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第11話 演習場での戦闘結果と灰翼の少女の正体

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 甘い、と、わらわはそう思った。

 何せ見えている。
 風と速度と、剣の切っ先が踊り狂う戦場の最中であっても、その姿は、はっきりと見えている。

 ドゥーン・ザッハーク。
 先ほどの部屋があった建物の四階から飛び出し、わらわと大剣ヤバ女が戦っている空域の、その真下へと、急ぎ駆けてくる男だ。

 こうして姿を見るのは今日が初めてだが、師匠から聞いていた印象とは、少々趣が違う。
 何せ師匠は、ドゥーンのことを「出来の悪い弟子」、「才能のかけらもない」、「悪巧みだけは一人前」と、散々な言いようではあったが、その実、

 ……負けないことだけは、誰よりもうまい、か。

 正直、あまり強そうには思えない。ならば何か突出した特技があるのかとも思ったが、それも特には感じない。

 ただ、初見で師匠から預かった「幻視香」を見破ったのは賞賛に値する。
 考案者がドゥーン本人なのだから当たり前だが、これの効力は、父上も兄上も見破ることのできなかった極上品だ。
 加え、わらわが耳に下げたピアスに気づいたのも、ノータイムでドカンしてきたのも、とても良い。

 だが、それだけだ。この男が「虚構領域」の百鬼夜行を生き抜くには、それに加えて、何かしらの「力」がいる。

 わらわは、それが見たい。
 だから、

「速度を上げるぞ、ヤバ女!」

 呼びかけた先、大剣の少女が、どういうわけか不思議そうな顔をして己の背後へと振り返った。

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「おめェだよ!」

 との叫びが地上から聞こえてきて、私は我に返った。

 ……陽動作戦とは卑怯な!

 とは思うが、私はそれを口にしない。「虚構領域」での戦いにも、魔獣との戦争にも、そういう概念は存在しないからだ。

 生きたいから勝つ。
 増えたいから生きる。
 それこそが、人間の生活を脅かす魔獣の行動原理であり、また魔獣の生活を脅かす人間の行動原理でもあるのだ。

 本能と欲望は、似て非なるものだ。
 では何が違うのかというと、「似て非なる」って言葉を使いたかっただけなのでよくわからない。そのあたりはアニキが詳しい。大抵の場合は答えてくれるし、その後で「ノエルはかしこいなァ」と言いながら飴ちゃんもしくはキャットフードをくれる。

 ともあれ、羽女が何か新たな試みを始めたのが見えた。

 ここまでの戦いは、純粋な武具闘術師同士の戦いだった。

 武具闘術師との戦闘は良い。何せ純粋に互いの力量が出るし、相手が自分と違う武器を使いこなす様子を見るのは、ただただ楽しいし、勉強にもなる。

 だが今、羽女が私の攻撃を防ぎ、その反動で空を舞い、天地を返した状態で伸ばされた手先の指が、

「!」

 パチンと弾かれ、ともすれば聞き逃してしまいそうなほどの、軽い音をつくった。

 緑色をした陣が、空を無数に覆った。

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 ……陣式呪言というものを知っておるか!?

 それが生じたのは、ヤバ女の位置を中心とした、半径三十メートルほどの空間だった。
 わらわがいる位置を含め、周辺一帯の全てを覆い、埋め尽くし、まるで球体を形作るように、それは展開される。
 ひとつ十センチほどの円形の紋様が、無数という数を体現するようにして、緑色の光をそれぞれに放った。

 言葉に力を宿す、呪言、という技術には、陣式と音式、ふたつの種類がある。
 どちらも一長一短で、術者によって得意不得意もわかれるが、そのうち陣式の方は、一般的に威力に優れるとされていた。

 設置型で融通が効きにくく、手間がかかるが、それがゆえに強い。
 それが今わらわが使った、陣式呪言というものだ。

 今回わらわがこれに込めた効力は、単純に、己の速度を倍化するもの。

 それが空中に無数に展開され、わらわの体が陣を砕くたび、効力はこちらの体に満ちていく。

 ひとつを砕く。

 ふたつを砕く。

 みっつを砕き、その時点でヤバ女の視線の追随がこちらを追いきれなくなり、

「──!」

 わらわはさらに、無数を重ねていった。

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 まずい。これはまずい。

 何がまずいって、最高にまずい。何せ速すぎて追いきれない。

 先ほどまでの羽女の速度は、羽女自身の運動能力と、翼の稼働によるものだった。
 こちらの攻撃を弾き、反動を用いて距離をとり、その上で翼の羽ばたきを連動し、今度は己が、攻撃へと移るための体勢を整える。

 そこにあるものは、己の体と手にした武器、そのふたつのみだった。
 もとより武具闘術師とは、それらだけを頼りに、「どこまでできるか」というのを、試し続ける生き物なのだ。

