33 / 56
常夏でバカンス
波紋
しおりを挟む
その日、洋館に突然の訪問者が現れた。重厚な扉をノックする音に、セラフィーナは少し驚いた様子でヴァレリオの顔を見た。「誰かしら……こんな場所に来るなんて珍しいね」彼女の声には戸惑いが滲んでいる。
ヴァレリオは冷静を装いつつも眉をひそめ、静かに立ち上がった。「僕が見てくる。君はここで待っていて」
扉を開けると、そこには商人らしい身なりをした男が立っていた。くたびれたコートに大きな荷物を背負い、どこかせわしなく動く目が印象的だった。「ごきげんよう、こちらの館に訪問させていただいた者です。珍しい品々を取りそろえておりますが、ご興味ありませんか?」
ヴァレリオは微かな苛立ちを覚えつつも、礼儀正しく応対した。「ここは訪問者を受け入れる場所ではない。お引き取りを願おう」
だが、商人はそれを聞き流し、大きな荷物を広げ始めた。布の下から現れたのは、装飾品や小物、香水瓶、そして絹織物の数々だった。「お嬢様がいらっしゃるなら、ぜひご覧ください。この辺りでは手に入らない品ばかりです」
その言葉に、ヴァレリオは一瞬ためらった。セラフィーナのことが頭をよぎる。確かに彼女はこうしたものを喜ぶかもしれない。だが、この商人が突然、ふたりだけの安寧の場に踏み込んできたことへの不快感は拭えなかった。
「少しだけなら見せてもらおう」と渋々答えたヴァレリオは、商人の品を吟味し始めた。彼の視線が選んだのは、セラフィーナが好きそうな白い絹のストールや、淡い香りの香水。さらに、美しい細工が施された銀の髪飾りに目が留まった。これなら彼女も喜ぶだろう――そう思った瞬間だけは、心が少し和らいだ。
「これらをいただこう」と購入を決めると、商人は嬉々として品を包み始めた。しかし、ふと館の奥に目を向けて言った。「立派な建物ですね。中もきっと素晴らしいのでしょう」
その瞬間、ヴァレリオの表情が冷たく硬くなった。「中に入ることは許さない。これ以上の詮索も必要ないはずだ」
商人は気まずそうに頭を下げながらも、「ではこれで失礼します」と言って館を後にした。扉が閉まる音が響いたあとも、ヴァレリオの心の中には妙な不快感が残った。
セラフィーナが心配そうに近づいてきた。「ヴァレリオ、大丈夫?さっきの方は……」
彼は買い求めた品を彼女に手渡しながら、ぎこちなく微笑んだ。「君が喜ぶものが見つかった。それだけで十分だ」
セラフィーナは包みを開き、目を輝かせた。「こんなに素敵なもの、ありがとう!でも、何かあったの?」
ヴァレリオは目をそらし、小さく息を吐いた。「ただ、他人がこの場所に足を踏み入れたことが少し気になっただけだ。君と過ごすこの安らぎが乱されるのが……耐えられない」
その言葉には、彼の不安定な心が透けて見えた。セラフィーナは彼の手をそっと握り、静かに言った。「私たちの場所は何があっても変わらないよ。ここは私たちだけの家だもの」
彼女の優しい声にヴァレリオは少しだけ気を取り直したようだったが、その心の奥には、どこか乱れた波紋が広がり続けているようだった。そしてその波紋が、ふたりの平穏な日々にどんな影響を及ぼすのか――それはまだ誰にもわからなかった。
その日、静かな雨が窓を叩く洋館の中で、セラフィーナは穏やかな時間を過ごしていた。彼女はヴァレリオが用意してくれた香水を試し、ふわりと漂う甘い香りに微笑んでいた。「これ、とてもいい香り……ありがとう、ヴァレリオ」
ヴァレリオは彼女のその様子をじっと見つめていた。彼女が香水を纏うたびに、その香りが彼女そのものと結びつくような錯覚を覚える。やがて彼は、「気に入ってもらえて嬉しい」と穏やかな声で答えたが、その青い瞳の奥には、彼女への執着が濃く滲んでいた。
夜、セラフィーナが眠りについた後、ヴァレリオはひとり自室に戻り、机の上にそっと香水瓶を置いた。彼女が纏った香りを少しだけ部屋に撒くと、甘やかな香りが空気を満たし、彼の心を奇妙に落ち着かせた。柔らかく深呼吸をすると、目を閉じてその香りに溺れるように身を任せた。
