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アンチノック・スターチスの誤算
7.
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画面をタップしようとしていた親指が止まった。圭吾の指の前に立ちはだかる障害など何もなかったが、その目的が果たせないことが画面越しに伝わってきたので仕方がない。余計な電力を消耗しないよう、サイドに設置されている電源ボタンを押した。一瞬で画面が暗くなったことを確認し、スラックスのポケットに収納する。
「電波が立っていませんね」
とりあえず、携帯を取り出しておいて何もしなかった理由を上司に報告した。
「マジか……」
リアクションに溜め息が混じったのは、連絡をとることのできる可能性について、期待半分諦め半分だったからかもしれない。緩やかになっていた足取りが、再び速さを取り戻している。シュレディンガーの猫だった希望が容赦なくゼロになった今、やるべきことは明確にひとつだった。
「だから、駅に着いた段階で一度、烏丸さんに連絡しましょうと言ったじゃないですか」
「だって……ただでさえバスの本数も少なそうだったのに、目の前で出発しようとしてたんだぞ? そんなの、すぐ乗る以外選択肢ないだろ」
「だったら、バスを降りたタイミングで電話掛けるなり何なりできたでしょう」
「その時点で電波悪かったし、アンテナも立ったり立たなかったりだったじゃねーか! 折角ここまで来たんだしさっさと終わらせて、結果報告も兼ねて連絡した方が手っ取り早いじゃん」
パキリ、と枯れた枝の折れる音を足元から拾う。乾いた土にクッションはなく、板の間や石畳を歩いている時のような疲労感が足の裏に蓄積されていた。
「一応出掛ける前にメールで連絡しといたし。地図で見てもそんな遠い感じしなかったし」
「その根拠のない『感じがしなかった』に、ものの見事に振り回されて今こんなことになってるんですけどね……」
急に思い立ったようにそのあたりをぐるぐる円を描くように動いたと思ったら、結局のところ出発地点に戻り気まずそうに笑うなどの謎行動の後、壁に手を伝うように木の幹を支えにしながら歩いている恭介に疲れが見えているのは明らかだったから、心配の裏腹で挙げ足を取るような言い方になってしまった。
「いちいち嫌味言うなよ……あ」
人が通っているからとりあえず道になっている、とでも表現できそうな散歩道を歩いていると、更に下った山道の下、屋根らしきトタンでできた青い板が確認できた。木々で隠れていて全貌は伺えなかったが、どうやら建物が鎮座ましましているようだ。
「あれ……ですかね?」
「方向的には、多分」
答え合わせをしようと携帯を触り掛けて、そう言えば圏外だったことを思い出す。恭介の言うように殆ど正解には違いなかったが、トタン屋根に継ぎ足すようにアクリルの板が繋がっているちぐはぐな屋根で造られたその建物は、店と思える外観ではなく、どちらかというと家屋に近い一軒家だった。
そろそろ見つかってほしい、という意識を覗き込まれたかのようなタイミングでの発見は、降って沸いたラッキーというより気味悪さの方が勝っている。
「……少し様子を見てみますか?」
「そんな余裕ないだろ」
慎重な部下の提案は、呆れたように上司に却下された。太陽に照らされた影の長さから伺える時刻からも、あまり時間がないことはわかっている。
(間違っていたとしても、道を尋ねるくらいはできるか……)
いざなわれているような気がする、だなんて。根拠のない理由は、自分さえ納得させられないのだから仕方がない。
パキリ、と足元で、再び乾いた枝が折れた。
圭吾を引き留める虫の知らせじみたささやかな予感は、頼りなく夕凪の空に消えてしまった。
ドアを開く時の違和感は、敢えて触れないことにした。
結論から言うと、その家は正解だった。外観が民家そのものだったのは、後から始めた居酒屋が思いつきだったから。
