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第十一章『嵐のターミナル』

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「――お前は、ツアー参加者のひとりだな?」


ガオルの低く魔物じみた声が、だだっ広いタワー前広場に恐ろしいほど広がった。

竜の秘術でも使っているような不思議な大声量だった。


「安心しろ、お前たちに害を加えるつもりはない。俺の目的はただ一つ――」


「出てけぇぇ――――っ!!」


ハルトは負けじと叫んだ。他に言葉が思いつかなかった。

もしも叫び声が炎となり、素早い矢となってやつに飛んでいくなら、

ハルトはいくらでも叫んだことだろう――。


ガオルは耳を貸すこともせず、タワーの上にむかって飛んでいった。

今この建物が密閉されているのを知らないのか。


「ああっ、まさかあの入り口から中に入る気じゃ!?」


フロルがわなわなと口を動かしながら言うので、モニカさんが聞いた。


「えっ、なに?  このタワー、まだ中に入れるところがあるの?」


「東側のリフレッシュテラスです!

わたし、そこから外の様子が見たくて出てきたんです」


話しているうちに、

ガオルはもうタワーの東側にせり出した広いテラスの陰に、消えてしまっていた。

ハルトは、本格的にスズカの身の危険を肌で感じた。


「なんでそこだけドアが開いてるんだよ!」


「わたしにも分かりません!  なぜか開いてたんです。もしかしたら、

だれかが彼を中に引き入れるために、ロックを解除していたのかも……」


もう一刻の猶予もなかった。

このままでは、スズカが捕まえられてしまう。ガオルも予備知識がなければ、

スズカが今どこにいるのか正確には分からないはずだ。

そのうえで、たった一頭で迷いなくタワーに乗りこんだということは、

手引きはドアロックの解除だけではないはずだ。

それはハルトでもなんとなく頭で分かっていた。


「ふたりとも、ここで待っていてください!」


フロルが両足を蹴り上げて宙に浮かび、急ぎガオルを追いかけようとした時だ。


「ぼくも連れてって!」


ハルトはすんでのところでフロルの左脚に両手でしがみついた。


「ハルトくん、ダメ―――ッ!!」


モニカさんが手を伸ばしながら金切り声で叫んだ。しかし、時すでに遅し。

ハルトの両足はどんどん下から離れていく。高く、高く……。

ハルトは下を見ないようにしながら、死に物狂いでフロルにつかまっていた。


「ちょ、ハルトくん……!」


十五メートル上でフロルがようやく気づいた。


「ぼ、ぼくをスズカちゃんのとこに連れてくれなきゃ……

オ、オハコビ竜のこと、嫌いになっちゃうからね……!!」


そんなあ、とフロルは力なく声をもらした。

下ではモニカさんが青ざめながら、フロルに降りてくるように指示している。

しかしフロルは、深刻な顔でしばらくうなると、

足を上げ、ハルトの体を両手でしっかりと抱きあげてから、

下にむかってこう叫んだ。


「モニカさん、ごめんなさい!  責任はわたしが負います!  だから……」


フロルはハルトをしっかり胸の中で抱きかかえながら、

ガオルを追ってテラスへと上がっていった。

モニカさんは、信じられないという顔でその姿を見送るのだった。


フロルは、テーブルや椅子がまばらに置かれた半円形のテラスの上に来ると、

そのテラスに開いている人間用のドアにむかって降下し、

翼をたたみながらするりと中へ入りこんだ。

そこから先は、フローターの駐車場らしき広いロータリーがあり、

さらにそのむこう側には、

黒くて丸い巨大なドームが内側に見える広い螺旋道路が、

上下にむかって続いていた。

フロルは迷いなく、道路にしたがって上へ飛んでいった。


「な、なんでぼくを降ろさなかったの?」


「――オハコビ隊は、お客様の望む場所に連れていくのが仕事だから。

キミはわたしに、スズカちゃんのところに連れてってと言ったでしょう?

オハコビ竜は、あんなふうにお願いされたらまず断れないよ。

身も心も半分は『犬』だし」


「あ……」


「それに、ハルトくんはスズカちゃんのことをかなり気にかけているみたいだし、

ガオルを止めたいって気持ちが痛いほど伝わってきたもの。

置いていく気に、なれなかった……」


それに、とフロルはつけ加えた。


「スズカちゃんにはキミが……ハルトくんが必要だと思ったから」


フロルの胸もやわらかく、花シャンプーのにおいもした。

フラップの胸もこんなふうに安らぐ場所だった。

スズカもきっと、フラップの胸の中に帰りたがっていることだろう。


タワーの中は、宇宙船の中みたいな先進的な内装ばかりで、明るく清潔だった。

いったいここはタワーのどのあたりなのだろう?  

