近未来怪異譚

洞仁カナル

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社会的不公正

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「煌、奨! 自由に空を飛んでみないか?」



 翔生君は転げ落ちた僕を起こしながら言った。


 その顔は頬が紅潮していて、興奮の色が見て取れた。



「安全に空を自由に飛ぶ技術はまだ出てないよ」


「宗教?」



 奨君と僕は思ったことをそのまま口にした。


 正気とは思えない発言に、ただただ呆れてしまう。


 突拍子のないことを言うのは奨君だけで勘弁してくれ。



 絡新婦事件の後、僕達と翔生君達は何故か仲良くなった。


 翔生君が僕達のことを馬鹿にしなくなり、よく話しかけてくるようになったのだ。


 僕達にしてみれば思うところはあるけれど、だからといって拒絶するのも違和感があったので、話すようにしていたらいつの間にか打ち解けたのだ。


 そして翔生君は、奨君に負けず劣らずのオカルトマニアになっていた。


 定期的に超常現象などについての議論を奨君と繰り広げている。


 その話題について、嫌いではないが二人ほど好きではない僕は、二人のやり取りを辟易しながら聞いていた。


 勝手に二人で盛り上がってくれているから楽と言えば楽だが。



 僕達の言葉を受けて、翔生君はにやりと笑ってチッチと舌を鳴らした。



「それがよー、簡単に飛べちゃうんだな、これが!」



 翔生君の鼻息がどんどん荒くなる。



「「どうやって?」」



 僕と奨君の声が重なる。


 そんなに簡単に空を飛べるならニュースになっていてもおかしくはないだろうに、そんなニュースは見ていない。


 ウイングスーツなど空を飛ぶ技術の開発は全世界の企業で進められているが、家庭用として使えるまでには至っていないはずだ。


 それが開発されたのであれば、メディアに大々的に取り上げられて、テレビはその話題で持ちきりになるだろう。


 まあ昨日のニュースはあのニュース一色だったから、まだ報道されていないだけかもしれないが。



「幽体離脱をすればいいんだよ!」



 僕は嫌いな食べ物を口に突っ込まれたように顔を顰めた。


 突拍子もない事を言い出したな、と僕の身体が軽く拒否反応を起こす。


 また面倒な話を聞かなければいけないのか。


 訳のわからないオカルト話は食傷気味なのだ。


 幽体離脱は、魂が身体から出てしまうという現象のことだ。


 よく死にかけて助かった人が体験したりするらしいが、詳しいことは僕は知らない。


 身体が軽くてめちゃくちゃ気持ちいいという話は聞いたことがある。



「そんな簡単にできるもんじゃないでしょ?」



 奨君は唇を尖らせて翔生君に尋ねた。


 僕と違って彼は真面目に聞いているようだ。


 一方僕は小さくため息を吐いた。


 奨君の言うとおり、幽体離脱は簡単ではないはずだ。


 たまたま体験したとか、時間をかけてできるようになったとか、ごく一部の人しか体験してない。


 そんな簡単にできるのであれば僕だってやってみたい。



「狙ってやるなら長い訓練とか修行が必要でしょ?」



 翔生君は重大発表でもするようにもったいぶって言った。



「それができるんだよ」


「翔生君は特別な道具を持ってるからできるんだよ」



 翔生君の取り巻きの一人、 大池だいち君が横から言った。


 余談だが大池君の名前は最近覚えた。



「これよコレ」



 翔生君は肉付きの良い右腕を僕達に突き出した。


 僕と奨君の木の枝のような腕二本より太い。


 その手首にはスマートウォッチのようなデバイスがついていた。


 黒いベルトに黒くて丸い液晶、アンテナのような細長い金属の棒、液晶の上部には丸い黒とグレーが混ざり合ったような色の石が付いていた。


 左手にウェアラブルタイプのスマートホン、右手にそのデバイス。


 両腕がつかれそうな装いだ。



「これをつけたまま寝ると幽体離脱できるんだよ」



 僕と奨君は液晶画面で波打っている線を見ていた。


 何かのグラフだろうか。



「スイッチを入れると特殊な電波が流れるんだよ」



 得意そうな顔で翔生君は話す。



「特殊な電波って何?」



 奨君が聞く。


 奨君はこういう曖昧な表現を許さないのだ。



「特殊な電波は特殊な電波だよ」



 奨君の質問に気分を害したのかそれとも無知がバレるのが嫌なのか、翔生君は顔を少しだけ顰めた。



「このアンテナで波動をキャッチして幽体離脱させてくれる。そして戻る時は戻りたいって頭で考える。するとこの真ん中のパワーストーンが幽体と肉体を繋げてくれるんだ」


「もうパワーストーンの話はいいよ」



 僕はもうお腹いっぱいだと言わんばかりに顔を背けた。


 パワーストーンの力は前に嫌というほど思い知らされた。


 これ以上の情報を与えられたらパンクしてしまう。


 僕は奨君と違って頭の容量は大きくない。


 そんな嫌な情報で貴重な容量を取らないでくれ。



「その装置、どこで買ったの?」



 奨君が尋ねる。



「道端で合ったおじさんから買った」


「いくらで?」


「値段を聞くのはヤボだろ」



 素直と言っていいのか、浅はかと言っていいのか、翔生君の他人を疑わない単純さに僕は頭を抱えた。


 彼が変な宗教に嵌まらない事を願ってやまない。



「胡散臭い」



 奨君は眼鏡の奥で目を細めて翔生君のデバイスを睨みつけていた。



「今はスピリチュアルテクノロジーが発達しているからな。そのおじさんが言ってたんだけどよ、幽体離脱だって量子力学で説明できるらしいんだよ」


「量子力学で!?」



 奨君の目にギラリと光が宿ったのが分かった。


 奨君は科学も好きだから、科学とオカルトが結びつくということは彼にとって最高に魅力を感じられる事なのだ。


 僕にはまったく理解できないけれど。


 どうやら『量子力学』という目新しい情報に簡単に完全に心を奪われてしまったようだ。



「煌君も聞こうよ! ねえねえ翔生君! 量子力学で幽体離脱をどう説明できるの!?」



 奨君はいつの間にか立ち上がって翔生君の襟元をつかんで揺さぶっていた。


 こうなった奨君は誰にも止められない。


 頭をガクガク揺らされながら翔生君は何とか言葉を口にした。



「詳しいことはわからないけどよ! とにかく簡単にできるんだって!」


「わからないの? なーんだ」



奨君は翔生君から離れて、がっくりと肩を落とした。


 僕は興味がないので椅子の背もたれにふんぞり返って狐の窓を覗いていた。
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