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第五章『天下布武』

8『本丸御殿』

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安土城天主の横には隣接する形で、『本丸御殿』と言われる大きな屋敷が建っている。

通常、後世の天守閣には誰も住まず、城の城主である大名は、本丸御殿に居住し、また政務を取り仕切っている。


――しかし、安土城天主の場合、信長は天主の最上階に居住し、政務も天主内で取り仕切っているのだ。


ということは、この本丸御殿とは、いったい誰が何のために使う屋敷なのかが謎となってくる。


しかし、実は近年意外な理由が明らかになってきた。


なんとこの安土城本丸御殿と、京の平安京の天皇が居住する清涼殿の造りがそっくりなのである。

1613年に江戸幕府が建てた清涼殿の図面を、東西逆にすると、安土城本丸御殿の図面とほぼ一致するのである。規模や部屋割りもほぼ一緒である。またその前の豊臣秀吉が建てた清涼殿も、ほぼ同形式であったと言われている。


つまり安土城本丸御殿は、秀吉や家康が建てた天皇の住まいである清涼殿の見本となっていることになるのだ。


しかも、近年滋賀県の発掘調査で、天皇家の菊の御紋がついた瓦が見つかっている。


そうつまり、安土城の本丸御殿は、天皇ための屋敷だったということである。


それを裏付ける文献として、信長の一代記『信長公記』に、

安土城の屋敷の中で「御幸の間」「皇居の間」を拝見したと書かれている。

また『言継卿記』には「来年は内裏さま(=天皇)が安土へ行幸する予定」という、著者・山科言継の娘の手紙が記している。


結論として、織田信長は、天皇を平安京から安土城に行幸させることを目的に、本丸御殿を建てたことになる。



……しかし、それはいったい何故?




次回予告

ついに信長は、天皇をも超えるのか――

そしてその野望の先に見えるものは、天国か地獄か……


次回『信長、 天皇をも超える』



――乞うご期待!


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