「これが君の気配を感じる方法のひとつなら……」ヴァレリオは囁くように言いながら、香水瓶を大切そうに握りしめた。彼の顔には穏やかな微笑みが浮かんでいたが、その微笑みの裏には、かつて見せた狂気的な執着の影が隠れていた。
翌朝、セラフィーナが浴室から戻ると、タオルを片付けようとするヴァレリオの姿を見つけた。その手に握られた彼女の使い終えたバスタオルに気づき、彼女は思わず声を上げた。「ヴァレリオ、それ……どうして?」
彼は一瞬ぎこちなく動きを止めたが、すぐに微笑みを浮かべ、「君が使ったものだから、僕が片付けようと思っただけだ」と答えた。その声は柔らかいが、どこか無理に取り繕ったような響きがあった。
セラフィーナは戸惑いながらも、彼の手からそっとタオルを取り返し、「ありがとう。でも、それは私がやるから大丈夫だよ」と言った。そして彼の目を見上げ、静かに続けた。「ヴァレリオ……最近、少し様子が変だよ。何か、私に言えないことがあるの?」
彼女の真摯な瞳に見つめられたヴァレリオは、一瞬だけ目を伏せた。そして「何も心配はいらない」と微笑んだが、その微笑みはどこか空虚だった。「君がここにいてくれるだけで、僕は十分だ。それ以外に何も望んでいない」
セラフィーナはその言葉に安堵するよりも、逆に胸が締め付けられるような気持ちになった。ヴァレリオの中にある彼女への深い執着――それが彼を支え、同時に蝕んでいるように感じたからだ。
彼女はそっと彼の手を握りしめ、「ヴァレリオ、無理をしないでね。私はどこにも行かないから」と優しく言った。その言葉は彼を安心させたようにも見えたが、その瞳の奥にある不安定な輝きは消えることなく揺らめいていた。
セラフィーナは彼にとって何が必要なのか、何をすれば彼を本当に救えるのかを考え始めた。
ヴァレリオは冷静を装いつつも眉をひそめ、静かに立ち上がった。「僕が見てくる。君はここで待っていて」
扉を開けると、そこには商人らしい身なりをした男が立っていた。くたびれたコートに大きな荷物を背負い、どこかせわしなく動く目が印象的だった。「ごきげんよう、こちらの館に訪問させていただいた者です。珍しい品々を取りそろえておりますが、ご興味ありませんか?」
ヴァレリオは微かな苛立ちを覚えつつも、礼儀正しく応対した。「ここは訪問者を受け入れる場所ではない。お引き取りを願おう」
だが、商人はそれを聞き流し、大きな荷物を広げ始めた。布の下から現れたのは、装飾品や小物、香水瓶、そして絹織物の数々だった。「お嬢様がいらっしゃるなら、ぜひご覧ください。この辺りでは手に入らない品ばかりです」
その言葉に、ヴァレリオは一瞬ためらった。セラフィーナのことが頭をよぎる。確かに彼女はこうしたものを喜ぶかもしれない。だが、この商人が突然、ふたりだけの安寧の場に踏み込んできたことへの不快感は拭えなかった。
「少しだけなら見せてもらおう」と渋々答えたヴァレリオは、商人の品を吟味し始めた。彼の視線が選んだのは、セラフィーナが好きそうな白い絹のストールや、淡い香りの香水。さらに、美しい細工が施された銀の髪飾りに目が留まった。これなら彼女も喜ぶだろう――そう思った瞬間だけは、心が少し和らいだ。
「これらをいただこう」と購入を決めると、商人は嬉々として品を包み始めた。しかし、ふと館の奥に目を向けて言った。「立派な建物ですね。中もきっと素晴らしいのでしょう」
その瞬間、ヴァレリオの表情が冷たく硬くなった。「中に入ることは許さない。これ以上の詮索も必要ないはずだ」
商人は気まずそうに頭を下げながらも、「ではこれで失礼します」と言って館を後にした。扉が閉まる音が響いたあとも、ヴァレリオの心の中には妙な不快感が残った。
セラフィーナが心配そうに近づいてきた。「ヴァレリオ、大丈夫?さっきの方は……」