止めどなく警報が鳴り続けている。


フロルは通路を飛び続けた。

坂道が終わって、少し連絡橋を通ったと思ったら、その先の通路を何度も曲がり、

またさらに別の坂道を上がっていく。そんなことがしばらく続いた……

まるでちょこまか動いて飛ぶ屋内型コースターのようで、

ハルトは頭がくらくらしてきそうだった。


道すがら、道路脇の歩道で腰をぬかしたり、

倒れたりしているサポーターの人たちを何人も見た。

おそらく、ガオルが猛スピードで通過した形跡なのだろう。

道路には置き去りにされたフローターが

バラバラに停車したままになっている。


「フロル、ガオルがどこにむかってるか、見当はついてるの?」


「――この先から、ガオルの気配をひしひしと感じるの。

わたし、外で見た時にあいつの気の波動をおぼえたから、

これだけは確かだって言えるよ」


オハコビ竜の秘めたる能力ということか。

見た目はかわいい竜の着ぐるみなのに、本当に頼もしい存在だ。


「ねえ、フロルってさ、フラップの代わりを半分務めてくれてるんでしょ?

フラップとはどういう関係なの?」


「フラップくんとわたしは、昔からの幼なじみなの。

ふたりでオハコビ隊に入隊して、フリッタちゃんとフレッドくんにも会って、

みんなで仲よく仕事をしてた。

でもわたし以外の三頭は、少し前にエキスパートランクに昇進しちゃった。

その関係で、仕事中にフラップくんたちといられる時間がなくなっちゃった。

わたし、さみしかったな。

だから今回もらった仕事が、いきなりだったけど、すごく嬉しかった。

フラップくんが担当していた子を、わたしが引き継いで案内してあげられたから」


まさに、スズカにぴったりの隊員だったということだ。

でも、隊員ランク一つで孤独に追いやられるなんて、

オハコビ隊の世界も意外とシビアだ……


ということは、このままガオルを追ってスズカを発見し、

フロルがガオルの攻撃からぼくらを守って命を落としたら、

ぼくはフロルとフラップの関係を引き裂くことになるのか。

フロルの気も知らずに願った身勝手な望みのせいで、

フロルを退職に追いこむどころか、永久に飛べない竜にしてしまうのか。


「もうすぐ追いつく……ここだよ!」


フロルは、とある部屋の入り口の前でピタリと止まった。

左右に弧を描くように伸びる通路のちょうど中間あたりに、

白いオハコビ竜のエンブレムが描かれた、

二メートル以上もあるグレーの大きな両開きドアが閉まっていた。

かなり重そうなドアだ。扉のむこうから得体の知れない圧力を感じる。

全身の神経が張りつめて、きりきりと痛むようだった。


「このむこうにガオルがいるよ。それと十中八九、スズカちゃんも……」


ハルトは、体の芯からふるえがこみ上げてきた。

凍りつくような恐怖のせいだけではない。

この先にフロルを行かせてはいけないという責任感が、心と体をしめあげるのだ。


「……ねえ、ハルトくん。わたし、とんでもないことをしてるのかな」


フロルが表情を曇らせながら、急にそんなことを口にした。


「いくらキミの意をくむためでも、わざわざ凶悪な敵がいるところへ、

大事な地上人のお客様を案内するなんてありえない。

それにわたし、戦いには自信なんてないから、

ガオルからスズカちゃんを助けるなんてできないかもしれない」


突然のフロルの弱音が、ハルトの罪悪感に拍車をかけた。

すべてのオハコビ竜が、フーゴのように強いわけではないのだ。

考えてみれば分かることだ。

無理を言ってついてくるのも、ふたりでスズカを救出しようとするのも、

すべて手前勝手なエゴだったのだ。


「それでもね、ちゃんとスズカちゃんを守りたいし、あの子の助けになりたい。

そんな気持ちが……操り糸みたいにわたしを動かすの。

ごめんね、ハルトくん。わたし、たぶんガオルには敵わないと思うけど、

せめて最悪、キミだけは命に代えても守るからね」


「……あのさ、フロル」


言ったところで結果は変わらない。

オハコビ竜がそばにいなくては何もできない。

それでも、この言葉をのどの奥でじっとさせる余裕はなかった。


「この中には、ぼくだけで入るよ」


「い、いきなりどうしたの?  そんなことさせられない――」


「ぼくのせいでキミを死なせたくないよ!

ぼく、分かったんだ。モニカさんにも同じことをした……ぼくが身勝手だった!

無理をお願いして、ぼくを危険に巻きこませちゃって。

キミ本当は、ぼくをこんなところに連れて来たくなかったんでしょ?」


「ハルトくん……。

キミのお願いを聞いたのは、心からの素直な気持ちなんだよ」


フロルは、まるで過酷な運命を受け入れたあとみたいに、

妙におだやかな表情をした。


「『人間の』お客様の勇気ある願いを叶えて、

そのうえで、お客様やその友達のために死ねるなら、

わたしにとっては光栄なことなの。

竜は嘘をつかない。

フラップくんもきっと同じように言うはずだよ」


「……なんで、

どうしてオハコビ竜は、そこまで正直なの?  わけが分からないよ……」


「『人間』さんが大好きだからだよ。ハルトくん――」


やわらかな抑揚をこめた美しい言葉のあと、

フロルは、ハルトの体をわが子のように優しい力で抱きしめた。

フロルの胸に包まれたハルトは、今にも涙がこぼれそうだった。

オハコビ竜の尊い精神に、ハルトの心はよい意味で打ちのめされた。


「さあ、手をつないで入ろう」


フロルは、ハルトを床の上にゆっくり下ろすと、左手でハルトの手を取り……

もう片方でドアの前にそっと手をかざすのだった。
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