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第一話『車だって、時にはハズみたい』
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ブルルルゥン……。
ぼくの車は、満車になった駐車場を通って、おしゃれなひさしのかかったお店のドライブスルーの前に、すべりこむように停車した。
「いらっしゃいませ。あ、お客様、今日もありがとうございますぅ」
ドライブスルーの犬の店員さんが、運転席の窓を開けて顔を上げるぼくに向かって、にこやかにそう言った。
「いつもの、お願いしますね」
ぼくも、にこにこしながら、店員さんにおなじみの注文をした。行きつけのファーストフード店。ぼくは愛車に乗ってドライブに出かける時、ここで軽い昼食を買って済ませるのが、ここ数ヶ月でくせになっていた。店員さんに顔をおぼえられても、おかしな話じゃない。でも、これがぼくの日常だ。
「ほくほくフィッシュバーガーセット、七百九十円になりまーす」
ぼくは、服のポケットから小銭入れを出して、八百円を店員さんに手渡し、十円のお釣りを受け取ると、店員さんに軽く会釈を返しながらお礼を言った。それから出口の少し前まで徐行すると、道路を行きかう車に注意をし、車の来ないわずかな瞬間をねらって道路へ出た。
ぼくの名前はネコマツ・シュウジ。どこにでも当たり前のように暮らしている、ドライブが大好きなごく普通の猫。このひだまり町で、日々、何事もなくおだやかな日常を送っている……つもりだ。
ぼくは、とにかく車が好きだ。隣町で、エリートぞろいの車修理工場で働くほどだ。経歴はさておき、ぼくは週に一度、ひとりきりでドライブを満喫することが多い。というより、いつもかもしれない。
だからと言って、友達がいないわけじゃない。むろん、彼女だっている。気心のよく知れた幼なじみだけれどもね。
ぼくの愛車は、ダイマツ自動車という会社からデビューした、『ホップス』というブランド名の自動車だ。デビューしたと言っても、もう五年も前のこと。早い話、これは中古車だったわけだ。一人暮らしの若者は、財布のひものほどき方をよく心得なくてはいけない。でも、こいつを選んだのは、なにも中古車という理由だけじゃない。コンパクトなのに、わりとねばりのある走りをするし、車内のせまさも気にならない良好車だ。それに、親しみのあるデザインにもひかれた。購入したのは二年前。自分で大事にメンテナンスしているし、まだまだつきあいは続くだろう。
飲食店のならぶおしゃれな街道を、開いた窓から受ける風にひげをふるわせながら、ぼくは愛車とのんびりこのルートを走る。今日は、ぼくひとりだ。急にふたりになるなんてことはない。そうさ。ないだろうとも。
週に一回はドライブができる。大好きかつ、稼げる仕事がある。仲間もたくさんいる。そして、彼女もいる。ぼくは、一般的に見ても、めぐまれている猫だと自覚している。だからこそ、これ以上のものは望まないし、望んだだっていいことはない。けれど、しいて言うなら、
(こういうおだやかさだけじゃなくて、なにかこう……心まで弾むような、刺激的な出会いができれば、なおいいんだけどな)
ハンバーガーを食べるために、ぼくの両手はある場所に向かって、陽気に車のハンドルを切っていた。住宅街のはずれ、車の通りが少ないゆるやかな丘の上にある、小さな駐車スペース。そこが、ぼくのお気に入りの場所だ。
自動販売機とベンチがそえられただけの殺風景な駐車場にタイヤを上がらせ、慣れた手つきで後ろ向き駐車をし、ギアを戻すと、ぼくは車のラジオをオンにした。ひとりで運転している間は、余計な音を耳に入れないのがぼくのこだわりだ。
ここは、ひだまり町が一望に見渡せる。最近、偶然ドライブ中に見つけた場所だ。五台まで車が停められるけれど、今はぼくの車しか来ていない。好都合だ。ここをひとりじめにできる。ここで風にひげをひゅるひゅるとふるわせながら、のんびり町を見下ろすのが、ひそかなマイブームになっている。でも今日は、車内でお昼を食べるのが先だ。
さっそく、ハンバーガーの入った紙袋を開ける。立ちこめるハンバーガーとポテトのいいにおい。ぼくはフィッシュバーガーを取り出し、包み紙をはがして、真正面から一気にかぶりつく。この瞬間がたまらない。口いっぱいに広がるふわふわバンズと白身魚のフライの食感。これぞハーモニーだ。
