神代永遠とその周辺

7番目のイギー

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#24 庸子 ―独白[上]―

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 今日という日をなんと例えればいいのか。とにかく濃い一日、としか今は言いようがない。あの時、彼女を見つけていなければ、こんな濃くて有意義な日はなかったと私、中見なかみ庸子ようこは思うのだ。

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 始業式、新たなクラスメイトが集う二年生の教室の隅の席に――彼女はいた。

 窓から差し込む陽光がそう感じさせたのか、彼女はどこか『他の誰とも違う雰囲気』を全身に纏っているように見えた。一方でクラスメイトたちは、

「また同じクラスだねー」
「私のこと知ってるんだ!」
「あーちくしょうあの子と同じクラスがよかったー」

 といった、多様な会話を各々が交わしていたが、彼女は違った。ただ静かに自分の席に座って、なにか黙々と書いている。いや、描いていた。あまり凝視するのも失礼だろう、少し離れて様子を窺うことにした。
 時折何かを考えるように捻り、そして左右に小さく緩々と揺れる頭。よく見れば耳にはイアフォンが差し込まれていたから、たぶんミドルテンポの音楽を聴いてるのだろう、と私は推測した。
 そして手にある細長いものは茶色の色鉛筆。それが止まることなくスケッチブックと思わしきものの上で滑らかに、そしてシャッ、シャッっと小気味良い摩擦音を奏でていた。

 気づけば私は彼女に釘付けだった。座っていたからその時は分からなかったが、同性の私が見惚れてしまうほどのスタイルの良さを彼女は有していた。手足も長く、髪色は微かに茶色を帯び、肩甲骨ほどの長さのそれは風に任せるドレープのように嫋やかに揺れる。そして顔つきも、どこか東洋人のそれとは明らかに異なっていて、国籍不明と例えるのが最適解な面差しだった。非常に女性として魅力的に私は映ったが、ただひとつ残念だったのは髪の艶だったこと。それさえあれば完璧だったのに。

 やがて担任の教師がやってきて、ホームルームとともに自己紹介が始まった。

 ウケを狙って外す男子、承認欲求駄々漏れの女子、淡々と必要最低限のことしか言わない男子、どうでもいいことばかりで肝心な名前を言い忘れる女子。

 それも個性かと割り切って、一応聞き逃さないように耳を集中させていた。このメンバーで一年間、顔を合わせて勉強や学校行事などをするのだから、名前と顔を一致させておくのは私にとって有益なことなのだ。

 自己紹介は、やがて彼女の番になる。彼女を知る最初の情報を、私は聞き逃さないように耳をそば立てたが、彼女の声量の儚さに全てを聞き取ることができず、どうにかそこで得られたものは『神代かみしろ永遠とわ』という名前のみだった。

 そして私の自己紹介になり、クラスメイト全員に聞こえるほどの声量で、

「中見庸子です。一年間よろしくお願いします」

 と、簡単に挨拶を済ませた。クラスの視線が私に集まると、分かってはいたが、なにか物珍しいものでも見るような顔つきに変わり、ざっと見積もってもその数は半数以上を占めていた。

 その原因は自覚している。それはこの丸いメタルフレームの眼鏡だ。

 自分で言うのは面映ゆいが、所謂『美人』というカテゴリに属していると言われることが多かった。そのせいで、中学生の頃はそこそこの数の男子生徒に告白されたものだ。ただ当時の私は恋愛ということに興味が向かず、何度も告白を断り続けていた。
 細かな経緯はさておき、この容姿で私はそれまで大事に思っていた友達から一方的に罵られ、挙句平手打ちを受けた。顔なんて生まれつきだから私にはどうにもできないのに、どうしてこんな辛い目に遭わなくてはいけないのか。こんな容姿、私には不要なものとすら思うようになった。

 手っ取り早くこの忌々しい容姿をカモフラージュするために、年頃の女性には似つかわしくない丸眼鏡という仮面を付けた。

 だから、『物珍しいものでも見るような顔つき』をされた時点で、私の目論見は達成できていた。

 だが、彼女は違った。私と視線が合うと、少し間を置いてわずかに微笑んだのだ。まるで『大丈夫だよ』と子供を宥める母親の顔のように。そう私の目には映ったのだ。

 見透かされたなんて言葉の外にあるその微笑に、私の仮面は僅かに綻びを覚えた。

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 こうなることはわかっていたが、やはりクラス委員の推薦という押し付けをされてしまった。一年生の時にクラス委員の経験のある者が私しかいなかったのと、眼鏡=真面目、という黴の生えた価値観がそうさせたのだろう。
 こういうと愚痴に聞こえるかも知れないが、実のところクラス委員というものは、面倒とは思う反面、嫌ではなかった。内申にもいい影響はあるし、こんな見た目眼鏡でも頼りにされるのは自分にとって糧になり無駄にはならない。だから、私は『人望のあるクラス委員』を演じる。この丸眼鏡と。

 意外とクラス委員という役職は仕事が多い。ホームルームの仕切りやちょっとしたいざこざの仲裁、つまり『人が嫌がる仕事』が主だが、それも私の役目だ。
 クラス委員として最低限の仕事を卒なくこなす毎日。その中で唯一大変だと感じていたのは『クラスメイトから授業のノートを集めて担当教諭の元まで運ぶこと』だった。
 数が貯まるとノートというものは意外と重く、しかもこの教室から職員室までは遠いから、着いた頃には軽く汗ばむくらいの運動量になる。

 今日もまたノート運び。しかも午後最後の授業のだから、運ぶのは放課後ということ。クラスメイトはぞんざいに教卓に放り投げてさっさと帰ったり部活に向かったりで、気づけば数冊が床に散らばる始末。教卓にきちんと置くくらい小学生でもできるでしょ、私だって早く下校したいのに、と心で悪態をついてはため息が漏れそうになる。

「手伝ってもいいですか……?」

 ため息の隙間を縫うようにたどり着く、でも小さな声。

 振り向くと、彼女がいた。
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