近未来怪異譚

洞仁カナル

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遺伝子改造

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風を携えて現れたのは猫又だった。



茶色の毛、鋭い牙、荒々しい身体。



こんな時にまで現れるなんて。



どうしよう、猫又に食べられるか、絡新婦に食べられるか。



どちらにしても同じだ。



僕の助かる道はない。



でも、諦めようとしてもどうしても生きていたいと願ってしまう自分がいる。



涙が止まらない。



誰か、助けて。



涙で霞んだ目で猫又を見た。



猫又は跳躍しようと身体を屈めていた。



地面を蹴り、勢いよく飛び上がった猫又が飛びかかったのは、僕ではなく絡新婦の方だった。



猫又の勢いが空気を振動させた。



しかし猫又の爪があと数センチで絡新婦に届くというところで、猫又も同様に糸でからめとられてしまった。



もしかして、助けようとしてくれた……?



宙吊りにされてもがく猫又を見ていると、彼もまた僕を見た。



青く澄んだ湖のような目。



この目はもしかしてーー



「スルガ……?」


僕が呼びかけると、答えるように猫又はガウと鳴いた。



「スルガ!」



こんどは大きな声で叫んだ。


それに呼応するようにスルガも吠えた。


こんな形で再会するなんて。


今までどこに行ってたの?


その姿、どうしたの?


聞きたいことがいっぱいあるのに。



もっと早く気づいていればよかった。


再会が死ぬ直前なんて、嫌だ……



「煩いねエ、邪魔だねエ。人間の方が好みだけど、この獣からいただくとするか」


スルガが絡新婦を威嚇するように吠える。


しかしそれは強がりでしかなかった。


「やめて! スルガに手を出さないで!」


僕は出せる限りの大声で叫んだ。


しかし僕の声は届かない。


絡新婦は鼻で笑っただけだった。


絶望が僕を支配する。


目の前で大切な家族が食べられるのを、見ていることしかできないなんて。



絡新婦がスルガに手を伸ばした瞬間、閃光が走った。


眩さに目を一瞬細め、再度目を開けたら、スルガをつるしていた糸が燃えていた。糸はプツンと切れ、スルガはそのまま地面に落ちた。



「いたいた!  龍兄りゅうにい、セーフだよセーフ!」



「おーおー、またずいぶん好き勝手暴れてくれてんなー」



現れたのは先ほどの中学生と、この間学校に現れた高校生だった。



中学生の傍らには黒々とした体格のいい熊が、高校生の足元には神々しく輝く銀色の狐が寄り添っている。



「アンタたち、何だい? 邪魔するんじゃないよ!」



食事の邪魔をされて腹が立ったのか、絡新婦は激しい憎悪を帯びた目つきで二人を睨んだ。



「そう言われても、人間に危害を加える妖怪を見て黙っているわけにはいかないしなー」



高校生が腕を組んで答えた。


気だるそうにしているが、二人の目は本気だった。



「そうかい、アンタたちも食べられたいンだね」



怒った絡新婦は両手を前に出した。



「まずはこっちから」



放出される太い糸は、中学生の右足をからめとり、いとも簡単に逆さ吊りにした。



しかし中学生は慌てる様子がない。



「次はアンタだ」



絡新婦は高校生を睨みつけた。



高校生は周囲を見渡した後、険しい顔をした。



「随分人を殺したんだな」


「殺しちゃ悪いのかい?」


「わざわざ子蜘蛛を使って誘き寄せてまで」


「それが楽しいんだから仕方ないサ。アンタも嬲り殺して喰ってやるよ」



激しい睨み合いの末、動いたのは高校生だった。



 暉狐きこ



高校生が呼びかけると、傍の狐がキュウンと鳴いて前に出た。



違う世界にいるようなあまりにもゆったりとした動きが、逆にこの場を張り詰めさせた。


絡新婦が迎え撃とうと手を伸ばした瞬間ーー



狐が何かをしたわけではないのに、絡新婦の脚の一本が捩じ切られて地面に落下した。



瞬きなんてしていなかったのに、狐の動きを捉えられなかった。



いや、狐は全く動いていない。



叫ぶ絡新婦。


状況が理解できない。



「あれ、神通力ってやつ」



僕が混乱しているのを見て、ぶら下がっていた中学生が教えてくれた。



「とりあえず気分が悪くなったからそろそろ降りるかな」


中学生が呪文のようなものを唱えると、絡みついていた糸がブチブチと細かく切れた。



くるりと回って着地する中学生。



火丸ひのまる、糸を燃やせ」



中学生が熊に呼びかけ指令を出すと、熊は火の玉を吐いた。



火の玉は僕たちに絡みついていた糸を燃やしてくれた。



糸が切れ、落下する僕達。



地面に着地する前に、地面の少し上あたりに光のネットが張られてそこに落ちた。


中学生が人差し指と中指を立てて何か唱えると、すっと光のネットが消え、無様に着地した。



熊はさらに大きな火の玉を吐き、その炎はわたげ達子蜘蛛を燃やし始めた。



騙されていたとはいえ、一時でも家族で会ったわたげが燃える姿に心が痛んだ。



「ボルボ……」



奨君が小さな声で囁いた。


泣いているようだ。


僕は奨君の肩をさすった。


僕も涙を堪えて歯を食いしばった。



「よくもあたしの可愛い子どもを!」



絡新婦の脚は全て折られていた。



血の涙を流して苦しむ姿は哀れだった。



「皆解放したな。よし」



高校生は呪文を唱え始めた。



少しずつ狐がまとう光が強くなっていく。


目を開けていられないほど眩しいが、この戦いを見届けたい気持ちの方が強かった。



「お前ら! アタシが妖怪だってだけで殺そうとするのかッ!? もともとは人間がアタシを生み出したのに!」


絡新婦が叫ぶ。


「別に人間に危害を加えないなら何もしなかったさ。でも、人間を喰おうとしているんだったらそれは対処しないといけないだろ。あんただって自分に危害を加えてくるようなやつがいたら殺すだろ?」



高校生は近くで転がっているスルガを指さして言った。



高校生が助けてくれたのか、いつの間にかスルガを拘束していた糸はなくなっていた。



スルガは絡新婦に飛び掛かりたそうにしていたが、高校生が待つよう指示を出しているのか、行動には移さなかった。



「目を瞑っていた方がいいよ」



高校生はそう言った。


しかし好奇心が抑えられず、瞬きをして見逃してしまわないよう、瞼に力を入れて目を見開いた。



「暉狐!」



高校生が呼びかけると、狐がひと鳴きした。


空気が波立つのがわかった。



翔生達は目を固く瞑っていたが、僕と奨君はこの二人と絡新婦の戦いから目を離せなかった。



絡新婦の身体はどんどんねじれて、関節がありえない方向に曲がり、苦痛の声を上げていた。



「やめろおおおおお」



絡新婦の悲鳴が響く。


耳の奥に深く刻まれるような音に、身が震える。



きゅうん、と狐は声をあげた。


すると絡新婦の首はねじ切れ、地面に落ちた。


その恨みと苦痛に満ちた表情を僕は忘れることができないと思う。



「火丸」



中学生が声をかけると、熊が前に出て、火を吹いた。


その火が絡新婦の亡骸を包み、絡新婦は跡形もなく消え去った。
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