自宅のように気を緩めて過ごしてほしいという気持ちが半分と、単純に資金のなさが半分。内装の一部だけをカウンターに改装しただけの簡素な店内は、なるほど確かにお店というカテゴライズにギリギリ入れることのできる程度にはデザイン性のある造りになっていた。
足元に、welcomeと書かれたマットが敷いてあるが、その文字に目立つ劣化は見られない。単純に、踏まれた回数が少ないからだ。足元から正面に視線を動かせば、カウンターの横に旧式のレジが設置してあった。その斜め後ろに配置されたピンク色の公衆電話は、おそらく店内の置き電話も兼ねているのだろう。焦げ茶色のフローリングにはニスを塗った後のようなてかりがあり、左側には何の塗装もされていないドアがある。取っ手の部分に掛けられた「WC」のプレートがなければ、従業員専用の入り口だと勘違いしそうな飾り気のないドアだと圭吾は思った。
店内をぐるりと見回しただけで、発見できる諸悪が幾つかある。それはあらかじめ間違っているところに赤丸がついている間違え探しのような、白々しささえ感じられる味気のなさだった。
「本日は、このような辺鄙なところまでお越しいただき誠にありがとうございます」
カウンターを挟んで、女がゆっくりと頭を下げた。年齢の判別がしにくい、薄い印象の女だった。
「初めまして。ご依頼いただきました、土屋恭介とその部下、紫野岡圭吾と申します」
挨拶下手の恭介の代わりに、圭吾がハキハキと答えた。恭介がペコリと頭を下げるのを待ってから、改めて店内を探るように見渡す。
オレンジの照明が、モダンな空間を作り出している。寒暖色で言うなら「暖」に分類されるはずのその色が生み出す温度は、何故か視力によって判断される室温とのギャップがある。
圭吾は、一番評判の悪いと言われているカウンターに設置されているチェアに座って、実際の居心地を確かめてみた。
「いかがでしょうか」
静かな声で、依頼人が問い掛ける。
「コールドドラフトですね」
圭吾は簡潔に答えた。
用意されていた台詞を読み上げただけのような、迷いのない返答だった。
「どういうことですか?」
「失礼ですが、全て科学的根拠のある居心地の悪さです」
壁に凭れていた恭介は、含みのある顔で黙った。それは、圭吾の推測が是とも否とも取れる曖昧な表情だった。
「まず第一に、カウンター席を用意したことにだいたいの諸悪が起因します。本来自然に流れるはずだった空気に淀みが生まれ、留まる空間を作ってしまっています」
カツ、とテーブルを人差し指でテーブルを叩きながら、設計図を広げた建築家のような口調で圭吾は言った。
「霊気と冷気は、非常によく似ています。どちらも、背中に走ればゾクゾクとして居心地が悪くなりますし……特にこのカウンター、一番奥の、この席が評判悪いのではありませんか?」
「そうですね」
「この席が行き止まりになっています。悪い空気が溜まりやすくなっているんだと思います」
片手で空間を指差しながら圭吾は、座高の高いチェアから長い足を組み、肩を竦めて見せた。
「加えて、ドライフラワーも、あまり縁起の良いものではありません。個人の趣味ならとやかく言いませんが、店舗と呼ばれる場所を飾るには不向きだと思います。『死』のイメージが色濃いんですよ。これも、暗い空気を作り出してしまっている諸悪のひとつです」
「本当に霊の仕業じゃないんですか? トイレの鍵が、勝手に開くこともあるんですよ」
「見たところ、だいぶ老朽化していますね。リホームをされたのは玄関のドアと、カウンター回りだけでしょうか」
「お金がなくて……」
座席から上だけが動く造りになっているチェアをくるりと回転させて、圭吾は軽やかにフローリングに着地した。そのままスタスタと歩みを進め、シンプル且つ味気のないトイレのドアを手前に引くと、内側に設置された錠前の部分が現れる。
「見たところ、旧式の丸落としを使っているようですね。トイレの鍵に過剰な防犯を兼ね備えたロックは必要ないかもしれませんが、この手のタイプは、経年劣化が著しいと思います。バネも少し馬鹿になっているようですし」
人差し指で軽く手前に引いただけで何の突っ掛かりもなく開帳されたそれを見せつけられたばかりだったので、圭吾の言い分には説得力があった。