「んにゃあ~、これこれ……むぐむぐ」
ものの一分でハンバーガーをたいらげ、サイドのフライドポテトに手をつけはじめる。細長い角切りのフライドポテト。今日はまた絶妙な塩加減じゃないか。
『――次のニュースです。小説家ニヤベ・ミユキの大ヒット作・ブレーキストーリーが今夏、映画化されることが決定しました。作品の内容は、とある猫の少年が、魔術によって言葉を話す力をえた一台の車と出会い、ともに謎解きの旅に出るというものであり――』
「もの言う車、ねぇ……」
ぼくは、皮肉な笑みを浮かべながら、サクサクとポテトをかじっていく。こういったオカルト的な話には、おおよそ興味がわかない。理屈の通らないファンタジーものになると、頭がこんがらがりそうになる。でも、ぼくの彼女なら、おおいに興味をひかれるに違いない。彼女はそういうタイプの猫だ。
(でも、もしも……もしも、ぼくのこの車が、ある日突然、自分で動いたり、走ったりするようになったら……)
コーラで喉をうるおしながら、ぼくはありもしない想像をめぐらしていた。そんなことになったら、いったいどうなるだろう? このおだやかな日常を壊されるのは、何よりも恐ろしいことだ。
父さんも母さんも、口をそろえてこう言っていた。
『日常を壊すものなんて、火事を別として、遠い外側からしかやってこない』と。
(車が命を宿す? ないな、うん。ありえない)
コーラを飲み干し、残りのポテトもおなかにおさめる。それから、そえつけのお手ふきで、指についた塩つぶと油をふき取る。すると、急激に睡魔がおそってきた。午後の一時を少しすぎた時のことだった。ぼくは、大きく口を開いてあくびを一つ。最近、寝不足かもしれない。このごろ、仕事場でいろいろあるし、仕方ない。行儀が悪いけど、ここで昼寝といこう。
ぼくはラジオをオフにして、キーを回してエンジンを切ると、シートベルトをしたまま、静かになった運転席で腕を組んで目を閉じた。
「キミが、命を宿す、ねぇ……ふわぁ~、にゃい、にゃい」
自分でも意図せず、愛車に向かって話しかけるような口を利いてしまった。
思いがけない睡魔は深い眠りとなって、熟睡は甘い夢を呼びよせた。
夢の中で、ぼくは隣町の車修理工場にいた。いつもの黒い作業着を着ていて、目の前にぼくの愛車がいる。ぼくは愛車のボンネットを開いて、メンテナンスに没頭していた。やっていくうちに、愛車の喜ぶ気持ちが伝わってきて、夢の中はだんだん春のような不思議な温もりでいっぱいになった。愛車とぼくは、はじめて心がつながっていた。
「さあ、もうすぐ直るからな」
愛車にそうつぶやいていたのをおぼえている。ずっと浸っていたい夢だったなぁ――。
ピ―ッ、ピッピッピッ!
車のクラクションの音で、目がさめた。窓に頭が当たっていた。寝相が悪かったせいか、少し首が痛い。
「んー、にゃあーうぅ……」
のんびりと長い伸びをして、ぼやけた目を手でこすった。口元によだれをたらしているのに気づいた。ぼくは、服の袖でよだれをぬぐってから、左手の腕時計の針を見た。午後の四時すぎだ。
「あちゃ。三時間も寝てたのか……」
フロントガラスの向こうの空を見ると、太陽がずいぶん西に傾いていた。金色の空の光が、寝ぼけまなこに刺さるようだ。
ピッピーッ!
おや、またクラクションの音がした。さっきと同じ、ぼくの車の出す音だ。気のせいかな。窓の外を見ても、ほかに車は来ていない。まだ眠気が取れていないせいだ。
だいぶ時間を無駄にしたかな。そろそろ家に帰ろう。そう言えば、今月の車雑誌、まだ買ってなかった。帰る前にコンビニに寄っていこうかな――。
呑気にそう考えていた時だった。ぼくははっとして、耳をぴんとおっ立てた。
車のエンジンがかかっている。……おかしいぞ。ぼくは寝る前、エンジンを切ったのをちゃんと確かめたはずなのに。でも、キーは差しこんだままだった。ぼくの思いこみにすぎなかったんだろうか?
勝手に鳴るクラクションといい、この状況といい、何かが妙だ。そうだ、きっと夢を見ているんだろう。そう解釈したぼくは、また瞳を閉じて安らかな眠りにつこうとした。その時だった。
ピッピッピーッ!
三度目のクラクションが、車内を切り裂いた。そして、その直後、
ガッタン、ゴットン!
