選ばれぬことを願った令嬢

ねむたん

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朝の光が白いカーテンを透かして差し込む。王宮の客室は静かで、外の鳥のさえずりさえ遠く感じられた。

エレノアは鏡の前に座っていた。背後に立つセラが、柔らかな指先で髪を整えている。銀の櫛が静かにすべり、まるで絹を撫でるような手つきだった。

「きつくないよう、少し緩めに留めております」

「……ありがとう、セラ」

目を伏せながら返した声に、自分でも驚くほどの安堵がにじんでいた。肩がこわばっていない。呼吸が楽だ。以前なら、ドレスの背を締めるたびに胸がつかえるような思いがしたものだ。義母の侍女は、礼儀正しさの名のもとに容赦なく締め上げ、メイクも”華やかさのため”に肌の痛みを無視していた。

それが、今はどうだろう。セラの指は丁寧で、でも決して遠慮しすぎない。髪を編み上げる手も、頬にブラシをすべらせる手も、まるで彼女自身の感覚を通じて、エレノアの快・不快を探るように動いている。

「……こんなに快適に身支度をしたのは、いつぶりかしら」

ぽつりと漏らした言葉に、セラの動きがわずかに止まり、すぐに小さく微笑む気配が背後から伝わった。

「エレノア様が、心地よく過ごせますようにと思っております。王宮では、それが何より大切だと聞いておりますので」

「……それは、誰に教わったの?」

「誰にというよりも、前にお仕えしていた方が、そういう方でした」

詳しく語ることはなかったが、その一言に込められた思いがエレノアにはよくわかった。

アナもそうだった。まだ幼く不慣れでも、リリーの気持ちを第一に考えて動こうとしてくれた。あの小さな手に包まれていた日々の、素朴であたたかな感覚が、今また別の形で蘇ってくる。

──見返りを求めない気遣いというものが、こんなにも人を癒すなんて。

エレノアは鏡越しに、自分の整えられた顔を見つめた。薄く施された色合いが、自然に頬を明るく見せている。唇にうっすらとのせられた紅は、ほんのりとした艶で、装いの中に確かに“私らしさ”を残していた。

「……ありがとう、セラ。本当に、助かっているわ」

「光栄です。いつでも、仰ってくださいませ」

セラは静かに頭を下げた。

支度を終えたエレノアは、立ち上がりながら小さく息を吸った。今日もまた、控えめに、静かに。それでも胸の奥には、昨日より少し強く、歩く力が芽生えていた。



王宮の回廊に、朝の陽が差し込んでいた。
選定初日を目前に控えた朝、庭園の脇にある小さな離れのサロンでは、エレノアたち三人がこっそり顔を寄せ合っていた。

「ねえ……“特技を披露していただきます”って、どういうことなのかしら?」

イザベルが眉をひそめて言った。手元の告知文は、まるで舞踏会の案内状のように飾られているが、書かれている内容はどこか的を射ない。

「“各令嬢はご自身の個性を示す簡潔な自己紹介と、得意な芸事・特技の披露を通じて、内面を表現していただきます”……って、つまり芸をしろってことよね?」

「芸……って」

エレノアは思わず苦笑をこぼした。イザベルの目はどこか真剣で、そして微妙に楽しんでいる。

「わたし、お姉さまの前で踊ったことはあるけど、王宮の広間でやるとなるとちょっと……」

リリーが首を傾げ、両手を指先でつつくようにして小さく悩んでいる。その表情があまりにも素直で、ついイザベルが口元を押さえて笑った。

「いっそ三人で一発芸でもしてみる?手品とか、パントマイムとか。ほら、いっそ突き抜けた方が印象に残るんじゃなくて?」

「イザベル、それは……さすがに……」

「え?真面目に言ったんだけど?」

目を丸くしたエレノアに、イザベルはおどけて肩をすくめる。

「まあ、冗談よ。でも実際、わたしたち王妃になる気、ないじゃない?」

「うん。まったく」

「ぜんっぜん、ないです!」

ふたりの言葉にリリーがすかさず乗って、三人は思わずくすりと笑い合った。競争の空気が濃くなる中、この小さな輪の中だけは、肩の力を抜いていられる。

「……でも、ちゃんと“やる気はある”ように見せておかないと、浮いてしまうかもしれないわ」

エレノアが静かに言うと、イザベルが小さく唇を尖らせる。

「それが一番難しいのよね。やる気がなさすぎても問題だし、目立ちすぎても良くない。あなたの場合、そっと立ってるだけでも“清楚で王妃にふさわしい”とか言われそうだし」

「そんなこと、ないわ」

「あるのよ。それがエレノアの厄介なところなの」

冗談めいた口調のなかに、少しだけ本音の響きが混じっていた。

「……でもまあ、とりあえず目立たない程度に真面目にやって、空気を読む。今のところ、それが一番賢い生き方ね」

イザベルが紅茶を一口飲み干して立ち上がる。

「さて。芸はさておき、あなたたちの前で恥をかかない程度には、考えておくわ。ふたりも、せいぜい無難な“特技”を準備しておいてね」

「はい、イザベルお姉さま」

ぺこりと頭を下げるリリーの横で、エレノアもふっと笑った。

選ばれるつもりなどなかった。けれど――
舞台はすでに、幕を開けようとしていた。
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