「ドア全体の修理は難しくても、ドアノブの交換だけでだいぶ改善されると思いますよ」
「そうですか」
女が薄い唇を歪めて笑った。
圭吾はそこで初めて、その空間で一番の違和感に気付く。女の声は始終落ち着いていた。読経に近い平坦さのある声が耳にリフレインする。とても霊の存在を恐れて、縋るような思いで依頼をしてきたとは思えない冷静さがそこにはあった。
不意に、視界の隅で白い布が翻るように掠める。ゆるりと首を動かすと、窓際に三体のてるてる坊主が吊り下げられていた。この部屋において、色味のないはずのそれが唯一、輪郭のあるもののように思えるのが不思議だった。
「ここ数日、雨が降っていたでしょう。悪天候は、客足に響きますから」
女はそう言って、唇に手を添えて笑った。てるてる坊主の下で揺らめいた小さな影を、圭吾は静かに凝視する。
「安心しました。土屋さんに来ていただく前も、実はこれまでに四人の霊能者の方に来ていただきましたが……その中の一人は、殆ど詐欺師でしたもの」
にこやかな声で、お伽噺のように語る声。ひどく心地よく耳に響くのが、かえって不気味だった。
「どうぞお気をつけてお帰りください」
深々とお辞儀をした後、女は笑った。いや、嗤ったのかもしれない。
女が顔をあげる瞬間目を反らしていたので、はっきりとその表情も意図も、汲み取ることはできなかった。
「どうして本当のことを話さなかったんだ?」
質問はひどく曖昧な聞き方だった。一度ゆっくりと瞬きをしてから、圭吾は少し考えたような顔で黙り込む。
「嘘は言っていませんよ」
「わかってる」
左の外開きの玄関の縁起が悪いのも、ドライフラワーが死をイメージさせるのも、あの空気の悪さを生み出している原因の一端であることは間違いない。
けれど。
「いたろ、霊……俺には見えなかったけど」
「僕は見えましたよ」
「なら、自殺した霊ってことか」
「どうでしょうね」
否定をするようなリズムで問題提起をされ、恭介は首を捻った。
「勿体ぶった言い方するなよ」
「本当に、確信が持てないんですよ……幽霊の子供は、半透明でしたから」
言葉遊びの問い掛けではなく、どうやら須く提起されるべき疑問だったよう。
恭介は顔をしかめた。考えたところで、前例のないものに答えは出ない。
あの部屋が、全体的に空気が悪いことは本当だった。
風水学的にも縁起が良いとは言えないもので飾り付けられており、指摘をしたさまざまなことはおおよそ正解だと思う。けれど、まるでクロスワードを解いているかのような、空欄に文字を埋めさせられただけのような手応えのなさもある。
それ程に、あの店内はこれ見よがしなアンルーリーに彩られた空間だった。
「試されていたような気がするな」
ふいに、恭介が言った。
「……僕たちのことを?」
「自称霊能者なんて、いくらでもいるだろ。本当に、駄目なところがどこなのか……ちゃんと見抜ける程度の霊感はあるのか」
「……」
「篩にかけられたような気がする」
ざぁ、と大きな風が吹き抜けて、生い茂った木々の葉が踊る。まるで連想ゲームのように、圭吾の頭に、風に揺れる何かが閃いた。
ひらひらと、白い布が瞬く。
それは確かに揺れていた。
揺れていた、のは。
「……てるてる坊主」
「え?」
初めから、違和感はあった。握ったドアの開く方向。真新しいカウンターの前に、古めかしい椅子の置かれたちぐはぐな店内。
いいや、違う。違和感はむしろ、その店に入る前から――。
ここ数日、雨が降っていたでしょう。悪天候は、客足に響きますから。
そう笑う女の口許に、嫌な歪みがあった。つい今しがた圭吾と恭介が歩いてきた足元で、乾いた木の枝が折れる音。コンクリートと違い下手をしたら雨の後二日くらいは水分を逃がしにくい木々が、笑ってしまうくらい乾ききっていた。
吊るされたあの人形は、晴れを願ってのものじゃない。
目視で確認できたのは、三体。
これまでに、四人の霊能者の方に来ていただきましたが、その中の一人は殆ど詐欺でしたもの。
もし、あの三体の人間を模した飾りが。
模したのではなく、正確に人間の数を表していたのなら、あれは――。