車が異常なほど大きな動きで、前に後ろにゆれた。
「にゃあぁっ! なんだこりゃ!?」
危うくハンドルにおでこをぶつけるところだった。キツネにつままれたような気分だ。
ぼくの愛車に、何かが起こっている。
ぼくの車は、満車になった駐車場を通って、おしゃれなひさしのかかったお店のドライブスルーの前に、すべりこむように停車した。
「いらっしゃいませ。あ、お客様、今日もありがとうございますぅ」
ドライブスルーの犬の店員さんが、運転席の窓を開けて顔を上げるぼくに向かって、にこやかにそう言った。
「いつもの、お願いしますね」
ぼくも、にこにこしながら、店員さんにおなじみの注文をした。行きつけのファーストフード店。ぼくは愛車に乗ってドライブに出かける時、ここで軽い昼食を買って済ませるのが、ここ数ヶ月でくせになっていた。店員さんに顔をおぼえられても、おかしな話じゃない。でも、これがぼくの日常だ。
「ほくほくフィッシュバーガーセット、七百九十円になりまーす」
ぼくは、服のポケットから小銭入れを出して、八百円を店員さんに手渡し、十円のお釣りを受け取ると、店員さんに軽く会釈を返しながらお礼を言った。それから出口の少し前まで徐行すると、道路を行きかう車に注意をし、車の来ないわずかな瞬間をねらって道路へ出た。
ぼくの名前はネコマツ・シュウジ。どこにでも当たり前のように暮らしている、ドライブが大好きなごく普通の猫。このひだまり町で、日々、何事もなくおだやかな日常を送っている……つもりだ。
ぼくは、とにかく車が好きだ。隣町で、エリートぞろいの車修理工場で働くほどだ。経歴はさておき、ぼくは週に一度、ひとりきりでドライブを満喫することが多い。というより、いつもかもしれない。
だからと言って、友達がいないわけじゃない。むろん、彼女だっている。気心のよく知れた幼なじみだけれどもね。
ぼくの愛車は、ダイマツ自動車という会社からデビューした、『ホップス』というブランド名の自動車だ。デビューしたと言っても、もう五年も前のこと。早い話、これは中古車だったわけだ。一人暮らしの若者は、財布のひものほどき方をよく心得なくてはいけない。でも、こいつを選んだのは、なにも中古車という理由だけじゃない。コンパクトなのに、わりとねばりのある走りをするし、車内のせまさも気にならない良好車だ。それに、親しみのあるデザインにもひかれた。購入したのは二年前。自分で大事にメンテナンスしているし、まだまだつきあいは続くだろう。
飲食店のならぶおしゃれな街道を、開いた窓から受ける風にひげをふるわせながら、ぼくは愛車とのんびりこのルートを走る。今日は、ぼくひとりだ。急にふたりになるなんてことはない。そうさ。ないだろうとも。
週に一回はドライブができる。大好きかつ、稼げる仕事がある。仲間もたくさんいる。そして、彼女もいる。ぼくは、一般的に見ても、めぐまれている猫だと自覚している。だからこそ、これ以上のものは望まないし、望んだだっていいことはない。けれど、しいて言うなら、
(こういうおだやかさだけじゃなくて、なにかこう……心まで弾むような、刺激的な出会いができれば、なおいいんだけどな)
ハンバーガーを食べるために、ぼくの両手はある場所に向かって、陽気に車のハンドルを切っていた。住宅街のはずれ、車の通りが少ないゆるやかな丘の上にある、小さな駐車スペース。そこが、ぼくのお気に入りの場所だ。
自動販売機とベンチがそえられただけの殺風景な駐車場にタイヤを上がらせ、慣れた手つきで後ろ向き駐車をし、ギアを戻すと、ぼくは車のラジオをオンにした。ひとりで運転している間は、余計な音を耳に入れないのがぼくのこだわりだ。
ここは、ひだまり町が一望に見渡せる。最近、偶然ドライブ中に見つけた場所だ。五台まで車が停められるけれど、今はぼくの車しか来ていない。好都合だ。ここをひとりじめにできる。ここで風にひげをひゅるひゅるとふるわせながら、のんびり町を見下ろすのが、ひそかなマイブームになっている。でも今日は、車内でお昼を食べるのが先だ。
さっそく、ハンバーガーの入った紙袋を開ける。立ちこめるハンバーガーとポテトのいいにおい。ぼくはフィッシュバーガーを取り出し、包み紙をはがして、真正面から一気にかぶりつく。この瞬間がたまらない。口いっぱいに広がるふわふわバンズと白身魚のフライの食感。これぞハーモニーだ。
「んにゃあ~、これこれ……むぐむぐ」
