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アル村編

第八話 雪の日の朝

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 ――雪が降ってきた。
 昨晩、夜更け過ぎに降り始めたそれは朝、目を覚ます頃には世界を白銀に染め上げていた。木造の民家が並ぶこのアル村も、茶から白へと、その景色を変える。朝日に照らされた世界は光り輝き、まるで天からの祝福を授かったような気分になった。

 こんな考え方をするようになったのは、やはりここでの生活のため、だろう。
 元【スライム】の俺でも、多少なりとも【人間】の考え方が身についてきている、ということだった。何故なら【スライム】の時には雪を見ても何も感じなかったからだ。それによってもたらされる恩恵に感謝もしない。いや、そもそもそんなところに考えを回すなど、あり得なかった。

 きっと、ロマニさんとクリムも、俺と同じ気持ちだろう。
 そう信じて、俺は自分の部屋を出た――

「……あー。おはよ、スライくん」


 ――ところで、物凄くテンションの低いクリムに遭遇した。


「お、おはよう……」
「……うん。今日から大変だよー。がんばろーねー……」
「………………」

 可愛らしいパジャマにボサボサの髪。
 そこまでは、まぁ見たことのある姿であった。だがしかし、あのように半眼でこちらを睨むようなクリムなど見たことがない。明らかな殺気と、嫌悪感を丸出しに朝の挨拶をする彼女など、見たことがなかった。
 だから、俺は思わずその後ろ姿を見送る。ただ呆然とアンデッド――【ゾンビ】のように歩行する背中を、見つめているしか出来なかった。

 さて。
 そうしていると、だ。

「よぉ……スライの坊主」
「ひぃっ!?」

 今度は背後から、地を這うように低い声がした。
 耳元で聞こえたそれの主は、一人しかあり得ない。この家の家主であるロマニさんだ。ハッとして振り返ると、そこにあったのは鬼の形相――静かにいかる【オーク】そのもの。いいや、この迫力は初めて【魔王】のそれを見た時に匹敵するほどのモノであった。
 服装は、クリムのようなパジャマではなく、完全防寒のそれ。そして、彼は無言で俺にもう一着、温かそうな服を差し出してきた。反射的に受け取ると、彼はニヤリ、とほくそ笑む。

「さぁ、坊主――覚悟は出来てるだろうな?」
「か、覚悟って……?」

 俺は、思わず声を震わせながらそう尋ねた。
 するとロマニさんは再び、低い声で、今度は悪魔族――【デーモン】のようなそれで、くっくっく、と笑ってみせる。そして、俺の肩をがっしりと掴み、こう言った。


「雪かき、だよ」――と。


◆◇◆


「さぁ、今年も気合を入れていくぞ! いいかぁ! 野郎共!!」
「おーっ! ……って、お父さん。アタシ野郎じゃないよ!」
「……何なんだ、このノリは」

 俺たちは、ブラウン家の前にこんもりと積もった雪と対面しつつ、団結式らしきことをしていた。高々と声を上げたロマニさんにクリム。二人とも、先ほどまでのローテンションはどこへやら、謎なハイテンションで事にあたっていた。
 俺はその波に乗り損ね、ただ流されるままになり、ぐったりとしている。

「なぁ、クリム? 雪かきって、そんなに大変なのか?」

 こっそりと、隣に立つ少女にそう尋ねてみた。
 すると、ゆっくりとした動きで彼女はこちらを振り返り、沈んだ声でこう言う。

「あぁ、そっか……スライくんは、初めてだったね――」

 そして、遠くを見つめてこう続けた。

「――最初は、楽しいんだよ? 途中で雪合戦したり、ね。でもね、年を重ねるごとに、だんだんと……恨めしくなってくるんだよ。ふふふっ」
「そ、そうなんだ……」

 俺は不敵な笑い声を発するクリムに、そうとしか返せない。
 だが、とにもかくにも、だ。これをやらなければ、【人間】の冬の過ごし方は分からない、ということだ。それならば、やってみるしかないだろう。
 ――そうと決まれば、気合を入れねば!

