気まぐれ令嬢と微笑みの調停役〜お兄様もいるよ!

ねむたん

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プロローグ

街一番のわがまま娘と、笑顔の少年

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青空の下、街の中央広場は市場で賑わっていた。色とりどりの果物や布地、焼きたてのパンの香りが漂う中で、ある一角だけが異様な空気に包まれていた。その中心には、一人の若い女性が腕を組んで立っている。クラリスだ。

「だからこれじゃないって言ってるの!」

小さなパン屋の店主が困ったように肩をすくめている。彼女の手元には、大きなバスケットいっぱいの焼き菓子。だがその中に、彼女が注文した「レモンピール入りの特製タルト」が入っていなかったらしい。

「ほら、私は何度も言ったわよね。『特別な日』だから絶対に欠かせないって!」

市場のあちこちで彼女の声が響き渡る。周囲の人々は遠巻きに眺めるだけだ。クラリスがこうやって大声で抗議する場面は、街では珍しいことではなかった。しかし、その堂々とした振る舞いと、どこか子どもじみた怒り方が憎めないと、密かに思う人も少なくない。

そんな彼女の横で、彼女のバスケットを黙々と持っていたのはルシアンだった。柔らかな笑顔を浮かべ、彼女の背後で目立たないように立っている。「仕方ないな」と思いつつも、手伝いを断るつもりはなかった。

「クラリス、まあまあ。焼き菓子なんて、ちょっと甘ければ誰も文句は言わないよ」

クラリスは鋭い目つきで振り返った。「甘ければいいですって? ルシアン、それがあなたの言う芸術なの? 私のパーティーに何でもいいものを出すと思う?」

「もちろん、そんなこと思ってないよ」ルシアンは小さなため息をつきながら答える。「でもね、店主さんだって悪気があったわけじゃない。こういう時は笑顔で『次回は気をつけてね』って言うのが大人の対応じゃないかな?」

クラリスは唇を尖らせたが、周囲の視線を感じたのか、不本意そうにため息をついた。「…分かったわよ。でも、次は絶対に忘れないでって言っておいて」

店主は安堵の表情を浮かべ、丁寧に頭を下げる。その間もルシアンは笑顔を絶やさず、クラリスの機嫌が完全に直るのを待っていた。

広場を後にして街路を歩く二人。クラリスはまだ少し不満げな様子で、バスケットの中を覗き込んでいた。

「ねえ、ルシアン。どうしてそんなにニコニコしていられるの?」

「僕? そりゃあ、君がわがままを言っても最後にはちゃんと引き下がるからさ」

クラリスは振り返り、ルシアンの顔をじっと見つめた。彼の微笑みはいつものように穏やかで、少しも揺らがない。

「…やっぱり気に食わないわ」

そう言いながらも、彼の顔に一瞬見とれてしまった自分が悔しかった。クラリスは再びバスケットに目を向ける。「まあ、あなたがその調子なら、今回だけ許してあげるわ」

ルシアンは彼女の言葉を聞き流しながら、「ほんとに面倒な人だな」と内心呟いた。それでも、このやり取りが嫌いではない自分に気づいている。

この一幕を見ていた市場の常連客たちは、後で「あの二人、どう見ても普通の関係じゃないよね」と噂し合うのだった。





クラリスとルシアンが屋敷の門をくぐると、中庭から豪快な笑い声が響いてきた。その声の主は、この国の英雄ガイウスだ。大柄な体を椅子に預け、片手にワイングラス、もう片手には大きなロースト肉を持ちながら、友人たちと盛り上がっている。

「兄様!」クラリスが声を上げると、ガイウスは一瞬こちらを振り返り、次の瞬間には豪快な声で笑い出した。「おお、クラリス!どうした、今日はまた何を企んでるんだ?」

「企んでるんじゃなくてお願いに来たのよ!」クラリスは胸を張りながら、ルシアンをチラリと振り返る。「兄様がいればきっと全部解決するんだから!」

ガイウスは楽しそうに立ち上がると、豪快に肉をかじりながら近づいてきた。その動きにはまるで戦場に向かうような勢いがある。

「で?今度は何だ?また誰かに泣かされたのか、それとも市場で騒ぎを起こしたのか?」

「違うわよ!」クラリスはむっとして答えた。「パーティーの準備よ。兄様には最高のワインを用意してほしいの。それも、この街で一番貴重なやつ!」

ガイウスは眉を上げた。「一番貴重なやつか。あれは確か、街外れのワイナリーの地下に眠ってたな」

「そうよ。それを今すぐ取りに行ってきて!」

その無茶ぶりにルシアンは小さく吹き出しそうになったが、すぐに口を閉じた。彼が何か言うまでもなく、ガイウスは笑いながら肩を叩いてきた。「いいぞ!お前のためならどんな無理も聞いてやる!だが、その代わり…」

「代わり?」クラリスは首をかしげた。

「俺のために、パーティーで俺の冒険談をもう一度みんなに聞かせるって約束しろ!特に、あのドラゴンの話だ!」

クラリスは一瞬呆れたように眉をひそめたが、すぐに頷いた。「分かったわ。それくらいならしてあげる!」

ガイウスは大きく頷き、再び肉にかぶりつきながら叫んだ。「よし、じゃあ準備だ!俺が戻るころにはパーティーは大成功間違いなしだな!」

その豪快な様子を見ながら、ルシアンはため息をついた。ガイウスもまた、妹には甘すぎる。だが、それが彼ららしい関係なのだと感じずにはいられなかった。

「で、僕は何を手伝えばいいの?」ルシアンが静かに問いかけると、クラリスは振り返り、悪戯っぽく笑った。「もちろん、全部よ!」

ルシアンは苦笑しながらも、彼女の背後で静かに従うのだった。
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