 だが今、そこに新たな要素が加わった。

 陣式呪言。
 本来は専門家がいる戦種だが、マティーファさんがそうだったように、他の戦種との組み合わせを可能とする人材は、ここ「前線都市」においては、特段珍しくはない。
 いつの間にか周囲に設置されていたそれが、攻撃系のプログラムでなかったことは幸いだが、それでもこれは、十分以上のピンチである。

 風が周囲を舞う。
 その上を、剣閃が追ってくる。

「!」

 もはや通り過ぎる影だけになった羽女が、銀色の閃光を放ったと思ったなり、その一閃が、私の肩を浅く切り裂いた。

 反応し、剣を振るうが、もう次の瞬間には、そこには誰も、何もない。

 速度が上がり、視界がまたその端に影を捉えた。

 と思ったなり、その逆側から、銀色の閃光が迫った。

 今度は「老骨白亜」を合わせたが、それはほとんど野生の勘によるものだ。「次」がいつまであるのか、わかったものじゃない。

 だが私は、

「──」

 口の端に、笑みを浮かべた。
 何故って、そりゃあ、

「──悪いけど。こういう窮地は、これまでいくらでもあったんだよね」

 私は頭が悪いから。真正面切って戦うしか能がないから。
 だからいつもピンチになる。
 だけれども、

「それでも私は、勝ってきた。──どうしてか、って」

 羽女の速度が、最高域に達しようとしていた。

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 砕いた陣の数が五十を超えて、わらわの速度は、もはや自分自身でも制御のきかない域に達しようとしていた。

 それにしても脅威なのは、

 ……粘りよる!

 大剣を構え、こちらの速度を捉えようとするヤバ女に、致命となりうる一撃は、何度も入れようとしてきた。

 だがそれが、どういうわけかなされない。
 見る限りわらわの速度に対応しきれてはいないようだが、それでも、こちらが振り下ろす渾身の一撃だけは、恐ろしく冴え渡った大剣の抜き打ちが、ことごとく防いでくるのだ。

 なぜか「ちょっといっとくか」くらいの気持ちで打った、陽動やフェイントの類は素直に受けてくれるのも、ヤバ女の不気味さをいや増している。

 ……こちらの挙動を読みきっておる? 否……。

 そんな頭のいい動きを、このヤバ女ができるとは思えない。
 おそらくは野生の勘か。それはそれでヤバ女加減に拍車がかかるが、まあ魔獣を相手取っていると思えば、そう不思議なことでもないだろうか。

 ……それもそれで十分おっそろしいがな!

 とはいえ、そろそろこちらの手品もネタ切れだ。

 初期の攻防の間に、描きに描いた陣式呪言、およそ100と少し。
 砕きに砕き、速度を上げてきたが、その品数もいい加減こころもとなくなってきた。

 だからこそ、わらわはここで勝負を決める。

 わらわが使う自己支援型陣式呪言、無限に速度を上げる「駆無鳥」。
 その真髄。速度を上げきり、最高へと達し、そこから放たれる神速の刺突こそが、我が最高の一手なのだ。

 速度は溜まった。

 勝利への道筋も見えた。

 ならばあとは、最後の陣を砕き、我が神速を完成させ、目の前の敵へと駆けるのみだ。

 周囲、ヤバ女を中心とした空間には、わらわが砕きまくった大量の陣式呪言、その緑色の欠片が、無数を倍するような数で舞っている。

 わらわは、そんな降りしきる新雪のような光景の中を、人として出せる最高の速度で駆け抜けながら、ヤバ女へと視線を合わせ、細剣を引き絞り、最後の陣を、

「ハイ終了ー」

 軽い言葉が、最後の陣を砕こうとするわらわの、すぐそばから響いた。

 突っ込もうとしていた最後の陣が、横合いから伸びてきた鉄剣に砕かれ、わらわの体は空中でつんのめって転げた。

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「えー、はい。めちゃくちゃですね、あの人たち」

 私は、そう言って統括局四階に空いた大穴を、室内側から観察した。

 背後へと目を向ければ破壊の痕があり、横へと目を向ければ破壊の痕がある。正面に目を向ければ無論のこと破壊の痕があり、その全ては、あのドゥーンという男と、その関係者が作り出したものだ。

「ほっほ、これの修理って誰がするのかなぁ。なぁ?」

「えー、いえ、その。私に言われましても……」

 何やら統括局の裏手から響いた大音を聞き、現場にいち早く駆けつけたのは、同じく四階の南側にある局長室で茶を飲んでいた局長と、それに付き合わされていた、私のふたりだった。

