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第三章『信長とイエスーーその運命の類似』
38 『イエス、最期の言葉』
しおりを挟む「我が神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのか」
と、十字架上で嘆き……息を引き取るイエス。
この嘆きの言葉は、『マタイによる福音書』にある記述ですが、
“神の子”と自ら名乗るイエスが、神を恨む……
神を恨みながら死を向かえるというーー
衝撃的なシーンです。
これを知って驚く方も多いと思います。
神の子であるイエスが、父である神を恨むといのはーー全然、神の子らしくないですよね。
でもマタイには、そうはっきり書かれています。
ーーただこの言葉には、実は違う意味があります。
これは旧約聖書の『詩編』に書かれた言葉と同じものでーー
神に捨てられたと思うような事態に陥ったとしても、私は神を信じます。
という神への厚い信仰心を表す内容の、言葉だったのでてす。
そう、イエスの嘆きの言葉に聞こえた言葉は、その『詩編』の冒頭の句を述べたものだったのでてす。
イエスの伝記である『福音書』は、四つあります。
例えば今引用した『マタイによる福音書』とは、
マタイという弟子によって書かれた、師匠イエスの伝記ーーという意味です。
マタイと聞いて思い出す方もいると思いますが、前述したあの徴税人で皆から“ローマの手先”と呼ばれてていた、マタイのことです。
他にも弟子たちによって書かれた、『マルコによる福音書』、『ルカによる福音書』、『ヨハネによる福音書』があります。※(詳細後書き)
イエスの伝記を四人の有力な弟子ーー使徒の四つの視点で描かれているということです。
なので同じ事柄を書かれた部分でも、違う内容・解釈の場合があり、また他の福音書には全く書かれていない内容が書かれてあったりとーー
この読み比べがまた読み物として、聖書を読む醍醐味です。
さて、それでは各『福音書』の最期の言葉をあげますと、
「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのか」(『マタイによる福音書』)
「父よ、私の霊を御手に捧げます」(『ルカによる福音書』)
そして『ヨハネによる福音書』ではーー
「為し遂げられた」
と、その印象に一番あった言葉でーー
イエスはその最期を向かえました。
※各『福音書』には、弟子たちの名前をつけられていますが、弟子本人が書いたものではないと言われてます。つまり、各有名な弟子、つまり使徒に模して他の信者が、この使徒様ならこういう風に福音書を書いただろうという、イメージで書かれたもの。(諸説あり)
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