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第七章『愛宕百韻』と光秀謀反の句の謎

44 『信長と囲碁』

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○光秀辞世の句“五十五”=『囲碁の初手の数』説


織田信長は魔王と呼ばれていることもあり、残虐非道な“戦争屋”のイメージを持つ方もいると思います。

しかし、信長は実は戦国時代きっての《文化人》の一人でもあるのです。


そもそも信長のスローガンである『天下布武』のように、信長は『天下一』という言葉が大好きで、

例えば相撲大会の優勝者に『天下一』の称号を与えたり、大工の腕前が凄い者に『天下一』の称号を与えたりと――

専業者の技術を称賛・奨励する文化政策を推し進め、日本の文化や技術の発展に尽力している。(『信長公記』)


――現代においても『職人』というのが、日本では一つのステータスなのも、信長公認の『天下一』マイスター制度のお陰であるともいえる。


また茶道や連歌等を天下人である信長が率先して楽しむことで、配下の武将はもとより、公家や町人を巻き込んだ階層・階級を超える一大ムーブメントを起こしてきた。


そして――それは『囲碁』にしてもそうである。


1578年のある日、上洛した信長は――

囲碁が強いと話題であった寂光寺本因坊の僧侶・日海を呼び寄せた。

日海の対局を見た信長は、あまりの妙技・神業の連発に驚嘆して、日海を『名人』と称揚した。(『爛柯らんか堂棋話』)

これが、現代ても『○○名人』という、技術を極めた者を指す称号の語源となったとも言われている。


後に日海は、本因坊算砂と称し、『本因坊』の名称は――

囲碁界において家元の地位をもち、襲名継承される様になった。


この囲碁界と信長の関係でも解る通り、

やはり時の権力者に認められるというのは、その者にとって物凄く励みになるとことだなと感じます。


それで、信長と囲碁の関係はわかったけど、

そのことが明智光秀の辞世の句の暗号?である『五十五』が、「囲碁の初手の数」指すことにはならなのでは?と読者。


ところがです、信長と囲碁の関係は、

――名人の言葉誕生の場面だけではなく、

……織田信長の死亡とも大きく関わっているのです!


というのは『本能寺の変』が起きた六月二日の前日――

つまり六月一日に織田信長は、《囲碁名人》日海を本能寺に呼び寄せていたからです!


「……それがどうしてたの?」と読者。


実は信長が日海を呼び寄せたこと……

このことが実は多くの意味を持っているのです!


そして、今、その中の一つを少し述べるとしたら……


もし通説である『明智光秀謀反説』が真実であるなら――

この日、名人日海が本能寺に来なかったら……


……なんと織田信長は、本能寺の変で死ななかったかもしれないんです!



次回予告

昨日のまったくの思い付きから急遽予定変更で連載となった新説を大大発表しま~す!


次回『光秀辞世の句の暗号《五十五》の謎』


見よ!これが、これこそが――

リアルタイム執筆・連載の醍醐味なのだ!


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