神代永遠とその周辺

7番目のイギー

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#53 庸子 ―独白[手紙]―

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 昨日のお泊まり会から一夜明けた日曜日の正午近く。
 彼女――神代かみしろ永遠とわと私は、最寄駅の構内にいた。

 風通しの良くない休日の構内は喧騒著しく、少し声を張らないと互いの声は聞き取りづらい。
 足元からは、滑り込む列車の唸り軋む振動が伝わってくる。

「永遠さんはこれからどうするの?」
「ちょっとお買い物に行こうかなって」
「そっか。気を付けてね。じゃあまた明日」
「うん。ヨーコさんも気を付けてね。また明日」

 私はこの駅から下り電車の二つ先が自宅の最寄駅。対する彼女は「お買い物に行く」と言って上り電車のホームへと足を向け、少し大きめのストライドで髪を揺らし歩いていった。階段間際でこちらに振り返り、胸の辺りで小さく手を振る彼女に同様の仕草で返してから、ホームへの下り階段に足を踏み出す。

 今回のお泊まり会。私は彼女の一端に触れることができて、非常に有意義なものとなった。

 彼女の優しさ、そしてその美麗な見た目に反した茶目っ気溢れた可愛らしい部分に幾度となく触れ、彼女の魅力をさらに知ることができたのだ。

 そして何より驚いたのはのことだ。

 父親は著名な――それこそほぼビー◯ルズとその系統の音楽とクラシックしか知らない私でも耳にしたことがある――ミュージシャン世界的ギタリスト、ジョー・アイヴァーであること。
 彼女本人も同様にギターを演奏し、父親譲りの技量だったこと。
 彼女の眼も父親のそれを受け継いだ綺麗な翠で、地毛もブロンドだったこと。

 もちろんそれ以外にも、母親がとても若かったり、それに伴って祖父も若々しかったり、自宅が信じられないくらい大きかったりと、思い起こせばキリがないが、つまりは彼女のすべてが私にとって驚きの塊だったのだ。

(それにしても永遠さん、何を描いてくれたのかなぁ……)

 今、手にしているのは、ほどほどの大きさのプレゼント。もちろん彼女本人が描いた絵で、家で見てねと念を押されてもらったものだ。
 華美な包装紙ではなく、逆にどこで買ったのか疑問になるくらいに地味なブルーグレーのそれを、開けたい衝動と戦いながら何度も指先で撫でていれば、電車はもう最寄駅に到着していた。

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 特に駅周辺に用事もなかった私は、少し急ぎ足に家へと向かう。
 もちろん彼女からのプレゼントを一刻も早く確認するためにほかならないのだが、自分でも信じられないほどの速度を出していたようで、気づけば家の前に到着していた。

 家人への挨拶もほどほどに、自室のある二階へと駆け上がる。

 私の自室、というよりこの家全体がそうなのであるが、私の住むこの家は、彼女の家とは違い、完全な和風家屋だ。築も古く、この界隈では一番古いのだそうだ。古民家とまではいかないまでも、そこそこ立派な家だと言われている。聞けば市の文化財とすることも検討されているらしい。

 もちろん私の部屋も、基本に忠実な和室で、畳敷きの八畳間。

 なにせ『床の間』まで完備されていて、本来ならここには掛け軸や生け花なんかを飾るのが正しいのだが、私は額装した『アビー◯ード』のジャケットを掛けていた。ほかにもシンプルだけどお洒落――もちろん自分の主観だが――なカーペットを敷いたり、壁には自分で撮った写真のうち、特に気に入ったものをプリント・額装したものや、通販で買ったビー◯ルズのポスターを貼ったりしている。

 つまり少しでも『和室感』を誤魔化そうと、色々工夫しているのだ。
 決して和室が嫌いなのではなく、少しでも『年頃の女子高生らしい部屋』にしたいだけ。

 そんな自室で着替えを始めてハッと気づく。
 彼女が用意してくれた上下揃いの下着。それはいいのだが、それに着替える前の、つまり家を出る時に着けていた下着を置いてきてしまったのだ。

 これは私らしくない痛恨のミスだ。
 しかしながら今頃彼女はお買い物をエンジョイしているはずで、それを邪魔するようなメッセを打つのは無粋だと結論づける。

 明日にでも学校で話せばいいかなと判断した私は、スマホをベッドに投げ捨て再び着替えに戻った。

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 ガラスのローテーブルに置いた彼女のプレゼントを前に正座をして麦茶を一口啜り、心のざわつきの沈静化を試みる。

 意を決して、丁寧に包装紙を破かないよう、時間をかけて開封すると、一通の封筒がはらりと零れ落ちた。

傭子ようこさんへ】

 と、女性らしくも丸っこくはない、彼女そのものを体現しているかのようなスマートで少し右上がりの文字。私は彼女の絵と同じくらい、彼女の書く字に好感を持っていた。何しろ読みやすいし、うまくは言えないが彼女の字は『媚びていない』のだ。かと言って堅苦しい印象はどこにもないという、私でも真似したくなるくらい魅力に溢れた字面なのだ。

 一度彼女にそのことを言えば、

「私はヨーコさんの字も、ヨーコさんそのものって感じで大好きだよ」

 と、臆面もなく褒めてくれた。私の書く字は堅苦しい教科書のようで、正直好きではない。好きでもないそういう字をなぜ書くのかといえば、一言で言えば『誰にも嫌がられない』ようにするためだった。『自分という人間のイメージ戦略』と言い換えてもいい。でも彼女はそれを『私そのもの』と言った。彼女の言葉はいつだって私を解きほぐしてくれる気がして、顔もつい綻んでしまう。

 【庸子さんへ】

 たった五文字でここまで思いが巡るなんてと苦笑しながら、まずはその封筒を開け、やはりシンプルな便箋を引き出した。


 ヨーコさん 今日はありがとう 
 とても楽しくて一人ではしゃいでしまったかもしれません
 この絵は 久しぶりに気合いを入れて描きました
 ヨーコさんのお部屋の一部に溶け込んでくれることを願っています
 でも実はこの絵にちょっと嫉妬しています
 だって私より先にヨーコさんのお部屋に入れるんだから!
 今度は私もヨーコさんのお部屋に招待してくれたら嬉しいです とわ


 なんて可愛いことを書くんだろう彼女は!
 絵に嫉妬するなんて面白いなとつい笑ってしまった。

 もちろん彼女を招待するのは吝かではないが、いかんせんあの大きくお洒落な彼女の家を思い出すと気後れしてしまう。でも彼女には私をもっと知ってほしいから、覚悟を決める。

「なら、少し部屋を片付けないとダメよね」

 と一人ごちながら、ようやくメインである『彼女が私のためだけに描いてくれた絵』がくるまっている包装紙に手をかけた。
 ぺりぺりとクローバー柄のマステを慎重に剥がして、これまたセンスのいい額縁の端を摘んで、一気に引き抜くと――

「! す、すごい……素敵……」

 第一の感想はこうだった。だが、よくよく見ていくうち、どんどん顔が熱くなってくるのを自覚する。

「す、素敵だけど……ちょっとこれ冷静に見ると恥ずかしい……もう、永遠さんったらなんてもの描くの!」

 そこに描かれていたものは。

 黒一色で描かれた二人の人物がキスをしている絵。
 右には私の好きなジョ◯・レノン。
 左には。
 本来なら彼の妻であるオノ・◯ーコなのだが、この絵には。

 目を閉じてジョ◯のキスを受け入れる私が描かれていた。
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