彼は買い求めた品を彼女に手渡しながら、ぎこちなく微笑んだ。「君が喜ぶものが見つかった。それだけで十分だ」
セラフィーナは包みを開き、目を輝かせた。「こんなに素敵なもの、ありがとう!でも、何かあったの?」
ヴァレリオは目をそらし、小さく息を吐いた。「ただ、他人がこの場所に足を踏み入れたことが少し気になっただけだ。君と過ごすこの安らぎが乱されるのが……耐えられない」
その言葉には、彼の不安定な心が透けて見えた。セラフィーナは彼の手をそっと握り、静かに言った。「私たちの場所は何があっても変わらないよ。ここは私たちだけの家だもの」
彼女の優しい声にヴァレリオは少しだけ気を取り直したようだったが、その心の奥には、どこか乱れた波紋が広がり続けているようだった。そしてその波紋が、ふたりの平穏な日々にどんな影響を及ぼすのか――それはまだ誰にもわからなかった。
その日、静かな雨が窓を叩く洋館の中で、セラフィーナは穏やかな時間を過ごしていた。彼女はヴァレリオが用意してくれた香水を試し、ふわりと漂う甘い香りに微笑んでいた。「これ、とてもいい香り……ありがとう、ヴァレリオ」
ヴァレリオは彼女のその様子をじっと見つめていた。彼女が香水を纏うたびに、その香りが彼女そのものと結びつくような錯覚を覚える。やがて彼は、「気に入ってもらえて嬉しい」と穏やかな声で答えたが、その青い瞳の奥には、彼女への執着が濃く滲んでいた。
夜、セラフィーナが眠りについた後、ヴァレリオはひとり自室に戻り、机の上にそっと香水瓶を置いた。彼女が纏った香りを少しだけ部屋に撒くと、甘やかな香りが空気を満たし、彼の心を奇妙に落ち着かせた。柔らかく深呼吸をすると、目を閉じてその香りに溺れるように身を任せた。
「これが君の気配を感じる方法のひとつなら……」ヴァレリオは囁くように言いながら、香水瓶を大切そうに握りしめた。彼の顔には穏やかな微笑みが浮かんでいたが、その微笑みの裏には、かつて見せた狂気的な執着の影が隠れていた。
翌朝、セラフィーナが浴室から戻ると、タオルを片付けようとするヴァレリオの姿を見つけた。その手に握られた彼女の使い終えたバスタオルに気づき、彼女は思わず声を上げた。「ヴァレリオ、それ……どうして?」
彼は一瞬ぎこちなく動きを止めたが、すぐに微笑みを浮かべ、「君が使ったものだから、僕が片付けようと思っただけだ」と答えた。その声は柔らかいが、どこか無理に取り繕ったような響きがあった。
セラフィーナは戸惑いながらも、彼の手からそっとタオルを取り返し、「ありがとう。でも、それは私がやるから大丈夫だよ」と言った。そして彼の目を見上げ、静かに続けた。「ヴァレリオ……最近、少し様子が変だよ。何か、私に言えないことがあるの?」
彼女の真摯な瞳に見つめられたヴァレリオは、一瞬だけ目を伏せた。そして「何も心配はいらない」と微笑んだが、その微笑みはどこか空虚だった。「君がここにいてくれるだけで、僕は十分だ。それ以外に何も望んでいない」
セラフィーナはその言葉に安堵するよりも、逆に胸が締め付けられるような気持ちになった。ヴァレリオの中にある彼女への深い執着――それが彼を支え、同時に蝕んでいるように感じたからだ。
彼女はそっと彼の手を握りしめ、「ヴァレリオ、無理をしないでね。私はどこにも行かないから」と優しく言った。その言葉は彼を安心させたようにも見えたが、その瞳の奥にある不安定な輝きは消えることなく揺らめいていた。
セラフィーナは彼にとって何が必要なのか、何をすれば彼を本当に救えるのかを考え始めた。
10
あなたにおすすめの小説
盲目王子の策略から逃げ切るのは、至難の業かもしれない
当麻月菜
恋愛
生まれた時から雪花の紋章を持つノアは、王族と結婚しなければいけない運命だった。
だがしかし、攫われるようにお城の一室で向き合った王太子は、ノアに向けてこう言った。
「はっ、誰がこんな醜女を妻にするか」
こっちだって、初対面でいきなり自分を醜女呼ばわりする男なんて願い下げだ!!