てるてる坊主、てる坊主、明日天気にしておくれ。いつかの夢の、空のよに、晴れたら金の鈴あげよ。
「土屋先輩」
てるてる坊主、てる坊主、明日天気にしておくれ。私の願を聞いたなら、甘いお酒をたんと飲ましょ。
「てるてる坊主の三番の歌詞、知ってます……?」
てるてる坊主、てる坊主。明日天気にしておくれ。それでも曇って泣いたなら、そなたの首をチョンと切るぞ。
あれは――生け贄の、数だ。
「っ……、先輩!」
遠慮のない力で、恭介の腕を引いた。もともと彼が居た場所からの力ずくの移動は、圭吾の腕を犠牲にしなければならなかった。
「しの!」
紙一重のタイミングで、圭吾の肩を掠めた何かが、勢い良く木の幹に突き刺さる。まるで弾丸のような勢いで風を切りつけたそれは、発砲されたら最後、貫いたものの生死を大きく左右するミリタリー弾などではなくただの小石だった。
いっそそれが、弾切れになる可能性のある銃弾であればどれ程良かったか。
とどのつまり――相手はどうやら、そこらに無限に転がってる石を、殺傷力としては余りある勢いをつけて飛ばす能力を有している、ということ。
「あら、避けちゃったのね……可哀想」
平坦な声。読経を思わせる起伏のない喋り方。振り返ると、記憶を辿るまでもないあの女が、人差し指を唇に押し当てながら陰鬱に笑った。
「貴方たち、どちらも本当に愛らしいから……一人くらい」
骸骨のような指で、小石を拾う。とっさに、恭介を庇おうと伸ばした腕に激痛が走った。
「楽に殺してあげようと思ってたのに」
女が嗤った。
分が悪い、なんてもんじゃない。
何一つ、打つ手のない現状に追い詰められていることは明白だった。
「電波が立っていませんね」
とりあえず、携帯を取り出しておいて何もしなかった理由を上司に報告した。
「マジか……」
リアクションに溜め息が混じったのは、連絡をとることのできる可能性について、期待半分諦め半分だったからかもしれない。緩やかになっていた足取りが、再び速さを取り戻している。シュレディンガーの猫だった希望が容赦なくゼロになった今、やるべきことは明確にひとつだった。
「だから、駅に着いた段階で一度、烏丸さんに連絡しましょうと言ったじゃないですか」
「だって……ただでさえバスの本数も少なそうだったのに、目の前で出発しようとしてたんだぞ? そんなの、すぐ乗る以外選択肢ないだろ」
「だったら、バスを降りたタイミングで電話掛けるなり何なりできたでしょう」
「その時点で電波悪かったし、アンテナも立ったり立たなかったりだったじゃねーか! 折角ここまで来たんだしさっさと終わらせて、結果報告も兼ねて連絡した方が手っ取り早いじゃん」
パキリ、と枯れた枝の折れる音を足元から拾う。乾いた土にクッションはなく、板の間や石畳を歩いている時のような疲労感が足の裏に蓄積されていた。
「一応出掛ける前にメールで連絡しといたし。地図で見てもそんな遠い感じしなかったし」
「その根拠のない『感じがしなかった』に、ものの見事に振り回されて今こんなことになってるんですけどね……」
急に思い立ったようにそのあたりをぐるぐる円を描くように動いたと思ったら、結局のところ出発地点に戻り気まずそうに笑うなどの謎行動の後、壁に手を伝うように木の幹を支えにしながら歩いている恭介に疲れが見えているのは明らかだったから、心配の裏腹で挙げ足を取るような言い方になってしまった。
「いちいち嫌味言うなよ……あ」
人が通っているからとりあえず道になっている、とでも表現できそうな散歩道を歩いていると、更に下った山道の下、屋根らしきトタンでできた青い板が確認できた。木々で隠れていて全貌は伺えなかったが、どうやら建物が鎮座ましましているようだ。
「あれ……ですかね?」
「方向的には、多分」
答え合わせをしようと携帯を触り掛けて、そう言えば圏外だったことを思い出す。恭介の言うように殆ど正解には違いなかったが、トタン屋根に継ぎ足すようにアクリルの板が繋がっているちぐはぐな屋根で造られたその建物は、店と思える外観ではなく、どちらかというと家屋に近い一軒家だった。