「よ、よしっ……頑張るぞ!」

 そう思い、俺は拳を強く握りしめる。


 ――こうして。
 俺と雪との初めての闘いが始まった――

◆◇◆

 ――そして、三日後。

「きょ、今日も……か……」

 俺は、早くも音を上げていた。
 肉体的に厳しいのかと聞かれたら、そうではない。何せこの肉体は【魔王】の力をもって作り出した【不完全なる創造】であるからだ。身体能力に関しては、普通の【人間】の数倍――いいや、数千倍はある。
 では何故、このような状態になっているかと言うと、だ。

「毎日、毎日……変化のない作業……」

 そう。そうなのだ。
 毎日同じ場所を、同じ量の雪を別の場所へ移動させる。その単純作業とも思える肉体労働が、俺の精神を徐々に蝕んでいっているのであった。よく考えたら、【スライム】時代はそんなに雪の降らない地域で暮らしていたから、こんな苦労があるなんて知らないまま。随分と気楽に生活していたもんだ……。

 しかし、こうしてやって分かったこともある。
 雪は確かに恩恵でもある。だが同時に【人間】の生活においては、雪があっては邪魔となる場合もある。何気ない毎日の流れを守るために、彼らは自然と折り合いを付けて暮らしているのであった。
 そのことを知れたのは、ここにきて知れたことの中でも良かったことだ。

「さて、それじゃあ……今日も頑張りますか!」

 ――と。
 まだ少し早いが、俺は気合を入れ直して立ち上がった。
 きっと今、下に行ったとして、いるのはロマニさんくらいだろう。だけどもここは一つ、やる気を見せておいても悪くはない。それにあれだ。日頃、お世話になってるわけだしな……。

 そう考えて、俺は階段を下りて一階へと向かう。
 すると――

「あ、やっぱり……」

 ――思った通り。
 リビングにはロマニさんの姿。
 俺は朝の挨拶をしようと考え、声をかけようと――

「隠れてねぇで、出てきやがれぇ!」
「――――っ!?」

 ――した、その時だった。
 彼が玄関の方へと向かって、怒声を発したのは。
 俺は、反射的に身を隠してしまう。そして、覗き見るようにロマニさんの姿を確認した。するとそこにあったのは、普段の彼とは真逆。それこそ、鬼神の如く――いいや。

 きっとあれが――盗賊としての、彼の顔だった。

 荒くれ者の中に身を投じて、その中で生きてきた。
 命のやり取りをしてきた男の、隠しきれない闘争心。それが、そこにあった――

「……ちっ、またか。殺気だけで、喰いかかってきやしねぇ」

 ――だが、それはふと解かれる。
 すると、そこにあったのは昨日も一緒に過ごした彼だった。

「ロマニ、さん……」
「ん? おぉ、スライの坊主か。今日は早いな」

 少し迷ったが、俺は意を決して声をかける。
 ロマニさんはこちらを振り返ると、さも何事もなかったかのように答えた。――が、しかし。俺の表情を確認すると、再び険しい雰囲気を身にまとった。

「さっきのって、まさか……」
「……あぁ。その、まさか、だよ」

 そして、俺の問いかけにうなずき、そう言って同意する。

「盗賊ギルドの、追っ手……ですか」
「だろうな。それ以外に、あんな殺気を向けてくる奴らなんて、俺も身に覚えがねぇ――わけじゃねぇが、ほぼ間違いねぇ」

 彼は途中で冗談めかしたが、その表情は変わらず硬かった。それは自身の命を狙われているからか。それとも、それ以外か。俺は、それを聞いてもいいのかどうか、迷ってしまった。

 しかし、その答えは――

「……なぁ。坊主」

 ――想定外に。
 彼の口から、もたらされた。


「もし、俺の身に何かあったら――クリムのことを頼んでもいいか」



 ――それは、とある早朝の出来事。
 降り積もる雪は、まるで過去の因縁を示すかのように――






 ――俺はただ、心臓の動きが一段速くなるのを感じていた――。


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