姉の方を所望していたと言った婚約者に、突然連れ帰られて気づいたら溺愛されています

もちもちほっぺ

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朝、使用人のマルタが地下室に来た。

「お嬢様、身支度をなさってください。応接室にいらしていただきます」

それだけ言って、マルタは出ていった。

理由も、誰が来るのかも、教えてもらえなかった。
リリアーナは古いドレスに袖を通した。
二年前のもので、今のリリアーナには少し大きい。
腰のあたりがゆるく、袖も余る。

もともとがそれほど上等な生地でもなかったが、今となってはくたびれた感じが隠せなかった。

髪を梳かした。
くすんだ色は変わらない。
ぱさついた毛先は、どれだけ梳かしても艶が出なかった。結い方を工夫しようとしたが、髪が細くて量も少ないから、うまくまとまらなかった。

鏡を見た。
ぱさついた髪。血の気のない顔。目の下に薄い翳り。頬のそげた輪郭。
どうにもならなかった。

どうにもならないとわかっていても、少しだけ、もう少しだけと思って、また梳かした。でもやっぱり変わらなかった。

リリアーナは梳かす手を止めて、鏡から目を逸らした。

首輪の革紐を確認した。石がそこにある。
それだけ確かめて、地下室を出た。




応接室へ向かう廊下で、母親とすれ違った。
母親も応接室へ向かうところらしく、侍女を連れていた。
珍しく、正装に近い格好をしていた。今日が特別な日なのだと、リリアーナはそこで初めて察した。

「お母様、おはようございます」

母親の足が止まった。
いつもと同じように、視線がリリアーナの首元へ向かった。革紐を確認した。石を確認した。

でも今日は、そこで終わらなかった。
母親の視線が、ゆっくりとリリアーナの全身を動いた。ドレスを見た。髪を見た。顔を見た。

その目が、かすかに曇った。
何かを言いかけて、やめた。

「……首輪はついているわね」

「はい」

「外してはだめよ」

「はい」

母親は踵を返して歩き出した。
リリアーナの隣を通り過ぎる時、視線が一瞬だけ、また全身を流れた。

何も言わなかった。
リリアーナは母親の背中を見送って、また歩き出した。
今日は何があるのだろうと思った。正装の母親。応接室への呼び出し。

腹が、鳴った。
今朝も、朝食は来ていなかった。




応接室の扉の前で、リリアーナは少し立ち止まった。
扉の向こうから、低い男の声がした。父の声と、それからもう一つ、聞いたことのない声だ。落ち着いた、低い声だった。

リリアーナは背筋を伸ばして、扉を開けた。

父がいた。母がいた。イザベラがいた。
そして、見知らぬ男がいた。

二十代半ばほどだろうか。軍服に似た意匠の濃紺の上着を着て、背筋をまっすぐに伸ばして椅子に座っている。
整った顔立ちをしていたが、それよりも目が印象的だった。切れ長の、静かな目だ。

感情を読ませない、石のように平らかな目。
その目が、扉を開けたリリアーナをひと目見た。

そして、すっと逸れた。

逸れた先は、隣に立つ侍従だった。
男は侍従に向かって、声を潜めた。潜めた、つもりなのだろう。
しかし応接室は静かで、厚いカーテンが風を遮り、暖炉の火が音もなく燃えているだけの部屋だった。

「……姉と間違えているのではないか」

聞こえた。
はっきりと、聞こえた。

父が小さく咳払いをした。母が視線を窓の外に向けた。イザベラが口元を扇で隠して、くすりと笑った。
侍従が困ったような顔で男に何かを耳打ちした。

リリアーナは扉を閉めて、部屋の中央まで歩いた。
頭を下げた。

「リリアーナ・ベルテと申します。どうぞよろしくお願いいたします」

顔を上げると、男はリリアーナを見ていなかった。
侍従のささやきを聞いていた。
こくりと頷いて、それから改めてリリアーナを見た。
今度はまっすぐに。

値踏みするような目だった。
隠す気のない、率直な査定の目だった。リリアーナの髪を見た。顔を見た。ドレスを見た。首元を見た。体の線を見た。それぞれを、確認するように、一つ一つ。

その視線がどこへ向かうたびに、リリアーナは自分のどこかが査定されていることがわかった。
そしてその査定が、高い点をつけていないこともわかった。
男は父に向き直った。

「アルスター公爵家嫡男、クライド・アルスターと申します」

低い、静かな声だった。

「本日は婚約のご挨拶に伺いました」

婚約。
その言葉が、リリアーナの耳の中で静かに落ちた。
婚約者。この人が。

クライドは父と向かい合って、しばらく当たり障りのない挨拶を交わした。
リリアーナはその間、部屋の隅に近い位置に立ったまま、静かにしていた。イザベラは父の隣のソファに腰かけて、扇を揺らしていた。
今日のイザベラは特別に美しく見えた。髪を高く結い上げて、薄紅色のドレスを着て、頬に自然な血色があって。

同じ親から生まれたとは、自分でも思えなかった。

しばらくして、クライドが再び口を開いた。
声を、少し低くした。
また侍従に向けた声だった。

「……本来であれば、姉の方を所望していた」

静かな部屋に、その言葉は驚くほどよく通った。
父の顔が、かすかに引きつった。母は窓の外を見たまま動かなかった。イザベラの扇が、ぴたりと止まった。

リリアーナは俯いた。
俯いて、床を見た。絨毯の模様を見た。赤と金の唐草模様が、視界の中でじっとしていた。

クライドはまだ侍従に話しかけていた。
声を潜めているつもりなのだろう、少し顔を侍従の方へ向けて。でも部屋は静かで、暖炉しか音を立てていなくて。

「……あれが本当に侯爵家の令嬢か。遠目に見ると、老婆のようだ」

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