そろそろ見つかってほしい、という意識を覗き込まれたかのようなタイミングでの発見は、降って沸いたラッキーというより気味悪さの方が勝っている。
「……少し様子を見てみますか?」
「そんな余裕ないだろ」
慎重な部下の提案は、呆れたように上司に却下された。太陽に照らされた影の長さから伺える時刻からも、あまり時間がないことはわかっている。
(間違っていたとしても、道を尋ねるくらいはできるか……)
いざなわれているような気がする、だなんて。根拠のない理由は、自分さえ納得させられないのだから仕方がない。
パキリ、と足元で、再び乾いた枝が折れた。
圭吾を引き留める虫の知らせじみたささやかな予感は、頼りなく夕凪の空に消えてしまった。
ドアを開く時の違和感は、敢えて触れないことにした。
結論から言うと、その家は正解だった。外観が民家そのものだったのは、後から始めた居酒屋が思いつきだったから。
自宅のように気を緩めて過ごしてほしいという気持ちが半分と、単純に資金のなさが半分。内装の一部だけをカウンターに改装しただけの簡素な店内は、なるほど確かにお店というカテゴライズにギリギリ入れることのできる程度にはデザイン性のある造りになっていた。
足元に、welcomeと書かれたマットが敷いてあるが、その文字に目立つ劣化は見られない。単純に、踏まれた回数が少ないからだ。足元から正面に視線を動かせば、カウンターの横に旧式のレジが設置してあった。その斜め後ろに配置されたピンク色の公衆電話は、おそらく店内の置き電話も兼ねているのだろう。焦げ茶色のフローリングにはニスを塗った後のようなてかりがあり、左側には何の塗装もされていないドアがある。取っ手の部分に掛けられた「WC」のプレートがなければ、従業員専用の入り口だと勘違いしそうな飾り気のないドアだと圭吾は思った。
店内をぐるりと見回しただけで、発見できる諸悪が幾つかある。それはあらかじめ間違っているところに赤丸がついている間違え探しのような、白々しささえ感じられる味気のなさだった。
「本日は、このような辺鄙なところまでお越しいただき誠にありがとうございます」
カウンターを挟んで、女がゆっくりと頭を下げた。年齢の判別がしにくい、薄い印象の女だった。
「初めまして。ご依頼いただきました、土屋恭介とその部下、紫野岡圭吾と申します」
挨拶下手の恭介の代わりに、圭吾がハキハキと答えた。恭介がペコリと頭を下げるのを待ってから、改めて店内を探るように見渡す。
オレンジの照明が、モダンな空間を作り出している。寒暖色で言うなら「暖」に分類されるはずのその色が生み出す温度は、何故か視力によって判断される室温とのギャップがある。
圭吾は、一番評判の悪いと言われているカウンターに設置されているチェアに座って、実際の居心地を確かめてみた。
「いかがでしょうか」
静かな声で、依頼人が問い掛ける。
「コールドドラフトですね」
圭吾は簡潔に答えた。
用意されていた台詞を読み上げただけのような、迷いのない返答だった。
「どういうことですか?」
「失礼ですが、全て科学的根拠のある居心地の悪さです」
壁に凭れていた恭介は、含みのある顔で黙った。それは、圭吾の推測が是とも否とも取れる曖昧な表情だった。
「まず第一に、カウンター席を用意したことにだいたいの諸悪が起因します。本来自然に流れるはずだった空気に淀みが生まれ、留まる空間を作ってしまっています」
カツ、とテーブルを人差し指でテーブルを叩きながら、設計図を広げた建築家のような口調で圭吾は言った。
「霊気と冷気は、非常によく似ています。どちらも、背中に走ればゾクゾクとして居心地が悪くなりますし……特にこのカウンター、一番奥の、この席が評判悪いのではありませんか?」
「そうですね」
「この席が行き止まりになっています。悪い空気が溜まりやすくなっているんだと思います」
片手で空間を指差しながら圭吾は、座高の高いチェアから長い足を組み、肩を竦めて見せた。
「加えて、ドライフラワーも、あまり縁起の良いものではありません。個人の趣味ならとやかく言いませんが、店舗と呼ばれる場所を飾るには不向きだと思います。『死』のイメージが色濃いんですよ。これも、暗い空気を作り出してしまっている諸悪のひとつです」
