婚約を、一方的な断罪と共に破棄された令嬢・アンネリーゼ=フォン=アイゼナッハ。
理由は“聖女を妬んだ悪役”という、ありふれた台本。
だが彼女は涙ひとつ見せずに微笑み、ただ静かに言い残した。
――「さようなら、婚約者様。二度と戻りませんわ」
すべてを捨て、王宮を去った“悪役令嬢”が辿り着いたのは、沈黙と再生の修道院。
そこで出会ったのは、聖女の奇跡に疑問を抱く神官、情報を操る傭兵、そしてかつて見逃された“真実”。
これは、少女が嘘を暴き、誇りを取り戻し、自らの手で未来を選び取る物語。
断罪は終わりではなく、始まりだった。
“信仰”に支配された王国を、静かに揺るがす――悪役令嬢の逆襲。
断罪の準備は完璧です!国外追放が楽しみすぎてボロが出る
黒猫かの
恋愛
「ミモリ・フォン・ラングレイ! 貴様との婚約を破棄し、国外追放に処す!」
パルマ王国の卒業パーティー。第一王子アリオスから突きつけられた非情な断罪に、公爵令嬢ミモリは……内心でガッツポーズを決めていた。
(ついにきたわ! これで堅苦しい王妃教育も、無能な婚約者の世話も、全部おさらばですわ!)
私を見下していた婚約者が破滅する未来が見えましたので、静かに離縁いたします
ほーみ
恋愛
その日、私は十六歳の誕生日を迎えた。
そして目を覚ました瞬間――未来の記憶を手に入れていた。
冷たい床に倒れ込んでいる私の姿。
誰にも手を差し伸べられることなく、泥水をすするように生きる未来。
それだけなら、まだ耐えられたかもしれない。
だが、彼の言葉は、決定的だった。
「――君のような役立たずが、僕の婚約者だったことが恥ずかしい」