 いかに将来の幹部候補として入局したとはいえ、私のような新人局員が、局長と茶を飲むなど恐れ多い、と最初は断ったのだが、どうやら他の局員たちにはことごとく逃げられた末のことだったらしい。

 要は、貧乏くじが私のところへと回ってきた、ということだ。ギルド「明けず暁」の能力審査の時と同じように。

 私は言う。

「えー、しかし、はい。あのドゥーンという男。一見チャランポランに見えますが」

「ほ。思ったよりチャランポランだっただろう」

「え、えー、それはもう。だって私、えー、あの魔獣討伐で、何回死にかけたかわかりませんでしたからね」

「しかし、死ななかっただろう」

 局長の言葉を聞き、私は思い出す。

 視界を埋め尽くすほどの大量の魔獣。その数は無数をすら超えて地平線まで伸び、いかに実力ある開拓者だとはいえ、たったふたりではどうにもならないように思えた。

 だが結果として、彼らは試験を合格して今に至る。

「えー、はい。あのノエルという少女の戦いはもちろん、凄まじいものでした。実際、出現した魔獣の九割九分は、ノエルが片付けた。しかし、戦場にいたのが彼女だけだったなら、あれだけの数の魔獣です。いつか手が回らなくなり、不意を打たれ、『残り一分』の魔獣によって、やられていたことでしょう」

 しかしそうはならなかった。
 なぜなら、

「ノエルにとっての致命となるであろう、『残りの一分』、『最低限の危機』。そのことごとくを、えー、はい。あの男、ドゥーンが……打ち払っていったからです」

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 ……なぜ貴様がここにおる!?

 先ほどまで地上にいて、こちらへ走ってきていた、ドゥーン・ザッハーク。それが今、空中でわらわの「駆無鳥」を、剣をもって打ち破った。

 彼が今、宙にいることに疑問はない。
 闘気法による「残滓」や術式由来の「エアフロー」、あるいはそれらにこだわらずとも、一時的に空を駆る能力を得る方法は、巨大な魔獣を相手取ることもあるこの世界、特に探さずとも、それこそ無数に存在する。

 だから今、わらわが疑問に思ったのは、彼、ドゥーンが、どうして今、この時、このタイミングでここにいて、どうしてこちらの陣を打ち破ることができたのか、ということだ。

 否、打ち破った、などという上等なものではない。

 ただ、陣のひとつを剣に引っ掛け、砕いただけ。無数に展開された陣式呪言の、そのうちのたったひとつを、だ。

 普通であれば、砕かれたとて問題はない。速度を得るための呪言は、それこそ無数に展開していたのだから。

 だがしかし、今このタイミング、この場所においてだけは、都合が悪かった。
 なぜなら、

 ……我が自己支援呪言戦法、その頂点! 最後の一撃! 今この男が砕いたのは、間違いなくわらわにとって、最も重要な一枚じゃった!

 それを、

「お主、見切っておったとでも言うのか!?」

 わらわは、体制を崩し、身に入った速度を殺しきれぬまま、宙をきりもみ回転しながら、ドゥーンへと問いかけた。

 ドゥーンは、手にした鉄剣の重みを肩に預け、やれやれと息を吐きながら、

「まさか。見切ったとか見抜いたとか、そんな上等なモンじゃねェよ」

 ただ、

「ひ弱な上に、怠け者なモンでな。最低限の仕事しかできねェんだわ」

 そうドゥーンが言ったなり、わらわの頭蓋に衝撃が走った。

 それはまるで、大剣の腹で、したたかに後頭部を打ち付けられたかのような痛みだった。

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 俺とノエルが共に地上へと降りると、そこには愉快なオブジェが出来上がっていた。

 憲兵局の演習場、その地面から、肌色をした二本の柱と、その根本を覆う黒色の布地が生えていたのだ。

 というか、脚とパンツだ。

「……生きてンのか、これ?」

「経験則からすると大丈夫だと思う」

 どういう経験だ、と思ったが、そういえばそんなこともあった気がする。あの時は隣にトワイも生えていたが。

 オブジェから声が響いた。

「く」

 オブジェが揺れ、

「く、は! あははははははははははは! いやぁ、負けた負けた! わらわも腕には相当自信があったのじゃがな、こうも完膚なきまでにやられるとは、思ってもみなかったわい!」

 何か楽しそうな様子は伝わってきたが、上半身が地面に埋まっているせいでくぐもってよく聞こえない。

「ノエル、先に引き出してやろう」

「腸を?」

 殺意をしまえ殺意を。

 どうにか俺が説得すると、納得してくれたのか、ノエルはトコトコと前に出て、翼人の女の右足(推定)を、がっしと掴んだ。

「お、引き出してくれるのか? いいぞいいぞ、良きにはからえ。しかし、無理に引き出すとおそらく、翼が傷つくゆえにな。もう片方の足も掴んで垂直に引き出してくれることを推奨する」