ものの一分でハンバーガーをたいらげ、サイドのフライドポテトに手をつけはじめる。細長い角切りのフライドポテト。今日はまた絶妙な塩加減じゃないか。
『――次のニュースです。小説家ニヤベ・ミユキの大ヒット作・ブレーキストーリーが今夏、映画化されることが決定しました。作品の内容は、とある猫の少年が、魔術によって言葉を話す力をえた一台の車と出会い、ともに謎解きの旅に出るというものであり――』
「もの言う車、ねぇ……」
ぼくは、皮肉な笑みを浮かべながら、サクサクとポテトをかじっていく。こういったオカルト的な話には、おおよそ興味がわかない。理屈の通らないファンタジーものになると、頭がこんがらがりそうになる。でも、ぼくの彼女なら、おおいに興味をひかれるに違いない。彼女はそういうタイプの猫だ。
(でも、もしも……もしも、ぼくのこの車が、ある日突然、自分で動いたり、走ったりするようになったら……)
コーラで喉をうるおしながら、ぼくはありもしない想像をめぐらしていた。そんなことになったら、いったいどうなるだろう? このおだやかな日常を壊されるのは、何よりも恐ろしいことだ。
父さんも母さんも、口をそろえてこう言っていた。
『日常を壊すものなんて、火事を別として、遠い外側からしかやってこない』と。
(車が命を宿す? ないな、うん。ありえない)
コーラを飲み干し、残りのポテトもおなかにおさめる。それから、そえつけのお手ふきで、指についた塩つぶと油をふき取る。すると、急激に睡魔がおそってきた。午後の一時を少しすぎた時のことだった。ぼくは、大きく口を開いてあくびを一つ。最近、寝不足かもしれない。このごろ、仕事場でいろいろあるし、仕方ない。行儀が悪いけど、ここで昼寝といこう。
ぼくはラジオをオフにして、キーを回してエンジンを切ると、シートベルトをしたまま、静かになった運転席で腕を組んで目を閉じた。
「キミが、命を宿す、ねぇ……ふわぁ~、にゃい、にゃい」
自分でも意図せず、愛車に向かって話しかけるような口を利いてしまった。
思いがけない睡魔は深い眠りとなって、熟睡は甘い夢を呼びよせた。
夢の中で、ぼくは隣町の車修理工場にいた。いつもの黒い作業着を着ていて、目の前にぼくの愛車がいる。ぼくは愛車のボンネットを開いて、メンテナンスに没頭していた。やっていくうちに、愛車の喜ぶ気持ちが伝わってきて、夢の中はだんだん春のような不思議な温もりでいっぱいになった。愛車とぼくは、はじめて心がつながっていた。
「さあ、もうすぐ直るからな」
愛車にそうつぶやいていたのをおぼえている。ずっと浸っていたい夢だったなぁ――。
ピ―ッ、ピッピッピッ!
車のクラクションの音で、目がさめた。窓に頭が当たっていた。寝相が悪かったせいか、少し首が痛い。
「んー、にゃあーうぅ……」
のんびりと長い伸びをして、ぼやけた目を手でこすった。口元によだれをたらしているのに気づいた。ぼくは、服の袖でよだれをぬぐってから、左手の腕時計の針を見た。午後の四時すぎだ。
「あちゃ。三時間も寝てたのか……」
フロントガラスの向こうの空を見ると、太陽がずいぶん西に傾いていた。金色の空の光が、寝ぼけまなこに刺さるようだ。
ピッピーッ!
おや、またクラクションの音がした。さっきと同じ、ぼくの車の出す音だ。気のせいかな。窓の外を見ても、ほかに車は来ていない。まだ眠気が取れていないせいだ。
だいぶ時間を無駄にしたかな。そろそろ家に帰ろう。そう言えば、今月の車雑誌、まだ買ってなかった。帰る前にコンビニに寄っていこうかな――。
呑気にそう考えていた時だった。ぼくははっとして、耳をぴんとおっ立てた。
車のエンジンがかかっている。……おかしいぞ。ぼくは寝る前、エンジンを切ったのをちゃんと確かめたはずなのに。でも、キーは差しこんだままだった。ぼくの思いこみにすぎなかったんだろうか?
勝手に鳴るクラクションといい、この状況といい、何かが妙だ。そうだ、きっと夢を見ているんだろう。そう解釈したぼくは、また瞳を閉じて安らかな眠りにつこうとした。その時だった。
ピッピッピーッ!
三度目のクラクションが、車内を切り裂いた。そして、その直後、
ガッタン、ゴットン!
車が異常なほど大きな動きで、前に後ろにゆれた。
「にゃあぁっ! なんだこりゃ!?」
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