「本当に霊の仕業じゃないんですか? トイレの鍵が、勝手に開くこともあるんですよ」
「見たところ、だいぶ老朽化していますね。リホームをされたのは玄関のドアと、カウンター回りだけでしょうか」
「お金がなくて……」
座席から上だけが動く造りになっているチェアをくるりと回転させて、圭吾は軽やかにフローリングに着地した。そのままスタスタと歩みを進め、シンプル且つ味気のないトイレのドアを手前に引くと、内側に設置された錠前の部分が現れる。
「見たところ、旧式の丸落としを使っているようですね。トイレの鍵に過剰な防犯を兼ね備えたロックは必要ないかもしれませんが、この手のタイプは、経年劣化が著しいと思います。バネも少し馬鹿になっているようですし」
人差し指で軽く手前に引いただけで何の突っ掛かりもなく開帳されたそれを見せつけられたばかりだったので、圭吾の言い分には説得力があった。
「ドア全体の修理は難しくても、ドアノブの交換だけでだいぶ改善されると思いますよ」
「そうですか」
女が薄い唇を歪めて笑った。
圭吾はそこで初めて、その空間で一番の違和感に気付く。女の声は始終落ち着いていた。読経に近い平坦さのある声が耳にリフレインする。とても霊の存在を恐れて、縋るような思いで依頼をしてきたとは思えない冷静さがそこにはあった。
不意に、視界の隅で白い布が翻るように掠める。ゆるりと首を動かすと、窓際に三体のてるてる坊主が吊り下げられていた。この部屋において、色味のないはずのそれが唯一、輪郭のあるもののように思えるのが不思議だった。
「ここ数日、雨が降っていたでしょう。悪天候は、客足に響きますから」
女はそう言って、唇に手を添えて笑った。てるてる坊主の下で揺らめいた小さな影を、圭吾は静かに凝視する。
「安心しました。土屋さんに来ていただく前も、実はこれまでに四人の霊能者の方に来ていただきましたが……その中の一人は、殆ど詐欺師でしたもの」
にこやかな声で、お伽噺のように語る声。ひどく心地よく耳に響くのが、かえって不気味だった。
「どうぞお気をつけてお帰りください」
深々とお辞儀をした後、女は笑った。いや、嗤ったのかもしれない。
女が顔をあげる瞬間目を反らしていたので、はっきりとその表情も意図も、汲み取ることはできなかった。
「どうして本当のことを話さなかったんだ?」
質問はひどく曖昧な聞き方だった。一度ゆっくりと瞬きをしてから、圭吾は少し考えたような顔で黙り込む。
「嘘は言っていませんよ」
「わかってる」
左の外開きの玄関の縁起が悪いのも、ドライフラワーが死をイメージさせるのも、あの空気の悪さを生み出している原因の一端であることは間違いない。
けれど。
「いたろ、霊……俺には見えなかったけど」
「僕は見えましたよ」
「なら、自殺した霊ってことか」
「どうでしょうね」
否定をするようなリズムで問題提起をされ、恭介は首を捻った。
「勿体ぶった言い方するなよ」
「本当に、確信が持てないんですよ……幽霊の子供は、半透明でしたから」
言葉遊びの問い掛けではなく、どうやら須く提起されるべき疑問だったよう。
恭介は顔をしかめた。考えたところで、前例のないものに答えは出ない。
あの部屋が、全体的に空気が悪いことは本当だった。
風水学的にも縁起が良いとは言えないもので飾り付けられており、指摘をしたさまざまなことはおおよそ正解だと思う。けれど、まるでクロスワードを解いているかのような、空欄に文字を埋めさせられただけのような手応えのなさもある。
それ程に、あの店内はこれ見よがしなアンルーリーに彩られた空間だった。
「試されていたような気がするな」
ふいに、恭介が言った。
「……僕たちのことを?」
「自称霊能者なんて、いくらでもいるだろ。本当に、駄目なところがどこなのか……ちゃんと見抜ける程度の霊感はあるのか」
「……」
「篩にかけられたような気がする」
ざぁ、と大きな風が吹き抜けて、生い茂った木々の葉が踊る。まるで連想ゲームのように、圭吾の頭に、風に揺れる何かが閃いた。
ひらひらと、白い布が瞬く。
それは確かに揺れていた。
揺れていた、のは。
「……てるてる坊主」
「え?」
初めから、違和感はあった。握ったドアの開く方向。真新しいカウンターの前に、古めかしい椅子の置かれたちぐはぐな店内。
いいや、違う。違和感はむしろ、その店に入る前から――。
ここ数日、雨が降っていたでしょう。悪天候は、客足に響きますから。
そう笑う女の口許に、嫌な歪みがあった。つい今しがた圭吾と恭介が歩いてきた足元で、乾いた木の枝が折れる音。コンクリートと違い下手をしたら雨の後二日くらいは水分を逃がしにくい木々が、笑ってしまうくらい乾ききっていた。
吊るされたあの人形は、晴れを願ってのものじゃない。
目視で確認できたのは、三体。
これまでに、四人の霊能者の方に来ていただきましたが、その中の一人は殆ど詐欺でしたもの。
もし、あの三体の人間を模した飾りが。
模したのではなく、正確に人間の数を表していたのなら、あれは――。
てるてる坊主、てる坊主、明日天気にしておくれ。いつかの夢の、空のよに、晴れたら金の鈴あげよ。
「土屋先輩」
てるてる坊主、てる坊主、明日天気にしておくれ。私の願を聞いたなら、甘いお酒をたんと飲ましょ。
「てるてる坊主の三番の歌詞、知ってます……?」
てるてる坊主、てる坊主。明日天気にしておくれ。それでも曇って泣いたなら、そなたの首をチョンと切るぞ。
あれは――生け贄の、数だ。
「っ……、先輩!」
遠慮のない力で、恭介の腕を引いた。もともと彼が居た場所からの力ずくの移動は、圭吾の腕を犠牲にしなければならなかった。
「しの!」
紙一重のタイミングで、圭吾の肩を掠めた何かが、勢い良く木の幹に突き刺さる。まるで弾丸のような勢いで風を切りつけたそれは、発砲されたら最後、貫いたものの生死を大きく左右するミリタリー弾などではなくただの小石だった。
いっそそれが、弾切れになる可能性のある銃弾であればどれ程良かったか。
とどのつまり――相手はどうやら、そこらに無限に転がってる石を、殺傷力としては余りある勢いをつけて飛ばす能力を有している、ということ。
「あら、避けちゃったのね……可哀想」
平坦な声。読経を思わせる起伏のない喋り方。振り返ると、記憶を辿るまでもないあの女が、人差し指を唇に押し当てながら陰鬱に笑った。
「貴方たち、どちらも本当に愛らしいから……一人くらい」
骸骨のような指で、小石を拾う。とっさに、恭介を庇おうと伸ばした腕に激痛が走った。
「楽に殺してあげようと思ってたのに」
女が嗤った。
分が悪い、なんてもんじゃない。
何一つ、打つ手のない現状に追い詰められていることは明白だった。
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幼なじみの悠也に、恋心を抱くことに罪悪感を持ち続ける楓。
逃げるように東京の大学に行き、田舎故郷に二度と帰るつもりもなかったが、大学三年の夏休みに母親からの電話をきっかけに帰省することになる。
見慣れた駅のホームには、悠也が待っていた。あの頃と変わらない無邪気な笑顔のままー。
何年もずっと連絡をとらずにいた自分を笑って許す悠也に、楓は戸惑いながらも、そばにいたい、という気持ちを抑えられず一緒に過ごすようになる。もう少し今だけ、この夏が終わったら今度こそ悠也のもとを去るのだと言い聞かせながら。
しかしある夜、悠也が、「ずっと親友だ」と自分に無邪気に伝えてくることに耐えきれなくなった楓は…。
お互いを大切に思いながらも、「すき」の色が違うこととうまく向き合えない、不器用な少年二人の物語。
主人公楓目線の、片思いBL。
プラトニックラブ。
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2024.11.27 無事本編完結しました。感謝。
最終章投稿後、第四章 3.5話を追記しています。
(この回は箸休めのようなものなので、読まなくても次の章に差し支えはないです。)
番外編は、2人の高校時代のお話。
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