 何やら偉そうだが、仕方がない。
 俺も前に出て、左足(推定)を掴み、

「せェー……」

「のっ!」

「あいだだだだだだだだだだだだ、ま、股が! 股が裂ける!」

 垂直に、と言われたのにどういうわけかノエルが足を手前に引っ張ったため、翼人の両脚が「L」字を描いた。

 それでも俺たちはどうにか、力任せに翼人の体を地面から引き抜いた。

 翼人は股を押さえて地面にへたり込み、目尻に涙を浮かべながら、抗議の視線を俺たちに送ってくる。

「あいったー……お主ら、ちょっと加減ってモンがな? そういうのないのか? なあ?」

「うるっせェな。ンなモン着けてるようなヤツに、遠慮なんかできるかよ」

 そう言いながら俺は自分の右耳に触れ、翼人が右耳に着けているピアスを、間接的に指し示す。

「いや、それもおかしいじゃろう。これ、わらわはあまり実感ないんじゃが、この国においては貴人の証じゃろうが。それもただの貴人じゃのうて、王族じゃ、王族」

「何せ俺たち、王族にはいい思い出がないモンでな」

 そう言った俺に賛同するように、翼人の隣にしゃがみ込んでいたノエルが、うんうんと首を縦に振った。

 翼人が言う。

「はぁ、そう言うモンかのう。不敬罪とかないんか、この国」

「俺はお前に会ってねェし、お前はあの部屋を訪れてねェ。そういうことにすれば、不敬罪は成立しねェ」

「手段は聞かん方が良さそうじゃなぁ……」

 俺の言葉に納得したのかしないのか、翼人はそう言って、手足を投げ出し、地面に大の字に寝転んだ。

「で、お前ェは誰なんだ?」

「わらわはお主に会ってないのではないのか?」

「そういうことにするつもりだったンだが、どうにも様子がおかしいンでな」

 耳につけたピアスを見るに、この女が「王家」に連なる者であるのは、どうやら間違いがない。
 しかし話を聞くに従い、どうにもそのあたり、複雑な事情がありそうなことを、俺は察し始めていた。

「ま、いいじゃろ。どうせ話すつもりじゃったし」

 そう言うと翼人の女は、寝転んだままこちらに視線を向けてきた。

「確かにわらわは、王家に連なる血筋のものじゃ。しかし今は、生家を勘当された身でな。このピアスも、おしゃれアイテム以上の意味はない」

「じゃあなンでそんなモン着けてんだよ……」

「言ったであろう、おしゃれアイテムじゃ。意匠が気に入っておる」

 マジで言ってそうなのが手に負えない。

「だから、わらわは王家とは無関係じゃ。ゆえに実のところ、貴様らに襲われるいわれもなかった、というわけじゃな」

 だとすればあの破壊、統括局の四階は砕かれ損か。局長も大変だ。
 しかしここまで聞いて気になるのは、

「だったらお前ェ、どうしてウチのギルドの部屋に来た? もっと言えば……」

 彼女が使っていた、翼の色をごまかすための「幻視香」。

 それは、俺がかつて「あの人たち」の下にいた際、翼人の体質に合わせて調合・独自開発した、化学薬品の一種だ。

 幻視、などと魔術式を連想させる名をつけたが、要は翼につけるためのカラーリング剤だ。材料が少々特殊であるため、見るものの視覚に介入し、見破りにくくするための工夫が凝らされてはいるが。

「幻視香、か。それはお主……わらわが翼人で、それを使っていることを考えれば、おのずと答えは出るであろう?」

 まさか、と俺は思う。

「わらわがお主のギルドを訪ねたのはな、このピアスと、この翼と、そしてわらわが預かっている『あるもの』に関係しておる。本当はな、『最強のギルドに渡せ』などと言われておって、ゆえに先に『黄昏』を訪ねたのじゃが……ううむ、お主がギルドを離れておったのは、完全な想定外。師匠からは、お主を頼れ、とも言われておったがゆえに、な」

 ピアス。翼。師匠。

 そして、彼女がもつという、「あるもの」。

 再び俺は、まさか、と思う。

「だがまあ……お主が新たなギルドを作っておった、というのであれば、是非はない」

 翼人は、よっせ、と言いながら上半身を起こし、改めてこちらを見上げ、そして言った。

「わらわの名は、レイチェル。レイチェル・スターオリオン。『かの家』の生まれにして、『王家』の血を継ぎ、そして『不滅の魔女』が一角、『神速』の二番弟子である」

 どうじゃ?

「わらわは、お主の欲しがるものを持っておる。……お買い得じゃとは思わんかのう?」
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