上 下
2 / 26

エモニエ国

しおりを挟む
 それから数百年の歳月が流れた。
 グラフが命を賭して守った大陸は、彼の願いを聞き入れたのか、魔王討伐以来大きな災厄や争いが起きる事もなく、人々は安寧の時を謳歌していた。


 そして現在。エモニエ国は年に一度の賑わいを見せている。かつてこの地を魔王から救った勇者グラフを称える祭り……『グラフ祭』の最終日なのだ。

 城下町はグラフの色である赤と紫の花で飾られ、人々の笑顔と活気に満ちている。

「らっしゃい!らっしゃい!グラフ祭名物、勇者焼だよ~!」

 グラフが好んで食べたという鳥の串焼き(香草をたっぷりと使いスパイシーながらも蜂蜜の甘さがまろやかさを出し、とても美味しい)を始め、近隣諸国の珍しいお菓子、流行りの装飾品、最近エモニエ国で人気のベリーエールなどを売る屋台があちこちに立ち並んだ。
 勇者グラフの銅像が立つ中央広場では、人気の楽団が陽気な音楽を奏で、人々は各店舗のこだわりの味に舌鼓を打ち、平和に感謝して乾杯を繰り返し、時に踊り出す。

 そんな笑い声が絶えない広場に、カランカランとベルが鳴り響いた。グラフ祭名物のひとつである共同結婚式だ。これはかつてグラフの仲間たちが、戦いの末に数組の夫婦となり、共同結婚式を挙げたことに由来する。グラフ祭の日に結ばれた夫婦は、どんな困難も乗り越えて幸せになる事ができると言われていた。

 幸せを祝う声と花吹雪が、青い空に舞った。


 ※※※


 一方、王城でも連日式典や夜会が開催されていた。
 各国の王族や大使も招かれるそれは大層華やかなもので、中でも今日の夜会は、貴族籍のある者であれば基本的に誰でも参加が可能な間口の広いものだ。
 皆それぞれ、一年に一度の出会いや利益を求め多くの人で溢れかえっていた。

「そのドレス素敵ね。もしかして最新の?」
「チェリーゼ地方の話はお聞きに?最近は隣のレアストロでも……」
「そうそう。黒いマントで、魔物を一刀両断だとか」
「私も一度お会いしてみたいわ」

 それぞれに会話を楽しむ中、誰よりも注目を集めている一角があった。

「まあ!アルフレッド殿下よ!」
「どこどこ?わっ素敵………!」
「お隣の方が婚約者のラウーラ様?」

 今年16歳になるエモニア国第一王子、アルフレッドである。
 緩やかなウェーブの赤髪に、きりりとしたアメジストの瞳は、ともすれば近寄り難い印象を与えがちであるが、その表情や仕草はあくまでも柔和で、王子の人柄がうかがえた。

「私、初めてお姿を拝見いたしましたけど、本当にグラフ様にそっくりですのね!」
「ええ。あの様に美しい赤髪、初めて見ましたわ」
「グラフ様の生まれ変わりと言われるのも納得です」
「ラウーラ様のドレスも見事ね。どこでお仕立てになったのかしら」

 誰しもがうっとりと、或いは憧憬の眼差しを向ける中、アルフレッドは傍のウラーラに微笑みかける。

「大丈夫かいウラーラ。挨拶ばかりで、疲れたのではないか?」
「ありがとう存じます殿下。でもご挨拶も殿下の婚約者として大切な仕事。それに色々な国の方とお話しできてとても楽しいですわ」

 アルフレッドの問いに答えたラウーラは、新緑色の瞳を細めた。ラウーラはサヴオレンス公爵家の令嬢であり、アルフレッドの婚約者だ。
 赤いドレスは色こそ華やかだがシンプルに、柔らかいミルクティー色の髪はふわりと結い上げ、どこかおっとりと大人しい印象だが、人柄は勤勉で実直と評判だった。

 ふたりが挨拶を一通り終えると、会場に一層楽しげな曲が流れ始めた。
「あら、この曲」
 思わず顔を上げたラウーラに、アルフレッドも「ああ」と返す。
「これは踊らない訳にはいかないな」

 かつて勇者グラフが隣国の姫と踊り、その後協定を結ぶきっかけになったと言われる、この国で一番有名なワルツだ。

「姫、一曲お相手いただけますか?」
「はい。喜んで」

 アルフレッドとラウーラが手を取り合ってダンスホールの中央に躍り出た。
 一般的なワルツより少し早めなテンポに、アルフレッドがラウーラを力強くリードしていく。その度にラウーラの赤いドレスがふわりと大きく舞い、そこかしこから「おぉ」と嘆声がこぼれた。

「まるで勇者グラフの絵巻物を見ている様ですな」
「素敵だわぁ……!」
「ご覧になって、あの楽しそうなおふたりのお顔」
「本当に仲がよろしいのね。羨ましいわ」

 エモニア国において、ふたりの仲睦まじさは有名だった。

 第一王子であり、なおかつ勇者グラフの生まれ変わりである。アルフレッドに自らの娘を売り込もうとする貴族は多かった。例え婚約者が決まろうと、この際愛人でも。と色仕掛けを強行する令嬢さえ後を絶たなかった。
 しかしアルフレッドは見向きもしなかった。
 ラウーラもまた、おっとりとしていそうに見えて、幾多なる嫌がらせに屈することもなく「アルフレッド殿下をお支えするのが私の役目ですので」と微笑んでは、歴代稀に見る勤勉さで王妃教育に取り組んだ。
 最終的には「私が愛するのは一生涯ラウーラのみ」とアルフレッドが14歳の誕生祭で公言した事により、このふたりの間に割り込もうとする者は現れなくなった。



「王子殿下が勇者グラフの生まれ変わりというだけでもこの上ない事ですが、あの様に献身的な伴侶を得られるとは、エモニエ国の安泰はますます磐石なものとなりますなぁ」
「ええ。これも勇者グラフ様のおかげです」
「全くですな」
「大陸の平和に」
「平和をもたらして下さった勇者グラフに」

「乾杯」と掲げられた盃がキラキラと光った。
しおりを挟む

処理中です...