───ということで、この茶番は終わりにな……らなかった。
「ならば、私がこのお嬢さんと結婚したいです」
そう言ってノアを求めたのは、盲目の為に王位継承権を剥奪されたもう一人の王子様だった。
ただ、この王子の見た目の美しさと薄幸さと善人キャラに騙されてはいけない。
彼は相当な策士で、ノアに無自覚ながらぞっこん惚れていた。
一目惚れした少女を絶対に逃さないと決めた盲目王子と、キノコをこよなく愛する魔力ゼロ少女の恋の攻防戦。
※但し、他人から見たら無自覚にイチャイチャしているだけ。
王宮侍女は穴に落ちる
斑猫
恋愛
婚約破棄されたうえ養家を追い出された
アニエスは王宮で運良く職を得る。
呪われた王女と呼ばれるエリザベ―ト付き
の侍女として。
忙しく働く毎日にやりがいを感じていた。
ところが、ある日ちょっとした諍いから
突き飛ばされて怪しい穴に落ちてしまう。
ちょっと、とぼけた主人公が足フェチな
俺様系騎士団長にいじめ……いや、溺愛され
るお話です。
乙女ゲームに転生するつもりが神々の悪戯で牧場生活ゲームに転生したので満喫することにします
森 湖春
恋愛
長年の夢である世界旅行に出掛けた叔父から、寂れた牧場を譲り受けた少女、イーヴィン。
彼女は畑を耕す最中、うっかり破壊途中の岩に頭を打って倒れた。
そして、彼女は気付くーーここが、『ハーモニーハーベスト』という牧場生活シミュレーションゲームの世界だということを。自分が、転生者だということも。
どうやら、神々の悪戯で転生を失敗したらしい。最近流行りの乙女ゲームの悪役令嬢に転生出来なかったのは残念だけれど、これはこれで悪くない。
近くの村には婿候補がいるし、乙女ゲームと言えなくもない。ならば、楽しもうじゃないか。
婿候補は獣医、大工、異国の王子様。
うっかりしてたら男主人公の嫁候補と婿候補が結婚してしまうのに、女神と妖精のフォローで微妙チートな少女は牧場ライフ満喫中!
同居中の過保護な妖精の目を掻い潜り、果たして彼女は誰を婿にするのか⁈
神々の悪戯から始まる、まったり牧場恋愛物語。
※この作品は『小説家になろう』様にも掲載しています。
婚約破棄された悪役令嬢の心の声が面白かったので求婚してみた
夕景あき
恋愛
人の心の声が聞こえるカイルは、孤独の闇に閉じこもっていた。唯一の救いは、心の声まで真摯で温かい異母兄、第一王子の存在だけだった。
そんなカイルが、外交(婚約者探し)という名目で三国交流会へ向かうと、目の前で隣国の第二王子による公開婚約破棄が発生する。
婚約破棄された令嬢グレースは、表情一つ変えない高潔な令嬢。しかし、カイルがその心の声を聞き取ると、思いも寄らない内容が聞こえてきたのだった。
前世で孵した竜の卵~幼竜が竜王になって迎えに来ました~
高遠すばる
恋愛
エリナには前世の記憶がある。
先代竜王の「仮の伴侶」であり、人間貴族であった「エリスティナ」の記憶。
先代竜王に真の番が現れてからは虐げられる日々、その末に追放され、非業の死を遂げたエリスティナ。
普通の平民に生まれ変わったエリスティナ、改めエリナは強く心に決めている。
「もう二度と、竜種とかかわらないで生きていこう!」
たったひとつ、心残りは前世で捨てられていた卵から孵ったはちみつ色の髪をした竜種の雛のこと。クリスと名付け、かわいがっていたその少年のことだけが忘れられない。
そんなある日、エリナのもとへ、今代竜王の遣いがやってくる。
はちみつ色の髪をした竜王曰く。
「あなたが、僕の運命の番だからです。エリナ。愛しいひと」
番なんてもうこりごり、そんなエリナとエリナを一身に愛する竜王のラブロマンス・ファンタジー!
虚弱体質?の脇役令嬢に転生したので、食事療法を始めました
たくわん
恋愛
「跡継ぎを産めない貴女とは結婚できない」婚約者である公爵嫡男アレクシスから、冷酷に告げられた婚約破棄。その場で新しい婚約者まで紹介される屈辱。病弱な侯爵令嬢セラフィーナは、社交界の哀れみと嘲笑の的となった。
一途な皇帝は心を閉ざした令嬢を望む
浅海 景
恋愛
幼い頃からの婚約者であった王太子より婚約解消を告げられたシャーロット。傷心の最中に心無い言葉を聞き、信じていたものが全て偽りだったと思い込み、絶望のあまり心を閉ざしてしまう。そんな中、帝国から皇帝との縁談がもたらされ、侯爵令嬢としての責任を果たすべく承諾する。
「もう誰も信じない。私はただ責務を果たすだけ」
一方、皇帝はシャーロットを愛していると告げると、言葉通りに溺愛してきてシャーロットの心を揺らす。
傷つくことに怯えて心を閉ざす令嬢と一途に想い続ける青年皇帝の物語
モブ令嬢、当て馬の恋を応援する
みるくコーヒー
恋愛
侯爵令嬢であるレアルチアは、7歳のある日母に連れられたお茶会で前世の記憶を取り戻し、この世界が概要だけ見た少女マンガの世界であることに気づく。元々、当て馬キャラが大好きな彼女の野望はその瞬間から始まった。必ずや私が当て馬な彼の恋を応援し成就させてみせます!!!と、彼女が暴走する裏側で当て馬キャラのジゼルはレアルチアを囲っていく。ただしアプローチには微塵も気づかれない。噛み合わない2人のすれ違いな恋物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる