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第六章『運命の天正十年!本能寺カウントダウン』

13 『運命』

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……あえてこの世界は神が作り、人々の人生もまた神の計らいであった――と思考実験してみる。


つまりは物事が、起きることはもともと定められているという――

《運命論》が、あるとして……いったんこのページを読んで欲しい。


イエズス会が、結成された年に生まれた信長。

織田信長がつまりは年齢を重ねる度に、イエズス会も活動歴を重ねていく。


――当たり前の話であるが、当然イエズス会創始者のイグナチオ・デ・ロヨラは、この1534年の五月に織田信長が生誕したことを何かのお告げで知って、信長に会いに行くために――

慌てて8月にモンマルトルの丘の上でイエズス会を作った訳では、決してない。


――またフランシスコ・ザビエルもそうである。

イエズス会結成以来の最大の快挙ともいわれる、世界の果て極東への、そう日本への宣教師としての初めての上陸と布教の成功。

この快挙は、会結成から15年が経った時のことであったが――

別に当時十五才の織田信長に会いに日本に来た訳では、決してない。


ルイス・フロイスも、オルガンチーノも信長に会うために、遥かヨーロッパから日本に宣教に来たわけでは、決してない。



……――だからこそ凄いのである。



誰しも織田信長と意図して会うために日本に来たわけでは――

決してないのである。


――なのに結果として、フロイスと出逢ったあと日本で最大のキリスト教の保護者となったのは、イエズス会創設年に誕生したこの織田信長である。


当時、この国の最高権力者がキリスト教を気に入ってくれたことを、宣教師らは当然、神の計らいであったと感じたことであろう。


また織田信長は、自らの誕生年に遠く世界の西の果で結成されたイエズス会が、ついに幾千幾万の荒波を越えて、自分に布教しに来ているこの事実を感じている。


――当然これを信長を中心とした《運命論》で考えれば、


本人たちは決して意図していなくても、神の計らいで――


イエズス会は極東で生まれた救世主、織田信長に会うために創設され、だから織田信長に会うために他の修道会よりも積極的に海外布教に出て、織田信長に関心を持ってもらうために最新の科学に精通し、まさに織田信長に会うために世界を東へ東へひたすすみ、ついに救世主織田信長に世界の果てで、出逢ったということになる。



……そんな馬鹿なと読者方は感じるであろう。



――ただそこは正直あまり重要なことでは、決して?ないのである。


……何故なら、そう誰がこれを運命と感じたかが、重要なのだからである。


それは当然――


……この本作の作者である拙者である。


……のは、当然として、



これを《運命》と感じたのは――



――織田信長その人なのである。



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